十六話 因果応報、人類皆兄弟、遠慮容赦 下上
剣の道について、僕はソフィアさんに聞いた事がある。
「剣の道、ねえ……」
ソフィアさんは少し悩んで、こう言った。
「あるのか、そんなもん? たかが棒振りに、大層な御託並べてどうするんだ」
「えー、ほら! こう、名人の心得みたいなものとか」
「ないな」
「ないんですか……」
僕の知る名人と言えばソフィアさんで、彼女以上に強い人を僕は知らない。
なら剣の極みみたいな物を教えてくれる、と期待しても仕方ないと思う。
せめて、技は盗むものだとか、そういうものならよかったけど、首を傾げるソフィアさんには隠している様子も無い。
僕から見れば、極み以外の何物でもない境地にいる人は、そこには何もないと言い切った。
「大体、私も道半ばだ。 まだまだ名人などと自惚れてはいられん」
「そうなんですか……」
しょんぼりした僕に、ソフィアさんは珍しく頬をかきながら、困ったように言う。
「まぁ一つだけ私が言えるとするなら」
「お、なんですか?」
「負けるな」
気負いもなく当たり前の事を
、当たり前に話すソフィアさんに僕は言葉を返す。
「……それって当たり前の事じゃ」
「当たり前だが、負ければ死ぬ。 勝った先に何があるのかはわからないが、それだけは確かだ」
「そんな事を言われたら、僕なんて負けてばかりなんですが」
ソフィアさんは鼻で笑うと、
「生きているなら、負けてはいない」
「そういうものなんですかねえ……?」
「そういうもんだと思っておけ」
これは……そういうもの、と思っていいのだろうか。
濃密な殺意を発するだけの精神力があり、立ち上がる事は出来てはいるが、ソフィアさんの右肩から先はひどい事になっている。
だらりと下げられた右腕は左腕より長くなっていて、どこかが折れているか脱臼しているのは明らかだ。
前腕から肌の色とは違う白い物が覗いているのに、皮膚を突き破って骨が見えているのに、だ。
俯くソフィアさんの表情は、前髪に隠されて見えない。
だが、口元には笑み。
これから逃げ出して、生き延びようという屈辱感はまったく感じられず、普段の華やかさがある笑みでもない。
「アンジェリカ・ゴッドスピード」
「……なんだにゃあ」
猫、アンジェリカは空から落ちてきたギターに似た楽器を手に取った。
いつの間にか上に放り投げていたのか、僕はさっぱり気付かなかったが、一歩も動く事なくキャッチしたという事は、ここまで完璧に僕との戦いをコントロールしていた証だろう。
だが、そんな恐ろしい相手であるアンジェリカより、ソフィアさんから目を離せない。
離した瞬間、叩き斬られそうな気分になっている。
アンジェリカへと向ける殺意の余波、ただそれだけでだ。
余波ではなく、全てを叩きつけられているアンジェリカは、一体どういう気持ちなのだろう。
「お前は、もう終わりだにゃあ」
アンジェリカは音を鳴らし、歌うように口を開いた。
「片腕を潰された剣士が、あちきに勝てるはずがないのにゃあ」
しかし音が、乱れている。
片腕を潰された無手の剣士を前に、アンジェリカ・ゴッドスピードは乱されていた。
「あちきの勝ち以外は、ないのにゃあ」
ソフィアさんは、笑う。
その深まった笑みは地獄の底にいる悪魔を前にしている気分を、僕に味わわせてくれた。
つうっと背筋を、冷たい汗が流れる。
「アンジェリカ・ゴッドスピード」
「……なんだにゃあ!」
ソフィアさんは顔を上げ、
「口数が増えたな」
「……っ!?」
アンジェリカが思わず、といった様子で動いた。
突然、殺意がなりを潜め、圧力から解放されたのだ。
萎えていた手足がいきなり軽くなり、恐怖の元を断とうとアンジェリカの生存本能が働くのは仕方がない。
しかし、恐怖で動こうとも、勇者の力を使った僕より速い踏み込みはまだ健在。
瞬間移動にも似たスピードを乗せたハイキックが、ソフィアさんに迫り、
「落ち着けよ、アンジェリカ・ゴッドスピード」
「にゃあ!?」
それに大してソフィアさんは、一歩前に出ただけだ。
たったそれだけで打撃の内側に入り込むと、無防備な軸足を刈り取り、転がした。
「強敵を前にして満身創痍」
そして、追撃を加える事なく、ソフィアさんは敵を前にして、くるりと背を向ける。
「敗北は必至」
その無防備な背を前に、アンジェリカは動けない。
人が見上げるような大岩を殴ろうと思わないように、アンジェリカは動けない。
「そんな中、残された逆転の一手。 最後の一片」
ソフィアさんは振り返る。
殺意はなく、ただ花咲くような柔らかな笑み。
「出番を心得ているなあ、お前は」
愛しげに下腹に手を当てたソフィアさんは、言った。
「行こうか、チィルダ。 今度こそ」
みちり、と音がする。
肉を斬り裂く音だ。
腑を切り裂き、服を切り裂きながら腹から刃が顔を出した。
「今度こそ、私達は負けない」
自らの下腹から生えてくる刃を、ソフィアさんは躊躇いもなく掴んだ。
その刃も、生みの親を傷付ける事を躊躇わない。
「魔剣……いや」
自らの腹から取り出した刀は陽光を受け、鮮血がぬらりと輝く。
「輪廻剣チィルダが主、ソフィア・ネート」
一身、これ刃なり、と自ら産んだ刀を手に剣鬼は笑う。
そして、
「いざ、参る」
静かに、それだけを言った。
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