幕間 しゅらばらばらば 下下
これはあとで聞いた話。
精鋭と名高きネート家騎兵隊を任されるは、齢十三の少年だ。
ヨアヒム・ネート、ネート家当主であるレオンの三男である。
彼の力量を知る者あれば、息子ゆえに部隊を預けているとは決して思うまい。
彼の放つ矢は決して外れず、それどころか山のように巨大なサイクロプスすら一矢で仕留める強弓は、王国一と呼ばれてもいいだろう。
そんな彼の武勇を称え、『神箭(しんせん)』のヨアヒムとーーー
そんな話は知らずとも、今すぐ背中を向けて逃げたい。
覚悟は決めたけど、そう思ってしまうのは仕方ないだろう。
狙いこそマゾーガについているが、矢のように鋭い殺気が、びりびりと僕の眉間に突き刺さってくる。
「だけど、逃げられないよなあ……」
逃げれば死ぬ。
マゾーガが死ぬかもしれない。
そうなれば僕の心が死ぬ。
無音が訪れ、辺りには痛いほどの緊張感。
さっきまでは派手な打ち合いに沸いていた兵隊さん達も、今は黙りこくっている。
この均衡を崩してしまえば、何が起きるかわからない。
そんな空気だ。
矢の刺さった手足から血が流れていくけど、そんな事を気にした次の瞬間、僕の眉間に大穴が空く事になるだろう。
転げ回りたくなる痛みをこらえ、僕は刹那の瞬間を待つ。
呼吸は浅く、ゆっくりと。
しばらく続けていれば、息が続かなくなってしまうような呼吸法だけど、深く息をすれば身体に余計な力が溜まる。
「行け」
そんな中、声が聞こえた。
静かに、だけどしっかりと通る声だ。
誰?と考える前に全員が雪崩のように動いた。
動かされた事で、誰もが準備不足だろうけど、もうやるしかない。
「落とします!」
ヨアヒムくんの構えに、不自然な所は見当たらなかった。
その引き絞った弓の狙いは最初からマゾーガではなく、僕へ合わせられていたかのように、自然に合わせられる。
最初からずっと僕を狙っていたヨアヒムくんの事だから、そうなるとは思っていたけど全力の一撃を受けるとなると、背骨をごりごりとやすりがけされる気分を味わえる。
「受けてもらいます」
短い魔術の詠唱と共に、つがえられた矢が燃え上がる。
大きくは燃え上がっていないけど、その圧縮されが熱が僕の頬をちりちりと焼く。
「我が一矢は竜息の一撃!」
ドラゴンの骨と腱で作られた弓が唸りを上げ、解き放たれた矢はまっすぐに僕の眉間に放たれた。
まるで流星のような光。
だけど、このまま僕を倒せた所で、ヨアヒムくんに勝ちはないのだ。
マゾーガがこのまま突っ込めば、僕達の勝ちは揺るがない。
「そう思えば気楽だなあ!」
すでに勝利条件は満たした。
全力で聖剣を掬い上げるように振り切れば、どういう奇跡が起こったのかしっかりと刀身に矢がぶち当たる。
手にかかる重さは、マゾーガの戦斧を受けた時よりも重い。
怖いのは怖いけど、人の命がかかっている時に感じる胃が重くなる感覚はない。
あれは、嫌なものだ。
「うあああああああ!」
矢のように軽い物を受けたとは到底思えない、重い感覚が抜けない。
弾こうとしても矢尻にエンジンでも積んでいるんじゃない?と考えてしまうほどだ。
聖剣なから激しく火花と、耳障りな金属音が止まらない。
落ち着け、と頭の中で言葉にする。
「ソフィアさんの動きだ……」
手首を返したら、手首をへし折られるだろう圧力。
「伏せろ!」
後ろの兵隊さん達に向けて叫ぶ。
その結果を確かめる間もなく、僕は片足を引いた。
正面から拮抗していた力は、足を引いた分ベクトルがずれて、残った軸足を中心にくるりと回り始める。
まったく減衰しない衝撃は、僕の筋力なんてものをとっくにぶっちぎっていて、身体が浮かされた。
「せー」
だけど、身体が浮いた分、更に矢のベクトルがずれる。
「のっ!」
そこに合わせるように聖剣を振り上げれば、流星のように輝く矢が、僕から逸れて一で地平線の彼方に消えて行った。
「これで!」
よく合わせられたな、と思うと同時に、あの先に人がいたら僕のせいになるんだろうか?と保身が浮かぶ。
その事は置いておくとして、無理矢理に跳ね上げたせいで空中での姿勢制御を完璧にミスってしまった。
どっちが上で、どっちが下かを見失い、ぐるぐると回っている。
まぁこのまま落ちても死にはしない。
僕は身を丸め、多少の痛みを覚悟した。
しかし、その覚悟は結果から言えば裏切られる事になる。
「なんで!?」
背に当たる柔らかな感触は、誰かの手だ。
そして、人一人を軽く受け止めるだけの力を持った存在は、この場には一人しかいない。
「なんでマゾーガが、ここにいるのさ!?」
言うまでもなく、マゾーガはヨアヒムくんの元に向かっていると信じていた。
そうでなければ次が来る。
案の定すでに弓を引き絞っているヨアヒムくんも、意外そうな表情をしていた。
王手をかけた駒が何故か戻ってくるようなものだ。
誰だって不思議だろう。
「身体が、勝手に」
そう呟くマゾーガの言葉は、いつものような芯の強さは感じられず、茫然としている。
不味い。
「防ぎなさい……!」
不味い。
短時間のうちに三連続で放たれたルーの防御魔術は、次の瞬間に消えてしまいそうなくらい不安定だ。
これが攻撃なら、まだ凌げる目はあったけど、これじゃどうしようもない。
マゾーガはまだ茫然とし、僕も空中で背を支えられているだけで、不安定な体勢だ。
次の一矢を防げる、はずがない。
自分が強いと思った事はない。
だけど、ルーとマゾーガは僕を守ろうと動いていた。
二人に信じてもらえるような強さが、僕にあれば。
せめて、二人だけでも何とか。
凌ぐ手は、死にたくない、何とかするしかない、そんなものはない、自分を盾にしてでも、足りない。
どうしようもない状況だという再確認が、頭の中をぐるくると回る。
「ああ、ちくしょう……」
二人とも、僕を守ろうとしてくれて、その事自体は嬉しく思う。
だけど、僕が弱いから、二人はそうするしなかったんだ。
二人に信じてもらえるくらい、強くなりたい。
そんな思いを中心に、諦めがぐるくると頭の中を回っていた。
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