十五話 はじめてのたいまん 下

「これが、ドラゴンの肉……!」


「余計な味付けをせず、塩だけで焼いてみました」


 僕の前に差し出されたドラゴンの肉は、いっそ野卑と言ってもいいくらいだった。

 聖剣を刺して直火で焼いたドラゴンのしっぽ肉から漂う香ばしさは、あれだけ鳥肉を貪った僕の胃を激しく動かす。

 ドラゴンボ○ルで恐竜の肉を食べてるのを見て、いつか僕も食べてみたいと思っていたけど、まさか異世界で夢が叶うとは。

 いや、異世界だからこそか。


「いただきます」


 そんな事よりまずは肉だ。

 鱗を剥いだ下には一センチばかりの脂肪の層があるけど、その下の赤身には脂肪がほとんど見当たらない。

 がぶりとかぶりついてみれば、まず広がるのは岩塩の味だ。

 日本の真っ白な塩とは違い、茶がかかったような岩塩はクリスさんが手をかけているのか、すっきりとしたハーブの香りがする。

 そして、肉。

 舌の上でとろける脂肪、固いかもと思っていた赤身の筋繊維からはしっかりとした歯ごたえを返し、僕の口を楽しませてくれる。

 レアに焼かれたドラゴン肉は、僅かに残った血の味をアクセントにして―――とにかく、ぐだぐだ言う必要がないくらいに美味い。


「はぐっ! はぐはぐっ!」


 気取ってお料理番組みたいな事を言おうかと思ったけど、そんな暇があるなら食べたい!

 鳥のササミのような食感は少し強いけど、そこに濃厚な肉汁がじゅわりと……。


「ドラゴンうめえ」


「フンッ!」


 ずどん、とでも形容するしかない音と共に、マゾーガが戦斧を振り下ろした。

 しっぽを分厚く輪切りにして……僕のしっぽ肉が焼き終わるまで、食いしん坊のマゾーガが待っていただと……!?


「あれ、ひょっとして僕、毒見?」


「細かい事は、気にするな」


「いや、でも」


「気にするな。 G、頼む」


 マゾーガの戦斧がきらめくたび、ドラゴンが肉の塊に解体されていく。

 あのでかい戦斧できっちりと関節と関節の間を通すんだから、やっぱり力だけじゃなくて、技もあるなあ。


「何かドラゴン増えてるー!?」


 そういえばいつの間にかいなくなっていたユーティライネンさんが叫びと共に、ルー、そしてソフィアさんが戻ってきた。


「なんですの、これ……?」


「魔王軍四天王って言ってた」


「なにがあったのよ、本当に!?」


「わかりません」


 本気でよくわからない。


「ええい、馬鹿と話すと馬鹿になるわ! それよりドラゴンの素材を集めるわよ!」


「はい、いい魔術の媒介になりそうですわね!」


 ユーティライネンさんの暴言を、ルーはさらりとスルーしてドラゴンに向かっていく。

 まったく否定する素振りもなかったのは、どういう事なんだい、マイハニー?

 自分でも馬鹿っぽいとは思ったけどさ。


「くっ、貴様……! 私のいない間に面白そうな事をしおって」


「ソフィアさん達こそどこに行ってたんですか?」


 普段は白い血色のいい肌が、今は真っ青で今にも倒れそうな顔色になっている。

 あれだけ鳥肉を食べていた人がいきなり貧血になったとは思えないし、一体何があったんだ。


「腹を切られて、中にチィルダを埋め込まれた」


「……はあ」


 何かの深い意味のある隠喩だろうか。

 ファンタジーなこの世界で、まさか開腹手術して物理的に埋め込んだって事はないはずだ。

 憂鬱そのもの、と言った表情のソフィアさんは、僕の横にどさりと腰を下ろした。


「食べますか?」


「もらおう」


 僕が食べていたドラゴンの肉を切り分け、いつの間にか用意してあった皿に乗せる。

 ソフィアさんはドラゴンのステーキを袂から小刀を出し、一口大に切り分けると、その桜色の唇に運んだ。


「酒が欲しくなるな、この味は」


「あー、そうですね」


 色々な人に酒を飲みに連れて行ってもらい、僕は酒の味を覚えた。

 美味い肴があれば、酒が欲しいと思える程度には。


「思えば遠くに来たもんだなあ」


 異世界でドラゴン肉を肴に、酒が欲しいと思い、更に勇者になった、などと一年前の僕に言っても間違いなく信じないと思う。


「そういえば異世界から召喚されてきたんだったな」


「……そうですね」


 元の世界にいた頃は、自分の居場所が大嫌いだった。


「ソフィアさん」


 今、その話を聞いて欲しいと素直に思った。

 僕がした失敗に言い訳をしようとかじゃなく、ただ単に言いたくなった。


「あの……何で猫がカメムシ踏み潰したみたいな顔してるんですか」


「辛気臭い話は聞きたくない」


「少しは聞いてくださいよ」


「こんな時、わざわざ辛気臭い話をネタにする事はあるまいに」


 見ろ、とソフィアさんは空を指し示す。


「夕暮れを美しいと思い」


 いつの間にか、空は柔らかいオレンジに染まっている。

 そして、ソフィアさんはルーを指す。


「愛しいと思える相手がいて」


 最後に自分を指した。


「私のような麗しい乙女と飯を食う。 これ以上、お前の人生に何が必要だ?」


「あとは酒ですね」


「まぁ全てが満たされるものでもあるまい」


 それに、と言葉を続けるソフィアさんの横顔は夕日に照らされ、今までに見た事がないくらい優しげな笑みを浮かべていた。


「過去があるから今のお前がある。 今のお前は悪くはない。 なら何をやったかは知らんが、問題あるまい」


 そのぶっきらぼうな言葉は、不思議と僕の中にすとんと落ちてくる。

 ソフィアさんに認められた。

 言葉にすると、たったそれだけの事が泣きたくなるほどに嬉しい。


「あ、あの」


「楽しみだな」


 何かを言わなければいけないと思った僕の言葉を断ち切るように、ソフィアさんは立ち上がった。

 照れている、というわけでもなく、背中を向けて立つ彼女の表情は伺えない。


「楽しみだ」


 二度、ソフィアさんは言った。

 その言葉には何故だかわからないけど、熱がこもっている。

 歩いていくソフィアさんの背中は真っ直ぐに伸びていて、旅の終わりが近いのだと、僕はふと思った。

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