プロローグ
《プロローグ》
俺は平成の時代の風俗の店員だった。
まあ、給料の遅配とかなんとかいろいろ理由もあって、働いては辞めてと店を何軒か点々として居た。
はたらいていた風俗の業種や地域は吉原のソープや新宿のヘルスやらイメクラやら色々だったな。
吉原のソープではたらいていた時はたまに吉原神社にお参りなんかにも行ったよ。
吉原は土地柄その手の話も多いしな。
そして俺は子供の頃から時代劇を観るのが好きだった。
有名な時代劇はだいたいみんな好きだぜ。
で、その関係で赤線時代やらさらに昔の吉原の遊郭のことなんかも興味があって調べたりしたことも有ったな。
漫画やラノベも好きだった。
店の暇な時間にネットサーフィンでいろんなサイトを見て回ったりもした。
何度も読み返してチート知識なんかも結構覚えたと思うぜ。
俺には完全記憶能力or映像記憶みたいなもんはないが好きなことや興味のあることは意外と結構忘れないもんだよな。
*1概ね同じ意味の言葉ですが映像記憶は「能力そのもの」を同時に指す言葉のため「能力」の表記を省略することができます。
話を戻すと、風俗業界なんて言うのはブラック極まりないんだが、同僚が飛んで……要するに職場に来なくなって、代わりの人間を募集してもなかなか来ないので休み無しでもう一ヶ月くらいはたらいてたかね。
しまいには疲労と寝不足で眠さのあまりなんか意識が飛んだ。
そして暗闇の中でどこからともなく、女性の声が聞こえてきた。
(……きこえますか……幽界をさまよう……魂の持ち主よ……
……私は……吉原の……守護……てん……今……
……あなたの……魂へ……直接……呼びかけています……
……私に……助けを……求める……吉原の……女性を……
……すくって……ください……そのための……力を……
……あなたに……さずけます……そして……この呼びかけが……
……終わったら……目を覚ますのです……あなただけが……
……苦界の……女性を……救える……存在なのです……)
そして俺は悲しげな表情をした女性の横顔を見た気がした。
と思ったら、なぜか見たこともない建物の中で寝てたんだわこれが。
「なんだこりゃ?」
建物の感じとしては和風の古い旅館みたいな感じ。
でもなんか煤っぽい。
「ここはいったいどこだ?」
なんとか思い出してみようと、俺は首をひねって考えていた、そんなことをしているとそれなりの年の顔に白粉を塗りたくった女性がやってきた。
「ああ、目がさめましたか戒斗(かいと)」
眼の前にいるのは時代劇で見るような頭を結い上げ簪を挿した女性。
そしてその言葉に少し思い出した、俺の名前は戒斗。
結局俺は過労死したようだ。
その後何か夢を見た気がするがいまいちよく覚えていない。
目の前の女性は俺の母親で、俺の家は三河屋という吉原の遊郭でも太夫を抱える大見世だ。
つまり最高級の遊郭だな。
なんの因果か俺は江戸時代の遊郭の楼主の息子として生まれ変わっちまったらしい。
まあ、大見世の楼主の息子であればまだ恵まれてる方だ、なんせ金や住む所に困るわけではないし殺し合いもしなくていい、女を食いもんにする最悪の野郎とは言われるがね。
「申し訳ありません母上、父上は亡くなられたのですよね」
「ええ、なのでこれからはあなたがこの楼を、切り盛りしていかなくてはいけませんよ。
早く嫁も取らなくてはね」
「はい、わかっております、母上」
俺はそう答えて敷かれていた布団から上体を起こし、周りを見渡す。
調度品はそれなりに品のいい物が使われているし、漆喰もまだ新しいし、床に敷かれた畳も良い物が敷かれている。
「母上、私は夢を見ていました」
「夢、ですか?」
「多分稲荷大権現が見せてくれたんだと思います。
その夢では私は下っ端としておんなじような仕事をしておりました。
で、多分稲荷大権現は私に見世のやり方を変えさせたくて
夢を見せたんだと想うのです」
俺に様々な知識を与えてここに送り込んだのは稲荷大権現じゃないかもしれないけど、今の吉原だと一番信じられていそうなのはお稲荷さんなんだよな。
「そうなのですか?」
俺はコクリと頷いた。
「だから、この新しい土地にふさわしく、見世のやり方を変えていこうと思うんだ」
「分かりました、たったひとりの息子であるあなたに、なるべく任せましょう。
ただし、ダメなものはダメといいますよ」
「ありがとう母上。
俺、母上のためにも頑張るよ」
そんなことを話していたら、だんだんと思い出してきたぞ。
たしか、今は明暦4年(1658年)で昨年の明暦3年(1657年)の正月におきた明暦の大火により焼けてしまった日本橋人形町の旧吉原から浅草裏の日本堤、現代の千束の新吉原に移動したばかりだったか。
吉原って言うと現代でもソープランドが立ち並んでる場所だが、その街が作られたばっかりの時代だな。
そして明暦3年(1658年)の吉原にいる太夫と呼ばれる最上位の遊女は3人のみ。
うちにも一人いるがものすごく育てるのに手間ひまをかけてるのだ、たしか。
太夫っていうのは大名のお相手なんかもする超高級遊女で、「美貌」「スタイルよし」「話し上手」「床上手」「教養」「芸事」「書」等のすべてに秀でていないといけない。
算術や歌舞音曲、舞踊、古典の漢詩や万葉集のような和歌の朗詠、囲碁、将棋、華道、書道、茶道、香道、箏、琴、三味線などに通じており、そんじょそこらの武士や商人の娘なんぞよりもずっと教養を必要としており、たとえ旗本や大名クラスの客の前に出ても対応できるだけの品性や才知をもつもののみがなれた。
まあ、中でも、読み書きや書道は遊女として最低限の教養なんだが。
なぜかというと、自分を訪ねてくれた男性の心をつなぎ止める「手紙」を書く必要があるからで、まあキャバ嬢の営業メールみたいなもんだな。
いかに気の利いた内容をいいタイミングで書けるかが重要だ。
太夫が激減したのは建物を移転している間によその地域の遊郭に移ってしまったものも居たからだが、太夫が相手をする大名や旗本にも懐に余裕がなくなってきたのも大きい。
寛永20年(1643年)には18名ほど旧吉原の太夫は居たんだがな。
とは言え元は辺鄙な葦原である日本橋人形町が住宅地になってしまって、そこへ遊女街が隣接してしまい困っていた江戸幕府は吉原を移転する際に、俺たち遊郭の楼主に色々便宜を図った。
具体的には
吉原の営業できる土地の大きさを日本橋よりも5割り増しに増やす
夜の営業を許可する(今までは夜は営業不可能だった)
私娼を抱える湯屋を200軒取り潰し、私娼である湯女は吉原へと移動する
周辺の火事・祭の際の寄付金を免除
移転する遊廓に全部合わせて15,000両の賦与
とかなりの便宜を図った。
それでみな喜んで移転したわけだ。
まあ、現代では日本橋も吉原も住宅地だが、この頃は隅田川を渡ったらど田舎だったわけだが。
まあこんな状況なわけで俺たちは新しい場所での再出発をしないといけない。
ならついでにこの時代の遊女の労働環境をなるべく良くしようじゃないか。
俺の精神衛生上もぜひそうしたいものだ。
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