幕間 しゅらばらばらば 下上
ヨアヒムくんの指が、弦から離れる。
華奢な体つきをしているヨアヒムくんのパーツの中で、ただ指先だけがごつごつとしているのが妙にゆっくりと見えた。
解き放たれた弓体と弦から、ドラゴンの咆哮のような響きが発せられ、太い弦につがえられた矢は真っ直ぐ僕に向けられているせいで、一個の点に見える。
「なんで……!」
必死に首を捻った瞬間、感じたのは熱だ。
こめかみに感じる熱さは、かすっただけなのに肉を根こそぎ持って行ったとしか思えない。
「来い!」
ダメージを確認している暇があるはずもなく、僕は聖剣を呼び出した。
弓矢なら次の装填まで間があるはずだ。
そこで止められればーーー!?
「遅いですよ」
「ぐあっ!?」
右手の掌に衝撃を受けてから、矢が飛んできた事に気付く。
見ると痛みを自覚しそうで嫌で見れないけど、矢が刺さっていて、聖剣もどこかに吹き飛んでしまった。
だけど、痛みでパニックを起こすような、そんな贅沢は許してもらえそうにない。
何故ならヨアヒムくんの弓には、一指につき一本ずつ矢が挟まれており、狙いはまったくブレていなかった。
普通なら矢筒から矢を取りだし、矢をつがえ、狙いを定め、放つという工程が、矢をつがえ、放つという二工程になる。
重い聖剣を弾き飛ばす恐ろしいまでの強弓で、手のように小さくよく動く部分にしっかりと当ててくる腕は、距離が近い事を差し引いても生半可なものではない。
「くっ……!」
手加減出来るような相手じゃない、間違いなく僕より強い!
「フンッ!」
「やらせませんわ!」
しかし、この場にいるのは僕だけじゃない。
馬を走らせ、その速度を乗せたマゾーガの重い斬撃と、ルーの一息で放った、だけど人一人くらいなら黒焦げになりそうな激しい炎が……って、
「ヤバい!?」
このタイミングだと突っ込んだマゾーガに炎が当たる。
いや、ルーの炎もマゾーガさえいなければ、最高のタイミングのはずだ。
お互いに最良の行動を選んだ結果、裏目に出ている。
もう馬も炎も自力で止められるタイミングじゃないみたいだ。
「もう一回、来い!」
「ふう……」
何とかしなくちゃいけない、と聖剣を呼んだ僕の耳に深いため息が聞こえてきた。
ヨアヒムくんがどうしてこんな事を、と理解出来ない事が山のようにある。
だけど、そのため息が露骨なまでの失望だという事だけは、はっきりと理解出来た。
「全て、止めます」
二矢、ルーの炎に気を取られ、集中力を欠いたマゾーガの戦斧にぶち当たる。
一矢、ルーの炎の中心を一直線にぶち抜く。
マシンガンを撃ちまくるような轟音と共に、その全ての工程が一瞬で終わる。
だけど矢が尽き、これで一安心。 そう思った瞬間、まるでテキサスのガンマンが早撃ちするようなスピードで、背中の矢筒に両手を伸ばす。
「今っ……!」
速い、けど今なら矢筒から矢を取り、矢をつがえ、狙いを付ける所で剣を振れるはずだ!
「僕の矢は、貴方ほど遅くありません」
「冗談でしょう!?」
ルーの悲鳴、ヨアヒムくんが手を振れば五矢が僕に真っ直ぐに向かってきていた。
勇者の力を使って動き出した瞬間を狙われ、足に力が溜まっている。
次の一拍があれば、足に溜まった力が地面を蹴り速度を生み出すけど、この瞬間に限ってみればその力が重りになり、速度を生み出せない。
それに対して綺麗に力の乗った矢は、細腕で投げられたとは思えない勢いで、
「だけど、死にはしない!」
とにかく頭と喉に向かってくる矢だけは避ける!
その覚悟だけは決めて、僕はヨアヒムくんに向かって、手足に矢が刺さる事を顧みず踏み込んだ。
「覚悟は悪くありませんね。 ですが」
とん、とヨアヒムくんの踵が馬体を打つ。
今にも振り抜こうとしていた僕の剣の下から、半歩。
巨大な馬が半歩だけ動くと、僕の剣はただ地を打つ事になった。
切っ先が皮一枚裂いたものの、馬体からは血の一滴も出ていない。
「馬に見切られた!?」
そして、今から切り返す事も、
「若年ながら、馬の扱いだけはソフィア姉様にも負けません」
飛びずさることも、間に合わない。
「貴方程度では」
矢がつがえられる。
「ソフィア姉様に仕える事は出来ません」
狙いは僕の眉間。
「死になさい」
「止めます!」
ギリギリ拳一つ分程度の光の壁が、僕の額の前に現れる。
ルーの作った防御魔術、だけど短時間で連発したせいか見てわかるくらいに不安定で今にも消えてしまいそうだ。
「……っ!」
そんな防御魔術だけど、ほんの少し矢の軌道を反らして、身を捩る隙が埋まれた。
無理な動きは、身体のあちこちに痛みを走らせるけど死ぬよかマシだ。
「返ずぞ、一打」
「クロ!」
ここにきて始めてヨアヒムくんの声に、厳しさが含まれた。
器用のに、その蹄で聖剣を踏みつけてくる。
「本当に馬なの!?」
「馬以外の、何に見えますか!」
僕の方に視線は向いていない。
ヨアヒムくんの視線は、再び動き出したマゾーガへ。
「フンッ!」
「まだ!」
掬い上げるような戦斧の一撃を、残った四矢を束ねた射撃が迎え撃つ。
ぐしゃりとつぶれる音、宙に砕けた木屑が舞う。
あの間に飛び込んだ日には、人の身体なんて一息の間にミンチよりひどい有り様になってしまう力の応酬が繰り広げられる。
「僕の矢で相殺が精一杯だなんて……!」
「ナメ過ぎだ」
マゾーガの一打が放たれるたびに、ヨアヒムくんはそのたびに五矢を放ち、その全てを相殺する神技と呼んでいい技量、だがそれも長くは続かない。
「残りは、何本だ」
弓なんて矢が無くなれば、ただの棒でしかないのだ。
そうなれば、負けるはずがない。
「そちらこそ僕を舐めすぎです」
応酬の中に出来た、ほんの僅かな隙間の中、再びとん、と軽く馬を蹴れば、俊敏な肉食獣のような動きで、後ろに飛びずさった。
「むう」
マゾーガの馬とて駄馬ではないにしても、馬中の馬と呼ばれていそうな名馬の瞬発力には到底、及ばない。
戦斧を振るうにはギリギリ届かず、矢を射るにしても微妙に近い距離感。
「終わらせます」
引き絞られる弦には、これまでの束ね撃ちとは違って矢が一本しかつがえられていない。
しかし、これまでの浅く三日月のような弧を描いていた弓が、丸く満月のように形を変えるまで全身全霊で引き絞られている。
涼しげな顔をしていたヨアヒムくんの顔に、ぽつぽつと汗が浮いていた。
「待って! どうしてこんな戦いを!」
「リョウジ、心気を整えろ」
「僕に勝ってから、また聞いてください」
今からでは踏み込めない。
完全に間を逃し、今から踏み込んだ日にはヨアヒムくんの矢に射ぬかれる。
渾身の一射を避け、行動不能にするしかない。
狙いはマゾーガに、だけど僕が回り込もうとしても、先に僕を射るだけだろう。
一射、なんとしても受けきるしかない。
この場の最善はマゾーガを近付かせる事だろう。
マゾーガなら普通にやれば、一対一で圧倒出来る。
だけど、この渾身の一矢を止められるかはわからない。
「僕の巨人殺しの一撃、甘くはないですよ」
「止めてみせるさ……!」
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