番外編 ソフィアさん家のその頃
ネート家は家人を大事にする、というのは世間の評判だし、それはネート家のメイドをしている私が一番よくわかっている事だ。
「先輩、先輩! ヴィクトール様って格好いいですよね!」
掃除をしていた私に向かって、走ってきた後輩のメイドが開口一番に、そんな事を言った。
「え、ああ!? うん?」
扱いがよくても、無条件で頷きにくい事も案外、たくさんある。
「ネート三兄弟の長男、武のヴィクトール様! 辺境の獅子と呼ばれる偉容を前にした敵は、赦しを乞う事しか出来ない!」
後輩の新人メイドは何故かくるりと回りながら、歌うようにして、そんな事をのたまった。
メイドやるより、踊り子にでもなった方が儲かるんじゃないのか、この子。
「そんな方ですから、厳ついオークのような方かと思ってましたけど、美形ですよ美形!」
「あー……そうだね。 ところであんた、ヴィクトール様見た事あったっけ?」
ここ半年ほど領内の賊討伐のために遠征に出かけていて、この子が雇われてから戻ってきていないはずなんだけど。
そろそろ戻ってこられる予定だったけど、ヴィクトール様を見れる機会ないような。
「あ、先程、お一人で戻ってこられたみたいですよ。 で、先輩呼んでこいって」
「それを早く言いなさい!」
はしたなく後輩に向かって叫んでしまったけれど、私は悪くないはずだ。
この子の教育係は何をしてるのかしら、ほんと……。
「失礼します」
さっき大声で叫んだ事なんて、最初から無かったかのように私は礼儀正しく瀟洒に扉を開いた。
「遅かったな、フラン」
「申し訳ありませんでした、ヴィクトール様」
「いや、いいさ。 それより茶を一杯頼むよ。 お前が淹れてくれた茶を飲まないと、帰って来た気がしなくてな」
「かしこまりました」
メイドの失態を快く許し、朗らかに笑ってみせるヴィクトール様を改めて見ると、後輩が騒ぐだけの理由はあった。
まだ戦塵に汚れた格好(まだ鎧姿だ! あとで誰がソファーを掃除すると思ってるんだろう!?)で、髭伸びたままで男臭さく、私の好みからは大きく外れている。
しかし、髭を剃り、汚れを落とせば貴公子然とした甘いマスクが現れるだろう。
そういえば同じ時期に生まれてからの二十年、この方に仕えているけれど、こうして見れば今更感は漂うが相当なハンサムだ。
「ジェラール様はいかがいたしますか?」
「俺にも頼むわ、砂糖は三つな」
ヴィクトール様の向かいに座っているのは、次男のジェラール様だ。
後輩や街の噂に習って言うなら、文のジェラール。
ヴィクトール様とは違い、あまり笑顔を浮かべないジェラール様も頬が痩け、鋭い目付きが珠に傷だか、やはりハンサムではある。
「それで兄貴、討伐はどうだった?」
「ああ、滞りなく終わったさ。 しばらくは東方も落ち着くだろう」
「そりゃよかった。 これでやっと入植も進められる」
心底安堵した、といった様子のジェラール様を見ると、私も嬉しくなる。
まだお若いのに遊び歩く事もなく、毎日政務に励むジェラール様を見ていると、心労でいつかハゲるのではないかと心配なのだ。
バリバリと頭をかくジェラール様を、どうやって傷付けずにお諌めしようかが、今の私の課題である。
「父上とエドワードからの連絡は? 魔王軍との前線に出されると聞いたが」
「ネート家軍に大きな被害は無し。 ただ城塞都市が壊滅したせいで、全体の被害は相当なもんらしい」
街に出れば、魔王軍の噂を聞かない日はない。
召喚された勇者の消息は聞かず、王国の軍も押される一方らしい。
三人集まれば暗い顔でそんな噂ばかりするようになってしまっている。
だというのに、
「ふむ」
ヴィクトール様は一つ頷いた。
ネート家共通の癖のようなものだが、一人一人その意味合いが違う。
ヴィクトール様の場合は、
「まぁどうでもいいな」
この後、大抵ロクな事を言わない。
「どうでもいいって、おい」
「そんな事よりソフィアだ。 ソフィアから私への手紙はないのか?」
戦の話よりも真剣な表情で、ヴィクトール様はソファーから身を乗り出す。
ただ真っ直ぐな眼差しは、後輩がいれば甘い声を上げそうなくらいだが、言っている内容はひどくどうでもいい。
「ねえよ」
ジェラール様は心底呆れたという声を出した。
「そんなはずはないだろう!?」
今のヴィクトール様を絵にしたら、題名は絶望とでもなるだろう。
まあどうでもいいが。
「私をあんなにも愛してくれているソフィアが!? 便り一つないだなんて!?」
「そんなんだからウザがられるんだよ……」
「い、いつ私がソフィアにウザがられたと!?」
「いつもじゃねえか」
ソフィア様がお生まれになってしばらくは、ヴィクトール様べったりでしたが、
「……失敗したなあ」
と、三歳児らしからぬぼやきを溢していたのを、よく覚えている。
何を失敗したのかはわからないが、年下のはずのソフィア様を見ていると、遥かに年上の方を見ているような気分になった。
ソフィア様の天に愛されたとしか思えない剣才は、違いすぎて近寄りがたくすら感じる。
ソフィア様自身は使用人相手でも、朗らかに話しかけてくれる方なのだが、ひどく遠く感じるのだ。
それは幼い頃ならの付き合いがある者ほど、はっきりと気付いているはずだ。
「そうか、きっと日々の路銀に困り、手紙を出す余裕もないに違いない! なんて可哀想に……!」
「この前、路銀は送ったし、んな事はねーよ」
だが、私の感じる思いとは裏腹にソフィア様は筆まめで、ジェラール様を初め数人のメイド達に手紙を送ってくださっている。
ヴィクトール様お付きの私にまできたのだから、手紙を書くのがご趣味なのかもしれない。
「そうか、それはよかった。 日々の糧に困るソフィアはいなかったんだ……って、ジェラール、お前にはソフィアから連絡が来るのか!?」
「まあたまにな」
「妬ましい!?」
「ぐおっ!? てめえ、殴りやがったな!」
「殴って悪いかァァァァァ!」
「悪いわ!?」
ヴィクトール様の渾身の一撃がジェラール様の顔面を捉えるが、ジェラール様は少しばかりぐらついただけで、迷わず拳を返した。
「ソフィアソフィアってうるせえんだよ、兄貴は!」
「ごほぁ!? ソ、ソフィアは私の天使だ! お前などに渡すものか!」
「そんなだから気持ち悪がられるんだよ!」
「そんなはずあるか! 私は! ソフィアと! 添い遂げる!」
「実の妹だっつーに!」
ぽこすかと殴り合いを始めたお二人を前に、私は考える。
「クリスちゃんは大丈夫でしょうか……」
私の可愛い弟は、不思議とソフィア様に馴染んだ。
二十歳になれば幼子が完成していた人格を持つという事が、どれだけ異常かがよくわかる。
それを理解しているのかいないのか、クリスはどこまでもソフィア様の後をついていく。
その道が破滅に向かっていないかだけが、心配だった。
「やめろよな! 俺が本気出したら、兄貴が勝てるわけないだろ」
「馬鹿な……ストレートが完璧に入ったのに」
主人の醜態を見ないふりをするのも、メイドのたしなみ。
さて、気絶したヴィクトール様を運ぶためにも、誰か呼んでくるとしましょうか。
心配してはみましたけど、クリスちゃんは何となく普通に戻ってきそうですし。
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