明暦4年・万治元年(1658年)
まずは食事の改善からかね
さて何から改善していくか……。
とりあえず一通り考えてみるが……やっぱりまずは食事かね。
いまは巳の刻、現代で言うところの午前10時頃で皆そろそろ起きてきて、風呂に入ってるか朝食を取ってるくらいか。
俺は起きあがって、2階の俺の部屋から階段を降りて見習いである新造や禿が飯を食ってる広間に向かった。
「おはよう、みんな」
俺を見て皆が挨拶を返してくる。
「おはようござんす、戒斗さま」
江戸時代の遊女の食料事情はそりゃいいもんじゃなかった。
というか庶民や下級武士、丁稚は皆偏った食事だった。
「今日も白飯と味噌汁に漬物だけか」
「そうでやんすな」
個室を持ってる太夫や格子などのような稼ぎのいい高級遊女は、見習いかつ付き人である禿に自分が稼いだ金から天ぷらなどを屋台に買いに行かせ自室に食事を運ばせたり、蕎麦などの出前をとったりして朝食をとったが、部屋を持てない下級遊女や見習いの禿(かむろ)たちは1階の広間で店から支給される飯を細長いテーブルに並んでみんなで食事をとった。
だから挨拶が終われば皆食事をするわけだが……。
おひつから米をお椀によそい、付け合せはしじみの味噌汁ときゅうりの漬物のみ。
他におかずなどはない、米のおかわりも禁止。
ちなみに米は朝に纏めて炊くので、夜はお茶漬けだ。
そして店から支給される食物は基本粗末で3年米とよばれる虫臭い古古米を用い、偶に芋がら、おからなどを混ぜた雑炊、味噌汁には味噌は少なく塩を入れたりしてごまかし、後は漬物くらい。
経費の削れるところを削ると言ってもこれはひどくないかね。
確かに食いっぱぐれる事はないが十分とはいえないよな。
なんで下級遊女や禿たちは、前夜のお客の食べ残しをこっそり確保しておいて朝食に食べることもあったくらいだ。
見習いである禿は、遊女達の世話や使い走り、炊事、洗濯、風呂焚き、厨房の手伝いなど休む暇もなく働かされるが、こういったことも改善したい。
「うーん、やっぱり栄養が偏りすぎだろ」
「そうでっか?」
まあ、現代人から見れば偏り過ぎでもこの江戸時代の庶民には普通だったりするわけだが、遊女の多くは親がカネに困って身売りされてきた女の子だ。
そういう場合は、一番下の場合は5~6歳からもう少し大きくても10代前半だ、それ以上の年だと湯女のような経験があるやつでないと遊女として使えない。
遊女が客を取り始めるのは17歳以降だがそれまでに最低限必要な算術や読み書きなどの教育期間が在るからな。
無論もっと格の下の安い遊郭などはまた別だとはおもうが。
正確にはこの時代、人身売買は禁止なので給料の前貸しということになっているが、その際の金額は出自や容貌によりピンキリ。
「少なくとも、子供が食べ続けていい感じじゃない」
「うちの家は、まともに食えるもんがなかったから、毎日ちゃんとおまんま食えるだけぜんぜんましでありんす」
「そうか、凶作だと農家はそうなるもんな」
「あい、わっち、この店に来れてよかったと思ってるでやんすよ」
ちなみに現代では給料を前借りさせて女性を働かせるのはそもそも法律違反だが、給料を前借りだけして返済しないで逃げ出すやつや前借りだけして客に対してまともにサービスしないやつも居るので給料の前借り(バンス)は基本しない。
現代の風俗は出勤日に稼げた給料をその日に精算する日払いが普通なんでな。
江戸時代の吉原からは逃げ出せないが、現代では監禁するわけにもいかない。
バンスをする際に保護者の名前や住所、電話番号を書かせる場合もあるかもしれないが法律沙汰になると面倒だからやらないと思うな。
話を戻すが、農村や漁村などの無教養な娘なら、3両からせいぜい7両(現在のおよそ30~70万円)、破産した商人や下級武士の場合だとそれなりに教養も在るので18両(およそ180万円)くらいとか。
これはあくまでも女衒と呼ばれる女を買い付ける連中が親に払う金なので、俺達が女衒に金を払う場合には容貌や教養に応じてその倍とかだったりする。
商人や武士の場合は店が直接親に払う場合もある。
そして俺達に買われた女は17歳以降の10年で返済するとかするわけだな。
もちろんそれまでの教育期間などに掛かった金や布団などの貸出費用などは全部借金だ。
彼女たちは女衒や親などに「吉原へ行けば毎日白いおまんまが食べられるし、きれいな着物が着られるよ」と言われたりするわけだが……まあ完全にうそではない。
ただし米は新米ではないし着物も基本は古着なんだが。
とは言えこの頃の吉原の女性が年季である27歳頃までに死亡する率は割と低く約2割ほどで、8割は無事に年季を明けて自由の身になったりする、これは当時の衛生管理や食糧事情、医療技術を考えると驚異的な低さで、実は農民などよりずっと死亡率は低い。
まあ、後期になるとこういった面は廃れ、梅毒の蔓延も有って死亡率も激増したんだが。
吉原の当初は、裕福な大名や武士などが居ては、軍事力でいつ幕府転覆をされないとも限らない、と言う事情から、とにかく大名などに銭を使わせて「貧乏にさせ軍備を整えさせない」と言う政策のためだった。
そういう江戸幕府の政策も有って遊女の相手は大名や江戸藩邸に詰める上級武士、大店の主人など金を持っているものだけだった。
なので、性病などもほとんど蔓延すること無く、病で死ぬとすれば結核や脚気くらいだった。
しかし、日本堤へ移転させられてからは、其れまでより辺鄙でわかりにくい場所だったり、金を使える大名や武士も減ったりした。
そこで、幕府に願い出て元禄には庶民にも開放された。
それ以来、梅毒などが蔓延するようになり、死亡率が急激に増加し始めたんだな。
つまりこれからは客足が微妙であまり儲からず、その後性病などが増える可能性が高いということだな、その対策としてもうちの店は品質第一でやっていきたいものだ。
ちなみに現代の風俗嬢もいいものは食ってないことが多い。
多くはコンビニ弁当やほか弁、カップラーメンやマクドナルドのハンバーガーだったり、中華や蕎麦の出前だったりする。
ろくに動かないで食ってばかりだと太ったりもするんだこれが。
さて白米は玄米や麦、雑穀より味はいいが栄養が偏っていて脚気になるという問題が在る。
それに米食い虫は体には悪い影響はないがやっぱ気分の問題だよな。
まあごはん、味噌汁、漬物だけの一汁一菜というのは江戸時代の下級武士や平民は普通の食事だったんだが、そのあたりは改めよう。
俺は穀物問屋に玄米や麦、雑穀を発注し、蜆(しじみ)を運んでくる漁師に海苔の佃煮や鰯(いわし)なども持ってくるように言う。
納豆や豆腐、油揚げ、江戸菜や小松菜も味噌汁に入れ、味噌もちゃんと入れる。
「というわけでみんな明日から米は白米だけじゃなく麦や雑穀も入れる。
そうすれば脚気にならないからな
あと納豆と鰯も食うぞ」
えーと言う声も上がるがこれも体のためだ。
まあ不満はあるだろう、麦飯や雑穀米は田舎では普通に食わされる食事で白米こそはごちそうと思われてるからな。
肉や卵があまり食われていないのもタンパク質不足になるだろうし、せめて豆や魚くらいはちゃんと食わせたい、文字通り体が資本なんだから。
「たしかに白米は美味いが、体に良くない。
米や麦はなるべく新しいものを買うようにするからちゃんと玄米を食ってくれ。
俺も同じものを食う」
そういって俺はおひつから米をよそって食った。
炊飯器で保温しすぎたような臭い米だ。
「うげ、まずいなこれは」
留置場の弁当のご飯だってたぶんこれよりは美味いぞ。
「基本は麦を混ぜるが、まあ、たまには白米の日も作るように努力しよう」
「わーい」
禿たちはみんな喜んでるが白米はじつは体にいいもんじゃないぞ。
全く困ったもんだな。
とにかくもう少し栄養バランスを考えんとな。
ちなみのこの体の過去の記憶を思い出す限り、俺自身は鰻や穴子の蒲焼き、浅蜊(あさり)を載せた深川めしや泥鰌鍋、魚や野菜の天ぷら、魚の刺身なども結構食っていたようだ。
随分と贅沢だな、全く。
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