二十四話 『水の』ザリニ=ガ 上
二人が並んで歩けば一杯になりそうな通路、そして前衛が一人。
「ファンタジーらしいんだろうか、これはこれで」
「なにがですの?」
「うーん……」
僕、ルー、クリスさんの順番で縦に並んで進んで進んでいるわけだけど、ゲームみたいだと思っただけなわけで、何とも答えようがない。
魔王城でゲームの説明をするなんて、さすがにシュール過ぎるだろうし、コンピューターゲームなんてないし。
「……血の臭い、じゃないですね」
ルーになんと答えるべきか迷っていると、クリスさんがぼそりと言った。
そう言われてみれば、ペネペローペのいた部屋の血の臭いと似ているが、どことなく、そしてはっきりと違う。
これは、
「土の匂い、でしょうか」
恐らくクリスさんも僕と同じように、ソフィアさんに地面へと転がされなれているのだろう。
顔面から地面に突っ込んだような、濃い土の臭いがする。
「なんでまたこんな所で土の匂いが?」
「……さあ?」
魔王城で土の匂い、というのもよくわからない。
しかも、一歩ずつ進むにつれ、徐々に匂いがきつくなっていく。
夏の山のような生命に満ちた香りは、どんどん強くなり、やがて耐え難い、熟し過ぎて腐り落ちた果実のように甘ったるく不愉快な臭いが僕達の鼻に届き始め、じめついた空気が肌にまとわりついてきた。
「……ルー、クリスさん。 少し下がっておいて」
「わかりましたわ」
その空気の中から、突き刺すような何かを感じる。
敵意でもなく、殺意でもない違う何かだ。
しかし、当たり前のように気配的なものを感じられるようになった自分が怖い。
まだ漫画のキャラみたいに、人間辞めたつもりはないんだけど。
そんな事を思いながら、僕はぼそりと呟く。
「成長してるのかな、少しは」
「してますわ」
「そっか」
ルーの言葉はびっくりするほど、僕によく馴染む。
短いことばの中に信頼されている、と思わせてくれる力が籠っていて、迷う気になれもせず。
臭気は鼻がバカになりそうな腐臭、だけど立ち止まる事はしないし、出来ない。
「……柄じゃないよねえ、本当に」
それでも信頼と約束には応えたい、と思う。
人生は重い荷を背負うが如く、とはよく言ったもんだ。
がんじがらめにされているのはわかっているけど、逃げようという気が起きやしない。
そんなぼやきに似たのろけを思いながら、少しずつ歩を進めていくと、その先は沼だった。
広々とした部屋の中は、繊細で優雅な像の数々が林立していて、人やオーク、見た事のある魔物の姿が生き生きと写し取られている。
そして、その全てが豊かさすら感じる魔力に満ちた泥で作られており、表面が微かに揺れ動く。
その中央には作り物とは間違えようがないほど、力を感じる存在が立っていた。
光沢のある甲殻は堅牢そのもの、触覚はぴんとこちらを向き、僕の姿を確実に捉えている。
人で言うならその姿は極端な猫背姿勢だ。
しかし、その堂々とした立ち姿に重心のブレはなく、この僅かな邂逅の内に強敵であると理解出来てしまった。
「魔王軍四天王『水の』ザリニ=ガ」
人の物とは違う甲高い声は聞き取りにくくすらあるが、汗が蒸発するように漏れでた魔力だけで彫刻が微かに揺れている。
「『勇者』リョウジ・アカツキ」
『勇者』という言葉は正気で名乗るには、少しばかり難易度が高くて、今すぐ転げ回ってしまいたくなるほどだ。
だけど、僕はそれを背負うと決めた。
成り行き任せで失敗だらけ、何とも恥多き道のりなわけだけど、そうであれと望まれて、そうありたいと望んだんだ。
なら、やるしかないじゃないか。
静かに構えると、僕は相手の複眼を見つめた。
「押し通らせてもらいます」
「それが出来るのなら」
部屋に足を踏み入れると、足首まで浸かるような泥。
その底は硬い石畳の感触がするけど、下手な踏み込みをすればずるりと滑ってしまいそうだ。
明らかに罠の一種だろうけど、僕の魔術で勝ち目があるとは到底思えない。
罠とわかっていても、剣の間合いに踏み込むしかないんだ。
じりじりと前に出る僕に対して、ザリニ=ガはぴくりとも動かない。
ゆったりと呼吸に保ち、上下する背中は一定のリズムを作っていて、触角は僕の方をぴたりと捉えている。
剣の間合いに入ろうと、容易くは倒させてはくれないだろう落ち着き払った風格だ。
僕の構えは下段、ザリニ=ガも両の鋏を静かに垂らしていて、奇しくも同じ構え。
攻め気は感じられないが、その静かな水面のような佇まいは僕の背筋を粟立たせる。
立ち並ぶ彫刻の間を抜け、一足一刀の間合いまでは残り半歩。
ザリニ=ガの身体は動きこそないけど、濃厚な魔力が立ち上ぼり、ガンマンで例えるならガンホルダーにさした銃に手をかけているような状態だ。
どっちが速いか、試してみようじゃないか。
言葉にせずとも、ザリニ=ガの意思が伝わってくる。
そして、その意思は重圧となり、肩にずしりと重しを乗せられた気分を生む。
重圧に皮膚から押し出され、滲み出た汗が流れ、目にかかる。
僅かな痛み。 その瞬間、全てが動き出した。
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