遊郭に関わる専門用語の説明 

 江戸時代の遊郭に関わる専門用語の説明です。


楼主(ろうしゅ)

遊郭のオーナー。

楼は二階建ての建物を表し、この時代では少なく

旅館や遊郭などぐらいだった。


内儀(ないぎ)

遊郭のオーナーの奥さん。

遊廓の実質的な最高権力者であることも多い。

その見世の遊女上がりか裕福な商人の娘がなることが多かった。


若い衆

遊郭で働く男のこと、若くなくても若い衆と呼ばれる。


種類も色々いるが今は省略


遊女や芸者、下女など


太夫(たゆう)

吉原などの最上位の格の遊女の名称。

太夫の称号は江戸時代初期に誕生し、女歌舞伎における主役役者が「太夫」と呼ばれたのが始まりだといわれ、遊廓が整えられ遊女の階級制が確立すると、美貌と教養を兼ね備えた最高位の遊女に与えられる名称となった。

主に公家、大名、旗本ら上流階級を相手にする。

置屋と呼ばれる待機所から揚屋と呼ばれる宴会場のある建物まで、本来ならば10分で歩けるところを1時間ほど掛けて行列を作りながら歩いて行く。

江戸ではのちに消滅した。

見世先にはでず、口コミや馴染みの客などでの予約しか基本受け付けない。

遊ぶには一晩30両つまり300万くらいは必要なため多くの人間には高嶺の花。


格子太夫(こうしたゆう)

太夫に次ぐ格の遊女。

見世の格子では最前列の上座に座り、太夫と同じように揚屋まで行って宴会もする。

太夫よりは少し安いが一晩で10両くらいは必要。


格子(こうし)

格子太夫の下の遊女。

見世の格子では格子太夫の後ろに座り置屋の二階で直接客を取る。

これ以下の格の遊女は揚屋に行かない


禿(かむろ)

遊郭で働く太夫など上級遊女の身の回りの世話や、花魁道中の先導を務めたりする5歳以上10才以下幼女たちで売られてきたあとで見習いとなる15歳以下の未成年の遊女見習い童女のこと。

禿と呼ばれるのは下の毛がまだ生えていない子供だから。


引き込み禿(ひきこみかむろ)

楼主や内儀が特に優れていると判断し、直接芸事や教養を教え込むエリート。

将来の太夫候補で振袖新造になる


振袖新造(ふりそでしんぞう)

見習いもしくは新米の遊女

15才前後になると、振袖を着ていることからそう呼ばれた。

禿の中でも将来格子太夫以上になれることを見込まれているエリート。

容姿が美しく、芸事などを楼主からみっちり仕込まれる。

ちなみに15歳の段階では遊女見習いでありまだ客は取らない。

いつも太夫の近くにいて、太夫の仕草や客とのやり取りなどを学ぶ。

姉太夫に馴染みの客が重なった場合、「名代」として太夫の代わりに客と添い寝をするのも大切な仕事。

ただし、客は振袖新造に手を出してはいけない。

その振袖新造が17才になり、遊女として客を取り始める日(デビュー)を「突き出し」という。

人気の振袖新造の水揚げをするのは見世からの信頼の証で客にとっても名誉なことだった。


留袖新造(とめそでしんぞう)

引き込み禿になれなかった禿が、留袖を着ていたことからそう呼ばれ、10才以上で吉原に来て教育期間が十分でなかった遊女。

振袖新造との違いは、15歳になったら客を取らされること、また大見世なら格子太夫以上には上がれなかった。


番頭新造(ばんとうしんぞう)

27歳まではたらいて、年季の明けた遊女がなる。

太夫のマネージャーのような世話役として、客との交渉事や連絡係りをやる。


鎗手(やりて)

こちらも元遊女で、大体30才以上の女性がなった。

女衒から買った遊女の格や客の酒宴内容を決めたり、禿の基礎教育をしたり、脱走や心中を図った遊女の折檻をしたり、見世指名の客をどの遊女につけるかなど判断した。

そのため基本的に遊女には恐れられている。

番頭新造とは違い、見世全体の遊女を売ることで切り盛りしていた。


太鼓新造(たいこしんぞう)

いわゆる芸者。

基本客と寝ることはなく座敷での接待だけをする。

たまに隠れて客を取ることも有ったようだが。


見世のランク


見世は店、遊女を世間に見せるから店と呼ぶ。

店にもランクがあり置いている遊女の値段や評判で決まった。

おおよそ

「大見世」料金が1両(約10万円)から2分(約5万円)

「中見世」料金が3分(約7万5千円)から2分

「小見世」料金が2分か1分(約2万5千円)か2朱(1万2千500円)

「切見世(銭見世)」料金が2朱から100文(約2千円)


妓楼の格式は、まずは、店構えの籬(まがき)、見世の正面と脇土間の横手にある格子が違う。


大見世は大籬(おおまがき)もしくは惣籬(そうまがきとも言う)で、全てが格子になっている。

中見世は判籬(はんまがき)で籬の右上四分の一があけてある。

小見世は小格子(しょうこうし)もしくは惣半籬(そうはんまがき)で格子は下半分しかない。


格の低い見世ほど格子が少なく見えやすくなっている。


遊女の位

新吉原初期では7段階


太夫 料金は一両

格子太夫 料金は3分

格子 料金は2分


ここまでが大見世の遊女


散茶 料金は3分

局 料金は2分


ここまでが中見世の遊女


端 料金は1分以下


ここまでは小店の遊女


切見世女郎 料金はピンきり


その他私娼


夜鷹(よたか)

多分江戸時代で花魁の次に有名な娼婦。

主に柳のある土手で佇み、木の陰からすうと出てきて、往来している男の袖を引っ張って一緒に土手を降り、川端に積んである材木の間などで事をすませて金を取った。

木の陰からすっと出てきて男を捕まえる様が鷹を思わせたのでこの名がある

初期は幕府による大名家のおとりつぶしにより、リストラされた下級武士や浪人の妻も多かった。

これは夜なので顔が見えないから身元がバレないで済むから。

夜鷹の質はそれこそピンきりで中には超厚化粧の50の老女もいたし、評判になった美人も中にはいた。

江戸では最低ランクの娼婦。

持参のゴザが唯一の商売道具なので夏や冬などは大変。


飯盛女(めしもりおんな)、飯売女(めしうりおんな)、宿場女郎(しゅくばじょろう)、おじゃれ

江戸四宿すなわち、品川、千住、板橋、内藤新宿などの宿場で旅行者の給仕、雑用などの身の回りの世話を行いつつ売春を行なっていた女性たち。

ただし、売春のみを行うものもいれば、給仕だけしか出来ないものもいた。

夜鷹と同じく力で引っ張り込む女もしばしば居た。

幕府にも事実上黙認されていて数が半端でなく多いので女衒が女を売る場合の一番の得意先だったようだ。


湯女(ゆな)

最初は銭湯で男の背中を流したり着替えの手伝いをしたりした。

しかし日にはそれだけでなく、二階に広間に上がって性的サービスも行った。

吉原遊郭の最大のライバルでも有った。

湯女が禁止され彼女たちが新吉原に来たときは散茶になった。

これも数が多く度々取り締まられたが、黙認はされなかったようだ。


比丘尼(びくに)

尼そっくりの格好をしている娼婦

元々は熊野神社の牛王宝印を売り歩いていた本物の比丘尼が売春を行ったのが始まりで若い美人が多い。

尼が売春とは問題ありと幕府の取締が厳しく早々に消え去った。


船饅頭(ふなまんじゅう)

最初は河岸から名前の通り停泊中の船の中の人間に饅頭を売る女だった

そのうちに川岸で客を乗せて川に出て戻るまでに事をすませるというものになっていった。

料金は夜鷹より高かったがあんまり差はない気もする。


提重(さげじゅう)

手提げの重箱にお菓子を入れて売り歩く女性のこと。

湯女や船饅頭と同様に最初はこの提重に菓子や茶などを詰めて、寺社や武家屋敷を回って坊主や家来、小者、中間にそれらを売るだけであったが、そのうち肴や酒を出すようになり、上がって給仕をするようになる、やがて体も売るようになった。

比較的値段も高いので私娼としては比較的若くてきれいな女性が多かったらしい。


蹴転(けころ)

どんな人とでも寝る芸者のこと。

芸者は芸を売るといっておきながら「蹴れば(お金をあげれば)すぐ転ぶ(寝る)」といわれたことからこの名前がついた。

浅草や両国などに多かったようだ。


その他相場があまりわからない私娼達


矢取女(やとりおんな)・矢拾女(やひろいおんな)・矢場女(やばおんな)・矢場居女(やばいおんな)


社寺の境内、門前町などの盛り場などで、10矢で4文などの料金を取り、的や糸でつった景品に矢をあてる射的のような見世物屋、店は集客のために競って美人の矢取女を置き、男たちの人気を集めた。矢取り女は本来は客が射た矢を再利用するするために拾い集めるのが主な仕事だが、客に体を密着させて射的方法を教えたり、矢を拾う際に着物の裾から足を見せたりして客へ媚びを売ったが、やがて春を売るものも現れた。


矢場居女は危ないということが”やばい”という言葉の語源らしい。


綿摘(わたつみ)


塗桶という道具を使って綿をのばし、合せの中の入れ綿や綿帽子を作って売る仕事をする女。

それを表向きの仕事として、ひそかに売春をするする私娼。


瞽女(ごぜ)

門口に立ち行い芸を見せて金品を受け取る、門付け芸をしながら各地を回る盲目の女性の旅芸人が、春を売ることもあった。


酌婦(しゃくふ)

小料理屋で、酒の酌をする女。また、それをよそおった売春婦


色茶屋女(いろちゃやおんな)、茶屋女(ちゃやおんな)、茶立女(ちゃたておんな)、茶汲女(茶ちゃくみおんな)お山(おやま)

茶屋の茶店で茶をたてて客に給仕する女が売春を行うこともよくあった。

遊郭が認められず宿場町でない岡場所の場合には多くはこの形態であったようだ。


機織女(はたおりおんな)

その名の通り機織の工女が春を売ることもあった。


帆洗女(ほあらいおんな)洗濯女(洗濯女)

船の帆や衣類を洗うことを職業にした女性。

これも売春をすることがあった。


歩き巫女(あるきみこ)、白湯文字(しろゆもじ)

特定の神社に所属せず、全国各地を遍歴し口寄せ・祈祷・託宣・勧進などを行うことによって生計を立てていた巫女、旅芸人や遊女を兼ねていることも多かった。


雇仲居(やとな)

料理屋で客に接待をおこうなう仲居が業春を売ることもあった。


地獄(じごく)

自宅などで売春を行っている女、もしくはその売春が行われてる場所そのもの。



番外


陰間茶屋(かげまちゃや)

男娼の茶屋

まだまだ男色が盛んな時代である江戸時代

お客さんは女色が禁止されている僧侶が多かった

陰間は12歳から17歳ころまでの美少年で

昔で言うところの稚児のようなもので身なりは全て女性と同じでした

人気のある陰間は吉原超一流の遊女と同じくらい稼げた。

20歳を過ぎると陰間業界ではもう「年増」となり、男性相手から女性相手に切り替えました

美少年なためお金持ちの女中に大人気、現代のホストみたいなものかな。

陰間になる少年らは役者修行中の身が多く存在していました。


私娼のおおよその値段


夜鷹 24文=約600円。

船饅頭 32文=約800円。

比丘尼 100文~200文=約2000円~4000円。

蹴転 200文~500文=約4000円~10000円。

飯盛り女 400文~600文=約8000~12000円。

湯女 500文~1,000文=約10000円~20000円。

提重 500文~1,000文=約10000円~20000円。


このように私娼は吉原に比べると割安だった。

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