二十四話 『水の』ザリニ=ガ 下
音はない。
踏み込む足は柔らかに。 泥を掻き分けるように進めば、不思議と音が立たなかった。
左足を前、右足を引いた構えから全力で振り回すように一打を放つ。
振り始めた聖剣が立ち並ぶ像に触れ、粘性の泥が刀身を絡め取ろうと蠢(うごめ)くが、速さを重視した振りなら、それよりも先に振り抜ける。
オーガの像を腰断し、ゴブリンの像を吹き飛ばす。
しかし、僕の行動が終わるより先に、ザリニ=ガは動き出した。
両の鋏を使う事なく、背から伸びて泥に触れている平たい尻尾の先が輝く。
「くっ……」
腐りかけた泥がまばたきする暇もない速度で、からっからに乾いた土へと変化。
そこまで堅くはないけど、足首まで固められてしまい、動きが取りにくいし、何よりもザリニ=ガは全く動く必要がない。
小技としては、これ以上ないくらい効果的だ。
しかも、精緻な像もからからに乾き、硬くなっていて一つ砕く毎に剣速が落ちていく。
さすがに一太刀で倒すのは無理か、と見切りを付けたその時だった。
背後にあった像が弾け飛ぶ。
乾いた泥を撒き散らしながら現れたのは、黒い甲冑に身を包んだ何かだ。
視界の端に捉えながらも、気配がまったく感じられない。
「アアアアアアアア……!」
人の身とは思えない呪詛を吐き出しながら、技も感じられない動きで大きく右手を振りかぶっており、その手に握り締められた奇妙に枝分かれした剣からは、強い魔力を感じる。
「全部、計算通りか!」
「手の内は全て見せてもらいましたからなあ」
ザリニ=ガの余裕に満ちた言葉を最後まで聞く事なく、手にした聖剣を投げ付ける。
風を切りながらザリニ=ガに向かった聖剣の勢いは、甲殻を両断する勢いは確かにあっただろう。
しかし、鋏が緩やかに動いたかと思えば、ザリニ=ガを避けるように投げ付けた聖剣があっさりと受け流された。
魔術ではなく、丸みを帯びた鋏を生かした受けは鳥肌が立つほどに鮮やかで、さすがに最後に残った四天王だと思わせられる手並みだ。
「行けい、『鋼の』アスモフ! 天下五剣の力を見せるのだ!」
それだけではない。
大声でアスモフと呼ばれた甲冑に指示を出しながら、巨大な魔術の構成を編んで行くザリニ=ガは放置しておけば、シャレにならない事になる。
だけど、先にアスモフを片付けなければザリニ=ガを落とせそうにもない。
「アアアアアアアア……!」
鎧の隙間から腐敗した肉の臭いが漂い、アンデットだとうかがい知れる。
「来い、聖剣!」
全力で振りかぶって、叩きつける。
それだけの行動の中で自壊し、アスモフの肘から血が吹き出し始めた。
三回も振れば、腕自体が折れるだろうが、その最初の一打は半端なものではなかった。
「がっ!?」
再召喚した聖剣を頭上に掲げ、アスモフの攻撃を受ける。
足をしっかりと踏ん張り、どんな攻撃が来ようと受け切る覚悟を決めた。
しかし、そんな覚悟など何の意味もない、頭の上に巨大な岩でも落ちてきたかのようなとてつもなく重い一撃。
食い縛った歯から血が滲み、殺しきれなかった衝撃が手首を軋ませる。
「だからって……!」
全身に勇者の力を巡らせ、アスモフの一撃を止めた。
一息つく暇はなくとも、返す刀で斬れる!
「避けて、アカツキ!」
ルーの言葉に、反射的に聖剣を捨てて地面に突っ込むように身を投げ出した。
そんな自分の判断を褒めたくなるような光景が、目の前に広がる。
アスモフは剣を振り抜いたままの体勢。
だというのに、その頭上で白刃の煌めきが起きる。
「あれは天下五剣……」
それも七つ。
一打目の衝撃をそのままに、七つの光が地面を抉る。
あまりの威力に石畳ごと吹き飛ばし、地面に大穴を開けた。
「七枝剣ですわ!」
「ありがたい!」
見た所、最初の一撃をコピーする能力だろうか。
あんなものをまともに受けた日には、人の身体程度なら粉々になってしまう。
とにかく速攻で何とかしなくちゃいけない。
「やらせん!」
「うわっ!?」
身体を起こし、動き出そうとした所で足元が再び泥の沼に変化する。
それで転ぶような無様は晒さなくても、ぬるりと滑る泥は踏み込みの邪魔で仕方ない。
ほぼノータイムで泥に変化するこの技は、全力の踏み込みをするにはかなり厄介だ。
「ちょっとまずい……!」
足元を気にしながら戦える相手ではないし、アスモフを片付けられなければ、ザリニ=ガから大魔術が飛んで来る。
ザリニ=ガの魔力は徐々に形を整え、今にも放たれようとしているし、何とかしないといけない。
「ルー!」
残り少ない魔力で無理させるのは申し訳ないけど、今はほんの少しでも相手を崩したい。
そんな大した期待もしていない呼び掛けの結果を考える事もなく、僕はアスモフに正面から飛びかかった。
足元を崩されるなら、飛び込んでしまえば関係ないはずだ。
そんな浅はかな考えは、すぐに後悔することになる……のはうっすらわかってた。
「アアアアアアアア……!」
昔、戦争映画で見た対空砲火のように、七つの光が獣の爪のように僕を引き裂こうと花開こうとしていた。
空中で防げば弾かれて距離が空いてしまう。
「合わせます!」
ルーの声がこちらを向いている。
今、必要な物。 それは足場だ。
足元が崩れるのを怖れずとも済む、そんな足場が欲しい。
そして、その望みは確かに叶えられた。
僕の足の裏をピンポイントで狙った防護魔法を蹴りつけ、更に自分の身体を加速。
「来い!」
七つの光が開く前に、その隙間に身体を滑りこませ、聖剣を呼び出す。
「もらう!」
手の中にかかる重さは扱いにくいが、今この時だけは頼りになる!
股下から刃が甲冑に食い込み、一気に食い破った。
脳天まで一直線に斬り抜いたけど、アンデットの不死性はよくマゾーガに聞かされている。
僕は油断することなく、返す刀で右から左に腰を断ち斬った。
崩れ落ちるアスモフには目も向けず、振り抜いた勢いそのままにザリニ=ガへと再び聖剣を投げつける。
「なんと!?」
初めてザリニ=ガが慌てた声を上げるが、そんな事に構っている暇はない。
「ルー!」
「あと二枚が限界ですわ……!」
「十分っ!」
投げ付けた聖剣が、ザリニ=ガに弾かれる。
しかし、その瞬間にはルーの魔術を蹴り、懐に潜り込んだ。
「必殺っ……」
全力で下から上に振り抜き、その勢いに逆らう事なく聖剣から手を離し、慣性を放り投げる。
軽くなった身体を回し、聖剣を再び呼び戻して振り抜けば、
「十文字斬りっ!」
ザリニ=ガの身体が四等分され、声もなく地に落ちる。
「じ、地味ですわねえ……」
「僕もそう思う」
勢いで言ってみたけど、物凄い普通だよね。
「しかし……疲れた」
ソフィアさんは何を好き好んで、こんな事をしたがるんだろうか。
やっぱりあの人はどこか理解し難いなあ、嫌いとかそういうものではないけどさ。
そんな事を考えていると、後ろからぱちぱちと拍手の音が聞こえてくる。
「うん、見事だな。 初めて見た時に比べれば、別人のようだ」
鈴の音を転がすような、いつも通りの声音で彼女がいた。
「ソフィアさん……?」
足取りは軽く、自然体のその姿はどこまでも変わらない。
「ああ、遅くなって悪かったな」
後ろでまとめた金糸のような髪が歩くたびに揺れ、ソフィアさんはゆっくりと奥に進んでいく。
おかしな様子はどこにも伺えない。
「ソフィア……?」
「お嬢様!」
なのにどうして、こんなにも不安になるのか。
「さて」
この部屋を抜ける道はたった一つ。
今、ソフィアさんが背にした通路だけだ。
ソフィアさんはゆっくりと振り返りながら、腰の刀を抜く。
柔らかな鈴の音に似た響きが、怨嗟に塗れた空気を打ち消す。
「ここを通りたくば、私を倒してからにしてもらおうか」
いつものように笑みを浮かべる最強の相手が、僕達の前に立ちふさがった。
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