十六話 因果応報、人類皆兄弟、遠慮容赦 中下

「帰りたい」


「どこにですの」


 ルーとふらふらしていたら、濃い血の臭いが漂ってきたわけで。

 お花畑でフローラルな香り中、君とデート!なら愛の言葉を囁けるけど、さすがにこの中では……いや、いまだに好きって一言言うのも無理ですけど。


「どうしようかなあ……」


 ソフィアさんが地面に伏せるようにして倒れている。

 左肩が妙な具合に折れ曲がり、ぴくりとも動かない。

 そして倒れるソフィアさんに片足を乗せ、猫族の女の人がギターっぽい楽器を手に陽気に歌っていた。


「まぁ逃げられないよね」


 聖剣を呼び出し、下段に構える。

 聖剣を振り下ろすと、重さのせいで次の動きに繋げにくい。

 ソフィアさんがあの猫族に負けたとしたら、大振りした瞬間に負けるだろう。

 間合いは勇者の力を全開にして三歩分、普通の人が走れば十歩分といった所か。


「作戦とかありますの?」


 ルーは魔力こそあるけど、実戦経験は僕より少ない。

 そして、僕だってたくさんあるわけでもなく。

 つまり、


「高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処しよう!」


「行き当たりばったり以外のなんですの、それ!?」


 知らない相手に対して、作戦なんて立てようがないしなあ。

 でも、成算がないわけじゃない。

 猫族はこちらを気付いている。

 だけど勇者の速さは知らないはず、思いっきり突っ込めばその速さに面食らう……はずだ。

 まだ油断しているのか、ギターを気分よさげにかき鳴らす猫族に、僕は腹が立った。


「行くよ、ルー」


「え、ええっ、どうしたら」


 いいですの、という言葉を背後に置き去りにする。

 一歩、二歩、三歩で僕の最大加速に乗った。


「そこから」


 足元のソフィアさんに当てないように振るには、横に薙ぐしかない。

 踏み込む、というよりは踏み切るような気持ちで身体を回す。


「どけよ、お前!」


 誰を踏んでやがる!

 今の僕の一撃は、ドラゴンだって斬れる。

 その一撃を、この猫族相手に叩きつける事に躊躇いはなかった。

 確かにろくでもない人だ。

 ソフィアさんは飯食ってるか、何かを斬っているかしか選択肢がないような、残念な美人さんだけど、こんな姿は許せない。


「にゃあ」


 と、自分でも思っていたよりも怒っていた僕に対して、猫族は一言鳴いた。


「せっかくいい気分だったのににゃあ」


 すでに踏み込み、聖剣を振って、剣先に速度が乗り始めていた所だ。


「んなっ!?」


 手に衝撃、跳ね上がる聖剣、猫族はアッパーカットを撃ち終わった体勢にある。

 後出しの攻撃で勇者の力を使って、全力で加速して振った聖剣の刀身に当ててきた。

 つまり、


「こんちくしょう!?」


 僕の最速最大の攻撃を余裕綽々で、選んで叩き落とせるという事だ。

 そう結論が出る前に、跳ね上げられた身体の制御を、必死に取り戻そうと僕はもがく。

 デッドウエイト以外の何物でもない聖剣を弾かれた勢いそのままに手放し、軽くなった身に残った速度を生かして猫族の射程圏から逃れる。

 追撃に備え下がる途中、足元に落ちていた槍を拾いはしたものの、猫族は何故か横に一歩動いただけだった。

 ソフィアさんの上からどけよな、お前。


「アカツキ、上! 上ですわ!」


「ん?」


 ぶおんぶおんと風車みたいな音を立てながら、聖剣がソフィアさんの真上に落ちようとしている。


「も、戻れ!?」


 選択肢を完全に奪われた、と思っても、聖剣を呼び戻すしかない。


「にゃあ」


「なんて性悪……!」


 右のストレート、だと気付いたのは振り切られてからだった。

 聖剣で受ける事を最初から諦めて槍で拳を受けるが、あっさりとへし折られる。


「猫だから仕方ないにゃあ」


「僕の知ってる猫はボクシングとか使わない!」


 距離が欲しい、と後ろにステップを踏めば、猫族も前に出た。

 ソフィアさんから下ろした、というより最初から計算していたとしか思えない。


「ただの猫パンチだにゃあ」


「痛すぎる!?」


 顔の前で両腕を構えて必死にガードしてみたはいいものの、僕の必死な努力を嘲笑うかのように自称猫パンチがガードの隙間を抜けて、胸骨に突き刺さった。

 肺から酸素が抜け、涙がこみ上げてくる。

 でも、ガードを抜けられた瞬間、反射的に腕を挟んでなければ胸骨くらいは簡単に折れていた。


「アカツキ、距離を取ってくださいまし!」


 ルーの方から、莫大な魔力の奔流が感じられる。

 小さな魔術を撃った所で、避けられるのは目に見えている……という事なんだろうけど、


「無理……!」


「にゃは」


 ノーモーションで放たれるジャブは、僕程度では見切れるレベルじゃない。

 当たらない事を祈りながら、とにかく頭を振る。

 かすっただけで意識を持っていかれそうな弾幕の中で、大きく下がるような動きは出来そうにない。

 しかも、下がれた所で僕より猫族の方が速い以上、すぐに追い付かれてしまう。

 ルーの選んだ大魔術で辺り一面を焼き払う、というのはこの状況では悪手だ。

 たった一瞬の間さえあれば逆転出来るかもしれないけど、そんな間を与えてくれるほど、この性悪猫が甘いはずはない。


「ルー……! 逃げて!」


「アカツキを置いて逃げられません!」


「ソフィアさんを連れて逃げて!」


 ソフィアさんと二人がかりなら多分、勝てる、はずだ。

 そして、何より……僕が負けても、ルーが傷つかずに済む。

 僕が選べる中では、こいつを倒す次にはいい選択だと思う。


「で、でも……」


「早く!」


「う、ううう……わかりましたわっ!」


 ルーが迷っている間にも、被弾が増えていく。

 皮膚を抉られ、あちこちから血が流れる。


「連れてきなさい!」


 ルーは大魔術を消すと、ユーティライネンさんが使っていた不可視の触手を、ソフィアさんに使った。

 これで何とか、


「あれっ」


「……っ!?」


 ルーののん気な声、背筋が泡立つ。

 僕なんかに構っていられない、と飛びずさった猫。

 色で例えるなら紅。

 真紅の色が見えそうなほど、濃密で吐き気を催すような殺意。

 不可視の触手が、ばっさりと切り落とされていた。

 見えはしないが、それがよくわかる。

 触れれば斬る、という事を体現したかのような存在が立ち上がった。

 ソフィアさんがゆっくりと、立ち上がった。

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