二十三話 兄と妹 下
「マゾーガ!」
白刃の下に無防備に身を晒し、マゾーガは肩から腕を断ち切られてた。
あの頼りになる太い腕が血の池にぽとりとおちるのは、どこか嘘臭い光景ですらある。
「おでの、勝ちだ」
倒れこむようにしてマゾーガはペネペローペに抱き付き、ペネペローペもまたマゾーガの肩に手を乗せた。
マゾーガを突き放す事も出来ず、受け入れる事も出来ないとでもいうような、そんな触れ方だ。
そして、ペネペローペの身体がびくりと震える。
「まったく……お前はいつも無茶をする、シャルロット」
ペネペローペの口端から、だらりと血が逆流する。
ほんの僅かな時間で血が逆流するなんて、内臓のどこかを大きく傷付けなければあり得ない。
マゾーガの手に握られた短刀が、ペネペローペの背に深々とめり込んでいて、あの位置は人間で言うなら恐らく肝臓の辺りに刺さっているのだろう。
「そうでもじないと、勝てなかっだ」
僕が見たことのないような、どこか甘えた感じのする声でマゾーガは、ペネペローペの胸に顔を埋める。
「そう、だな」
僕からマゾーガの左肩の断面が、はっきりと見え、太い骨を中心にまるで年を重ねた年輪のように分厚い筋肉が層を成し、ぎゅっと力が籠っていた。
ペネペローペの腕が、マゾーガの背に回される。
「強く、なったな」
ぎゅっ、と収縮していた肩の筋肉が、赤ん坊がお母さんに抱っこされている時のように、すっと力が抜け緩むのが僕の目にもはっきりと見えた。
不味い、と思った時にはもう遅く、力が籠められ緊張で血管を押さえ付けていた筋肉が一気に緩む。
マゾーガの肩から噴水のような血が吹き出し、抱き合う二人の兄妹は同時にがくりと膝を落とした。
ペネペローペの口からは垂れ流すようにして血を吐き、マゾーガの背を汚し、二人の身体が派手に赤く染まっていく。
「ルー、クリスさん!」
「は、はい!」
呆けている場合じゃない。
どう見てもこのままじゃマゾーガが死ぬのは明らかだ。
三分の一の血を失ったら死ぬんだっけ?なんて、そんなうろ覚えの知識なんてなくても、誰がどう見てもヤバい。
僕達は慌ててマゾーガに駆け寄った。
「どうすればいい、ルー!」
「え、ええと、クリスさん、清潔な布を!」
「は、はい!」
クリスさんは背負い袋から清潔な布を取り出すと、マゾーガの肩口に押しあてた。
あっという間に真っ赤に染まる布を、回復魔術も使えない、医学の知識もない僕はただ見ているしかない。
「アカツキはマゾーガの腕を拾ってくださいませ。 今ならまだ何とかくっつきますわ!」
「わかった!」
血の池に落ちた腕は雑菌とか洒落にならない気がするけど、とにかくこのまま放置するよりはマシなはずだ。
マゾーガの腕を拾い上げると、ずしりとした重さが僕の手にかかった。
暖かさが急に消えていく腕は、マゾーガの物というよりもただの肉の塊で、背筋につめたいものを感じさせる。
「ル、ルーテシア……」
「意識はありますのね! 今、助けますわ!」
「いい。 それより、兄者を……」
意識が朦朧としているらしいマゾーガの視線は、あっちにふらふるこっちにふらふらと覚束ない。
「兄者を、助げてやってくれ……」
マゾーガの事で頭が一杯だった僕達は、改めてペネペローペに目をやる。
口から流れる血こそ収まってきているけど、体内ではまだまだ血が流れ続けているはずだ。
「二人同時に……? 時間も魔力も足りませんわよ……」
「おでは、いい。 兄者を、頼む」
マゾーガがお兄さんを大事にしているのは、見ているだけでもわかった。
もしマゾーガがペネペローペを殺すつもりなら、もっとやり方があったはずなんだ。
それこそ首でも切ればよかったんだから。
「頼む、ルーテシア……頼む」
「そ、そんな事を言われましても……」
予想もしていなかったニ択に、ルーは顔を青く染めている。
ペネペローペを見捨てるのは簡単だし、助ける義理なんてない。
だけど、
「ルー、やろう」
マゾーガの頼みだ。
普段、僕達を頼らないマゾーガが、僕達を頼ってくれたんだから、やるしかないじゃないか。
「で、でも」
「迷ってる暇なんてない! しっかりしてよ、ルー。 今、君がしっかりしないと二人とも死んじゃうんだ!」
自分が何も出来ないのを棚に上げてひどい事を言っている、とは思うけどやるしかないんだ。
「どうすればいい?」
落ち着いたわけでなく、ルーはまだ青い顔をしていた。
それでもきっと顔を上げ、ほっそりとした顎に指を当てて考え始めた。
「……二人とも不味いですけれど、ペネペローペさんの方が不味いですわ。 ショック症状を起こしていますの」
「なら!」
「でも、マゾーガが間に合いませんわ……。 わたくしでは内臓の傷を癒すのに精一杯で、マゾーガの腕を正確に接合する魔力も時間も足りませんもの……」
「じゃあ手順を変えて、マゾーガの血だけを止めてペネペローペの傷を治せば」
僕の言葉にルーは頭を振った。
「一度、傷口をふさいでしまえば、正確に腕を接合出来ませんの……」
マゾーガの腕が無くなる。
そう考えただけで、僕は衝撃を受けていた。
「構わ、ない」
「……マゾーガ」
「おでの腕より、兄者の命の方が大事だ……」
「……だけどさ、マゾーガ!」
マゾーガの腕は、誰かを助け続ける腕だ。
それこそ僕が代われるなら、僕の腕をくっ付けたいくらいに。
ここで彼女の腕を接合せず、治療してしまえばもう誰かのために戦えなくなるのかもしれない。
だけど、
「頼む、リョウジ」
それだけをひどく静かに言葉にしたマゾーガに、僕は応える。
雷の魔術を聖剣に纏わせ、熱を発生させていく。
「ここから先は、僕がやる。 マゾーガはもう何も心配しなくて済むように、僕はもっと強くなる」
「心配は、じてない。 信じてる、リョウジ」
赤熱し始めた聖剣が、僕の手も焼いていく。
「任せてよ」
尊敬する人の腕を僕が駄目にする。
なら、せめてここから僕がマゾーガの分までやるしかないじゃないか。
「魔王は、僕が必ず倒す」
僕はマゾーガの肩口に、赤くなるほどに熱せられた聖剣を押し付けた。
「遅かったな、ゾフィア」
私がその場にたどり着いた時、マゾーガは壁を背に座り込んでいた。
リョウジ達はおらず、どうやら先に行ったらしい。
マゾーガは左腕を失い、傷口は焼け焦げてるが、腕を無くした苦しみよりも重い荷を下ろしたような、そんなほっとした表情をしていて、妙にそれが羨ましく感じる。
「少し手間どったよ。 腕はどうした?」
「リョウジが、焼いでぐれた。 ……ゾフィア」
私の言葉に答えると、マゾーガは口を開いた。
膝の上で眠るペネペローペの頭をそっと撫でる手つきが、とても優しい。
しかし、リョウジに焼かれたという傷口は荒く、恐らく雷の魔術で熱した聖剣を押しあてたのだろう。
すでに血は止まっていて、このままならしばらくは保ちそうに見える。
「もう戦うな、ゾフィア」
大量に血を失い、身体が睡眠を求めているようで、マゾーガの身体には力が入っていない。
だが、私に何かを言おうと待っていたのだろう。
私はマゾーガの前に立ち、見下ろすように彼女を眺める。
「リョウジは、言った。 おでの腕を駄目にじた責任取る、と。 必ず魔王を倒ず、と」
「だから、どうした」
囚われの乙女のように、誰かが何とかしてくれるのを涙を流しながら待てとでも言うつもりだろうか。
「おでは、許さない」
「そうか」
お互いに言葉が足りていないが、わかっている。
しかし、どちらかがそれを口にした瞬間、そうなってしまうのもわかっている。
口に出せば終わり、口に出さずとも終わってしまう。
何ともマゾーガは歯がゆいだろうな。
「マゾーガ、お前と過ごした日々は悪くなかったよ」
「ゾフィア……」
私はマゾーガに背を向け、先に進む事にした。
「さらばだ、マゾーガ」
この先に剣の頂はあるのか。
それとも一時の愉悦か。
どちらにせよ、戦いがあるのだけは確かなはずだ。
マゾーガの声は、追ってこなかった。
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