徳川紀州藩の徳川頼宣と子・徳川光貞
さて、値上げ早々西田屋抱えの遊女が殺されるという、事件が起こり、この先の困難を予見させる出だしとなっちまった。
街角に行灯を設置するのはいいが、これが火事のもとにならないといいんだがな。
そんなことを考えていたら、また俺は藤乃付きの禿の桃香に呼ばれた。
「藤乃様のお客はんが、戒斗様とお話しがしたいそうでありんすよ」
「ん、わかった、行くとするぜ」
俺達は揚屋の藤乃が持ってる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。
「三河屋楼主戒斗、失礼致します」
すっと障子を開けて中を見る。
今日の藤乃の客は結構年かさだな。
しかも子供連れみたいだ。
子供の方は水戸の若様と同じくらいの年齢かな?
「若旦那、こちらは紀州徳川家の御当主の徳川頼宣様でありんすえ。
そしてもうひと方がご子息の徳川光貞様でありんす」
うえ、徳川御三家の最後が親子連れで来たか。
徳川幕府の始祖である家康はこの頼宣を特に目をかけていたようで、逆に2代目の秀忠や3代目の家光には警戒されていた節が在る。
家康から可愛がられた彼の与えられた土地は東海道の守りの要として最初は駿河であった。
しかし、家康没後に紀州に転封となった。
これは二代将軍の秀忠が頼宣よりも自分が上であり、家康が自分の所縁の地を与えた頼宣ですらも、転封させることができるということを諸大名に知らしめすためと言われる。
この、西国転封の際、頼宣は再建が成った大阪城を領することを願ったが、かなえられなかったとも伝わるな、まあ経済の要衝の大阪を与えるわけはなかっただろう。
実際、水戸は東北からの、尾張は西国からの江戸の防衛のためにとても重要な場所だが紀伊では場所的に微妙なうえに、山が多く田畑を開くに向いた土地でもなかったから明らかな嫌がらせでは在ると思う。
家光が死んだ時に家光の叔父で頼宣の兄である尾張の徳川義直もまもなく死去し、将軍家綱は幼少で、徳川頼宣は徳川一族の長老となっていたが、その戦国武将的な性格からも文治政治への変更を図りたい幕閣には煙たい存在だった。
そんなときに、慶安4年(1651年)の慶安の変において、由比正雪が駿府で自決した後に正雪の遺品から、紀州藩主・徳川頼宣の書状が見つかり、彼は謀反の疑いをかけられ、紀州へ帰国できなくなっているのが現状だ。
慶安の変を機会に、武功派で当時の幕閣に批判的であったとされる徳川頼宣を、幕政批判の首謀者とし失脚させ、武功派勢力を事実上崩壊させたわけだな。
由井正雪関連の疑惑が出た際、幕閣は頼宣を江戸城に呼び出し、直ちに捕らえるつもりで屈強な武士を待機させて喚問に臨み、場合によってはお家のお取り潰しも有ったろうが、彼は証拠文書を前にしてもたじろがず、堂々と「外様大名の加勢する偽書であるならともかく、頼宣の偽書を使うようなら天下は安泰である」と述べたそうだ。
これによりこの乱への関与の嫌疑を晴らし、特に処罰はうけなかったがな。
しかし、皮肉なことに彼の孫である徳川吉宗は幕府の改革の切り札として征夷大将軍になったりするんだが。
「うむ、私が徳川頼宣だ。
実は息子の咳が止まらなくてな。
坊主に祈祷させたり、医者に見せたりしてもダメだった」
確かに息子の方はケホケホ咳をしてるな。
それに藤乃が続ける。
「で、若旦那なら何か治す方法を知ってるんじゃないかと思うんで若旦那を呼んだのでありんすよ」
なるほど、なんとなく状況はわかった。
尾張の殿様のときと同じだな。
だから俺は医者じゃねえって。
「風邪でしょうか、もしや……労咳やもしれませんな」
脚気もそうなんだが結局、この江戸時代の江戸の偏ったバランスの悪い食事が免疫を低下させ病気を流行させやすくしてるんだよな、彼は驚いたような顔だ。
「なんと、労咳だと? なんとかならぬのか」
まあ、労咳つまり結核はこの時代だと死に至る病だしな。
とは言え、結核菌に感染したら全員発病して死ぬわけではない。
致死率100%の病気というのはむしろ広まらないからな。
とは言え咳が止まらないくらいだとあまり良い状況ではない。
「まあ、なんとかいろいろ試してみましょう。
ちなみに納豆はお嫌いですか」
「うむ、腐って糸を引いた豆など食えるものではないからのう」
うーむ、納豆は最強の感染症対策なんだが、嫌いならしょうがないな。
水戸の若様は大好きだったんだが。
彼は納豆とかチーズとか発酵食品が好きだからきっと長生きするだろうな。
ちなみにペニシリンは結核には効かないので役に立たない。
すると民間療法に頼るしか無いのだよな。
「では、ちょっと作ってみましょう。
しばし、お待ちください」
俺は揚屋の台所へ行く。
「おーい、お前たちはうなぎとうつぼの黒焼きを作ってくれ」
「へいわかりやした」
その間に俺は俺で別のものを作る。
用意するのは梅干しと昆布。
梅干しを軽く焼いて、鍋に入れてすりつぶし、そこに刻み昆布を入れて、お湯を注ぐ。
要するに梅昆布茶だな。
それから仕入れていた鯨の肉を刻みニンニク、すりおろししょうが、酒、味醂、ゴマ油のタレにつけて味を染み込ませ、小麦粉で衣をつけて揚げる。
さらにたまり醤油、卵黄、大根おろし、刻みネギをまぜてつけダレにし、円盤状に玄米雑穀ご飯を丸めて軽く両面焼いて、さきほどあげたクジラの天麩羅にタレを付けて挟み込む。
これでクジラの天麩羅の焼き握り挟み、つまり雑穀ライスバーガーが出来上がった。
それに加えてレンコンと生姜とゴボウとわかめの入った味噌汁も作る。
なんだかんだで味噌も体にとても良いし根菜類は体を温めるからな。
後若様は焼き梅入りの米粥も作っとこう。
「若旦那できましたぜ」
空気に触れないように鰻やウツボを炭化させた黒焼きが出来上がったので、それを粉状にして、椀にいれて、膳で運ぶ。
俺はそれを持って部屋に戻った。
「おまたせしやした。
焼き梅と昆布の茶と鯨肉天麩羅の焼き握り雑穀玄米飯バサミです。
坊っちゃんは焼き梅入りに米粥です。
鰻とウツボの黒焼きを粉にしましたのでかけてどうぞお食べください」
「うむ、いただこう」
徳川頼宣が重を開けて中を見る。
「ふむ、これが鯨の天ぷらを焼いた握り飯で挟んだものとな」
徳川頼宣が俺をじろりと見てきた。
「まずは一口くってみてください」
「ふむ……ではいただこうか」
手でそれを掴んで口に運ぶ。
かっと彼は目を開いた。
「うむ、焼いた玄米にカリッとした鯨の揚げ物がなんとも、美味いではないか」
俺はホッとしながら答えた。
「ええ、鯨はとても体に良いですが、場合によっては臭みがありますんで食いやすくしてみました。
江戸では白米ばかりですが可能なら玄米や麦飯、雑穀を混ぜて食ったほうがいいのです」
「うむ、そういえば父上も麦飯を食っておったな」
彼の言うとおり徳川家康もそのあたりは気がついていたみたいなんだよな。
それから彼は梅昆布茶をすする。
「うむ、この梅昆布茶もなかなかさっぱりしていて良いな」
そして、生姜とレンコンと牛蒡とわかめの味噌汁芋をすすると一息ついた。
一方の息子の方もウツボと鰻の黒焼きをかけた焼き梅粥を口にしながら、梅昆布茶を飲んでいる。
「ふむ、今まで寒気がしていたが、体が暖かくなったようだ」
それを聞いて徳川頼宣は顔を明るくする。
「そうか、それはよかった。
明日からも麦飯に焼いた梅と黒焼きにした鰻とウツボを食すとしようぞ」
「ええ、焼いた梅は体にとても良いものです。
鰻やウツボの黒焼きも肺病みにいいと聞きます。
ぜひ、毎食食べていただければ」
「ふふ、紀州は梅の名産地ゆえ藩の名物にもできような。
それに鯨とウツボも紀州の名産品よ。
そなたも考えておるようだな」
「は、なんとか無い知恵を絞って考えた次第です」
ふう、紀伊の殿様の機嫌を損ねずにすんでよかったぜ。
そういえば紀伊は蜜柑の名産地でも在るし、ペニシリンの作り方を教えたら大々的に作ってくれないかな……ま、流石に初対面じゃ無理だよな。
そう考えつつ俺は固体石鹸を持ってきた。
「風邪や労咳はくしゃみや咳で広まる可能性があります。
なので、紀伊藩の藩邸に広めぬよう、帰宅したらこちらの石鹸を使って
必ず手洗いとうがいをしてください。
それから咳が止まらない間は三角に折った布を口に当て埃ハタキを行うときのように外の空気を遮るようにしてください。
そして使った布や着物や下着などは可能であれば沸かした熱湯につけてから洗濯をしていただけたらと思います」
彼は石鹸を受け取りつつ感心したように言った。
「ふむ、そうなのか」
「はい、生水を飲むと腹を壊しますが一度沸かせば大丈夫になるように病の気がついた布や衣服も沸かした湯につければ病の気を消すことができますゆえ」
「ふむ、なるほど、ではなるべくそうするようしよう」
「ありがとうございます」
これで紀州藩邸内で結核ないし風邪が広まる可能性は減るんじゃないかな。
「それと少々お聞きしたいのですが、熊野や紀州と言えば蜂蜜の名産地。
今蜂蜜はどのように取っているのでしょう?」
「うむ、木にできたミツバチの巣を燻してその巣から取っておるが?」
「なるほど、もっと良い方法があります。
ミツバチの天敵であるスズメバチが入れない程度の穴を開けた木の箱に巣を作らせるのです」
「ふむ、口で言われてもよくわからぬ。
実際にその箱を作って見せてもらえぬか?」
「はい、承知いたしました」
って、俺忙しいのに、ミツバチの巣箱を作ることになっちまったぞ。
俺のアホウ、でも蜂蜜や蜜蝋はぜひ手に入れたい。
巣箱を作って自家菜園でためしてみるしかないか……。
「では俺はこれで失礼致します。
何か有ったときはまたおよびください」
「うむ、そうさせてもらうとしよう」
俺は揚屋から置屋に戻った。
「やれやれ疲れたぜ、そういや焼き梅干しは体にいいんだっけな、ここの食事の献立に毎日くわえるか」
翌朝早速そうしたら桃香達小さな禿が泣きそうだった。
「戒斗様、これすっごく酸っぱいでありんすよ」
ううむ、子供には梅干しはきついか。
この時代蜂蜜は希少品だから水飴につけたらどうだろう。
早速桃香に食わせてみる。
「あ、これなら食えるでやんすな」
うむ、お子ちゃまには水飴つけ梅干しの方がいいみたいだな。
「うー、なんかちょっぴり馬鹿にされてるきがしやんすよ」
「そんなことはないぞ、桃香」
おこちゃまは酸っぱいとか苦いとかは苦手だからな。
うん、しょうがない、しょうがない。
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