十五話 はじめてのたいまん 中
自分は、強い。
少なくとも、フリードリヒはそう思っていた。
「クェェェェェ」
だが、それは強さではない。
シムルグは同族の首に牙を突き立てようとしていたフリードリヒに一鳴きした。
「……なんだと」
フリードリヒの瞳には怒りよりも困惑の色が強い。
ああ、こんな事すら誰も言ってくれかったのか、とシムルグは悲しみを覚えた。
動きを止めたフリードリヒから、慌てて同族が逃げ出して行く。
その後ろ姿へ、シムルグは視線も向けなかった。
「クェェェェェェ、キシャァァァァ」
どれだけ屍の山を築こうと、意味がないのだ。
それは悲しい、とても悲しい強さだった。
だが、近寄る者全てに食らいつく荒んだ生き方をするフリードリヒの瞳には、不思議と歪みを感じない。
澄んだ、純粋な瞳だった。
だが、それがまたシムルグに危うさを感じさせる。
「クェェェェェェェェェ」
まだ間に合う。
シムルグは思った。
「ふん、所詮は弱き者の囀りよ……そのような言葉は、我に届かぬ」
「クェェェェェ……」
壊してやらなければならない。
フリードリヒがすがりつく力を、彼の孤独を。
小鳥のように幼いくせにシムルグに死を感じさせるだけの力を持つ彼が、自らの殻を打ち砕いた時、どれほどの者となるのか。
想像しただけでシムルグの羽が毛羽立つ。
鳥肌であった。
「クエックエックエッ」
シムルグは死んだ。
それは物質的な死ではなく、精神の死だ。
生き死にを越えた所に、戦う意味がある。
この若者のために死んでやろう。
シムルグは自然とそう思ったのだ。
そのブレスは僕でも感じられるほど、怒りに満ちていた。
「来い、聖剣」
聖剣を地に突き立て、盾にしてもなお、伝わってくる衝撃は悲しいほどに鋭い。
フリードリヒは泣いていた。
……そりゃよくわからないけど、恩人を食べられたら怒るよね。
悪い事をした、と思う。
だけど、
「リョウジ!」
「手を出さないで、マゾーガ」
この悲しみは、正面から受け止めなければいけない。
それが勇者として……いや、神鳥シムルグを食べた僕の勤めなのかもしれない。
「憎い……! 憎い……! 我は貴様が憎い!」
「わかるとは、言えない」
想像するだけで、怖いのはわかる。
これまでに出会った大事な人達がそうなった時、僕はどうするんだろう。
フリードリヒのように、全てを壊そうとするのかもしれない。
「だけど今の君は……止めなきゃいけない」
胃の中から熱い物が込み上げてくる。
鳥肉となったシムルグが、フリードリヒを止めてくれと言っている。
勝手な思い込みかもしれないけど、僕はそう信じた。
「先輩を食ったお前が言う事かァァァァァァァ!」
「シムルグを食べた僕だから言うんだ!」
動き出しは同時、だけどフリードリヒのスピードは、勇者の力を使う僕よりも速い。
後ろ脚で地面を蹴りつけ、羽ばたきを一度。
たったそれだけでフリードリヒは人間を十人まとめて、ミンチにしても余りある運動量を発生させた。
ドラゴンの大質量に速度が噛み合わさった破壊力なんて、考えたくもない。
でも、逃げられはしないし、逃げる気もない。
聖剣をその場に捨て自分の身を軽く、真っ直ぐにフリードリヒに向かう。
一歩、二歩、三歩でトップスピードに乗せ、僅かに右に向けて踏み切る。
「来い!」
背後に置き去りにした聖剣の重みが、すでに振りかぶった僕の手の中に現れた。
「殺す……! 殺す……!」
「止めてみせる!」
シムルグの羽ばたきのように、僕は軽く聖剣を振る。
大して切れ味のよくない、普段は鈍器扱いしている聖剣の刃が、するりとフリードリヒの左翼を断ち斬った。
「なんだと!?」
始めに聞こえたのは重い地響き、次に翼の落ちた軽い音。
振り返れば地に落ちたフリードリヒの姿、驚愕に目を見開く彼を見ていると、ドラゴンというやつは思ったよりも表情豊かなのかもしれない。
身体が軽かった。
勇者力の負荷に負けていた僕の身体が、神鳥シムルグの肉の力でパワーアップしているのか、魔王と戦った時よりも遥かに楽だ。
「負けぬ……!」
左の翼から赤い血を吹き出させながらも、フリードリヒの視線から力が失われはしない。
ただ僕を討ち果たさんとする意志のみが、彼の瞳にあった。
「先輩を食った貴様の肉を、我が食らい尽くしてくれるわ!」
勇者としてではなく、人が猿だった頃よりも遥かな昔より続く弱肉強食の掟で、人として僕はフリードリヒを討つ。
残った右の翼で土煙を上げながら突進してくるフリードリヒの速度は、低空を滑空していた時よりも速い。
翼や後ろ脚だけではなく尻尾まで使っているのか、蛇のように巨体をくねらせ、フリードリヒは僕に迫る。
「――――っ」
ゆっくりと息を吸った。
筋肉が収縮し、身体に力が籠もる。
「はっ」
迫る巨体、構えは下段。
短く息を吐けば、身体の力が抜ける。
大地を蹴る力は緊張の抜けた足先を伝わり、膝から股関節に抜けた。
腰を回せば力が増幅され、重い聖剣を振り抜くのに不足はない。
「死ねェェェェ!」
肩から肘、肘から手首、手首から指に力を伝達し、聖剣の刃に通す。
「『風の』フリードリヒ」
刃は彼の長い首筋を切り裂き、勢いの乗った身体はそのまま地を抉る。
断末魔は、無かった。
「君の命、無駄にはしない」
ドラゴンの肉に正直、興味津々です。
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