十九話 戦はまだ先に 中

 リョウジがどこからか持ってきた木箱に足をかける。

 それだけでギシギシと嫌な音を立て、今にも踏み抜いてしまいそうな感触が足の裏に伝わってきた。

 空は薄曇りで、意気が上がらない事甚だしい。


「なんとまあ」


 眼前には兵士、というよりも無秩序な人の群れしかなかった。

 ジャン=ジャック・ドワイト男爵の用意した兵士の数は三千。

 その実態は初陣もまだな若者、年を食い過ぎて役に立ちそうにない老兵、素行が悪く雇ってもらえなかった者達など、選んでお荷物を集めてきたのかと思うようなひどい連中が揃っている。

 それもそのはずで、多少なりとも使えそうな者達は、とっくの昔に前線に行っているのだ。

 今更、売れ残っている連中など、ろくなものであるはずがない。

 これで天下の魔王軍に立ち向かえ、と言われているのだから、笑うしかないな。


「隊長殿、ありがたいお言葉をさっさとお願いしますよ! あっしらもさっさと酒場に行くっていう重大な任務がありましてね!」


「ふむ」


 今日の私の装いは身体の線がよく出る青のアオザイだ。

 『舐められやすいように』女性らしい装いにしてきたが、効果がありすぎるな。


「それとも隊長殿がお酌でもしてくれるんすか?」


 整列しているというより、ごちゃっと集まっている兵士の群れの後ろから野次が飛ばされ、その侮りが他の兵士達に伝播していくのが、壇上からよく見えた。

 いやまあ、これはこれでありがたい。


「ああ、私に酌して欲しいなら、してやってもいい」


 まともにやるなら、何かしらまともなありがたいお言葉とやらをかけてやらなければいけない所で困っていたのだ。


「ただし、私に勝てたらだ、雑兵共」


 とりあえず全員をぶちのめして誰が猿山の大将か、その身に理解させてやろうではないか。




「……うわあ」


 これはひどい。

 何がひどいって、


「さあ、もう少しで追い付くぞ。 いいのか?」


「ひ、ひええええ……こ、殺さないでください!?」


 グラウンドなんて物はないから、ただ野原を兵隊さん達の後ろをソフィアさんが走っているだけなんだけど……兵隊さん達がナマハゲにでも追われてるかのような、必死の形相で走っている。

 どれだけ走っているのかわからないけど、千人以上いる大の大人がゾンビのような面でよたよた走っているのは、正直かなり不気味だ。


「おっと、あと一歩で手が届いてしまうなあ」


 などと、笑いを含んだ声でソフィアさんが囁けば兵隊さん達は、車輪を回すハムスターのように必死に走る。


「たった半日見てなかっただけで、どうしてこうなった」


 一つだけわかっているのは、ソフィアさんの恐怖に逆らおうという愚か者はいないという事だけだ。

 辺りを見回しても血溜まりはないし、まだソフィアさんの犠牲者は出ていないらしい。

 ならいいか、と思ってしまう辺り僕も毒されてきている気がする。

 何人か青たんや鼻血を出した跡を残しながら走ってるけど、生きてるんだし問題はないはずだ、うん。


「よう、勇者様! 資材の搬入は終わったのかい?」


 そんな事を考えていると、ドワイト男爵が人好きのする朗らかな笑みを浮かべながら歩いてきた。

 初めて会った時は話がくどいだけのおじいさんだと思っていたけれど、今は精気に満ち溢れて背筋も伸び、十や二十は若く見える。


「はい、お屋敷の方に全て運び終わりました。 あとクリスさんとマゾーガが目録を作ってます」


 僕も手伝おうかと思ったけど、よく考えたら字が書けないんだよね。


「すまねえな、勇者様に荷運びなんてさせちまってよ」


「いえ、僕は戦うよりはこういう仕事の方が好きですから」


「若いのに真面目だねえ、はっはっは!」


 何が面白いのかわからのが、ドワイト男爵は大口を開けて笑っている。


「戦う事なんて、意味ないじゃないですか。 真面目で悪いですか」


 自分でも思ったより、硬い声が出た。

 戦う力は必要だけど、戦う人だけで生きていけるもんじゃない。

 それに借金で首が回らなくなった貴族なんて、ロクなもんじゃないと思う。

 どうもこの人は胡散臭さがあって苦手だ。


「いや、すまない。 馬鹿にしたつもりはないんだ。 どうも俺は口が悪くていけない」


 僕の態度をどう思ったのか、ドワイト男爵は苦笑を浮かべた。


「実はうちのじいさんが道楽で家を傾けてな。 親父の代では爪に火を灯すどこらか、爪がご馳走くらいの有り様だったよ」


「は、はあ……」


 どういう例えなんだ、それ。


「それか今、空中に張った火のついたロープを逆立ちで渡る方がマシって所まできたと思うと、感慨深くてなあ……」


 マシなのかなあ、本当に……。

 ドワイト男爵は声を潜めると、僕の肩を抱いて、


「とにかく頼むぜ、勇者様。 ここで活躍して報償金がっぽりいただかねえと、うちの家は俺の代で終わりだ」


「は、はい」


「うちにゃ可愛い可愛い孫娘がいてね。 あの娘が売られて行くのは見たくねえなあ、はっはっは!」


 わ、笑えない。

 元の世界でもこの世界でも、女の子が借金の片になると言ったら一つだろう。


「が、頑張ります」


「お! そうだ、なんなら勇者様がうちの孫娘を嫁に貰ってくれてもいいんだぜ。 正室とは言わねえ、側室で構わないからよ。 これがまた可愛くてよぅ」


「……ちなみに何歳なんですか?」


 興味があるわけじゃなくて、ドワイト男爵のデレデレっぷりが年頃の女の子を語る感じじゃないから聞いてみただけだ。

 興味があるわけじゃなくてね。


「可愛い盛りの三歳だ」


「犯罪だ!?」


 禁止する法律があるのなは知らないけど、これが犯罪以外の何だって言うんだ!?


「なに、最初は婚約って形でいいんだよ」


「いやですよ!?」


「若いのに野心がないねえ。 ハーレムとか男の夢だろう」


「幼女ハーレムとか、夢というより病気です」


 この後もあそこの飲み屋のお姉ちゃんが可愛いだの、やっぱりおっぱいは大きい方がいいよな?だの、ドワイト男爵はシモネタしか話さなかった。

 胡散臭いというか、どうしようもない人だな!


「おっと、そうだ。 忘れる所だったぜ」


「駄目ですよ、キャメロンちゃんは。 あの子、旦那さんと子供が三人いるんですから」


「嘘だろ、おい!? ……って違うわ」


 ドワイト男爵はノリツッコミを一つ入れると、まだ走る兵隊さん達に剥けて、声を張り上げた。


「よし、お前ら聞け! 今日は訓練ご苦労! これから俺が飲みに連れて行ってやる!」


 うおおおおおお!と歓声が上がる。


「よーし、俺についてこい! 安酒だけど、たらふく飲ませてやる!」


 随分と露骨な飴と鞭で、見え透いている。

 しかし、兵隊さん達の顔には辛い訓練が終わったという喜びが溢れていた。

 そして何より僕の中にあった胡散臭い人、というドワイト男爵への印象が薄れているのを認めないわけにはいかない。

 やり口は見え透いてるくせに、どうも憎めない人だなあ。

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