二十二話 rock'n'roll 中下
「ふぅ」
一息吐けば、意識していなかった疲労が骨身にずしりと乗る。
先陣はリョウジとマゾーガに任せ、私は中軍に下がっていた。
すらりとした手足はどれだけ刀を振ろうとも肉が付かず、女の身では体力もつかない。
これが深窓の令嬢ならばいいのだが、動きを止めれば矢が降り注いできかねない戦場では、不利以外の何物でもなかった。
出来る事なら今のように駆け続けても疲れを知らない、マゾーガのような屈強な身体が欲しいものだと無いものねだりをしたくなる。
そんな事を思いながら、飛んできて矢を掴み取り、不用心にこちらを伺うゴブリンに投げつけた。
ゴブリンどもは、目がいやらしいから嫌いだ。
「にゃっはっはっは、見付けたにゃあ!」
そんな事を思っていると、なにやら笑い声がし始め見上げてみれば、乱立する尖塔の一本の上で、一匹の猫族が高笑いを上げていた。
「射て、ヨアヒム」
「はい!」
「危にゃあ!? 猫の話を聞けと、親に教わらなかったのかにゃ!」
「姉様から話す前に斬れとは教わりました」
「どこの修羅の教えだにゃあ!?」
ぎりぎりではあるが、猫族はヨアヒムの矢を避けている。
それなりに距離はあるとはいえ、なかなかの身のこなしだ。
本気でただの馬鹿なら無視しておこうかと思ったが、兵達のど真ん中に乗り込まれでもすれば、いらぬ被害を出しかねない。
「先に行け、ヨアヒム。 奴は私が仕留める」
「ご武運を」
こういう時、ヨアヒムは話が早く、信頼感なのか兵達を引き連れ、さっさと行ってしまう。
「そこでは貴様も手が届くまい。 来い」
「にゃっふっふっふ、お前が一人になる時を待っていたのだにゃあ」
「お前は馬鹿か」
奇襲をかけるならかけるで、どうして見つかるような事をしたのだ。
「猫を馬鹿という奴が馬鹿なのにゃあ! とぅっ!」
それなりの高さがある尖塔から、猫族は心身宙返りを入れながら飛び降りる。
華麗な身のこなしで、怪我一つなく飛び降りられる事を確信出来る動きだ。
そして、
「斬るぞ」
「にゃあ!? ふざけんにゃ!」
両手両足を着いての着地、そこを狙った斬撃は尻尾の先を斬り落とすだけに留まった。
「貴様こそ私の前で隙を見せて、生きていられると思うな」
「なんなんだにゃ、こいつ。 本気で怖いにゃあ……」
態度こそふざけているが、この猫族の動きは本物だ。
手を抜いて斬りかかったとはいえ、空中で身を動かして避けてみせた。
頭の出来と強さは関係ないということが、非常によくわかる。
「さて、私もなかなか忙しい身だ。 さっさとけりをつけようか」
「にゃははははは! お前はもう負けているのにゃ。 その大口もこれまでだにゃあ」
「それは面白い。 やってみせろ」
「あぶにゃ!? 猫が話してる時に斬りかかるのはやめるにゃ!?」
待て、とでも言うつもりか、猫族はこちらに手をつきだす。
無論、待つ気などはなく、その腕を斬り落とそうと、
「アンジェリカ姉の呪い。 受けるんだにゃあ」
いい女だった。
死病に犯され、手足の萎えた身での立ち合いで勝ちこそすれ斬られ、野垂れ死にかけていた私を助けてくれた、という恩がある。
だが、そんな事は関係なく、いい女だった。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花といった姿で、これだけの美しさがあれば都での栄華も夢ではあるまい。
いつも凛と伸びた背、つい笑顔を浮かべて欲しくなる表情が薄さも、どうしようもなく愛しく思う。
だが、そんな華やかな外身に惚れたわけでもない。
「行くのですか」
「ああ」
一年。
私がこんなにも長い間、一ヶ所に腰を落ち着けたのは、一体いつ以来だろうか。
少しばかり首を傾げてみても、なんとも思い出せなかった。
野垂れ死にかけていたうろんな男を、快く迎え入れくれた村人達がいて、彼女がいる。
そんな村に山賊が迫っていた。
「死にますよ」
「そうだな」
この骨に皮がへばりついているだけ、死を待つだけの身を村のために使いきるというのも悪くはない。
そう思い、幾日ぶりに刀を腰にさしてみれば、身体がぐらついてしまう始末だ。
縁側に立ってみれば朝日が、どうしようもなく眩しい。
「結局」
淡々と、だがその実、そら恐ろしくなるほどの情念が籠められた声が、私の背を叩く。
その情の強(こわ)さに惚れたのだが、この場では両手を上げて降参するしかない。
「私に一度も触れませんでしたね」
「そうだなあ」
死が目の前にある。
そんな中、この女を抱いておけばよかった。
そんな後悔もある。
「何を言っても言い訳になりそうだ」
「せめて、言い訳をしてください」
それを聞いて、許すかどうか決めますから。
許す気もないくせに、女はそんな事を言った。
「こういう時は、私の事を忘れて幸せになって欲しい、とでも言うべきだろうか」
「忘れられるわけ、ないじゃないですか」
「そうだな」
「怨みます」
「それは怖い。 勘弁してくれ」
「駄目です。 ずっと忘れません」
「……そうか」
「そうです」
言葉はなく、女が私の背に触れた。
骨が透けて見えるような薄い私の背を、ただ触れるように。
私は振り向けなかった。
「行ってくるよ」
どれだけそうしていたのか、だが醜い気が迫ってきていた。
そうなれば女は汚し尽くされ、村は焼かれる。
それは、嫌だ。
「もしも、来世があるのなら、私は貴方と出会いたくありません」
女の最後の言葉を聞いて、私は頷いた。
「にゃはっ! にゃははははは! これぞ猫族の呪いだにゃあ! 発動すれば、狂気に犯されて狂い死ぬんだにゃあ!」
随分と懐かしい夢を見ていた。
そして、
「にゃ、なんで動けーーー」
「少し、黙れ」
笑い声が、どうしようもなく耳障りだ。
滲む視界は未練か、ぐらつく頭は愛しさか。
とにもかくにも、
「武芸者など、正気でやっていられるものか」
いまさら御大層な魔術を使われずとも、狂気になどとっくの昔に犯されている。
惚れた女の手を払ってまでした事は結局の所、布団で死にたくなかっただけだ。
「そんな男が、狂っていないはずないだろう」
安楽な生に背を向け、どうしようもない修羅に飛び込む。
我ながら救いようのない話だ。
生まれながらにして、私のどこかが狂っているのだろう。
「しかし、猫の耳は消えないのか……」
私が死んだ後の女の幸せは、祈らなかった。
きっと、そんな事は意味がない。
私の愛した女は、情が強過ぎる。
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