十二話 人生イロモノ 上
マゾーガは必死に森の中を走る。
オークの姫君として、そして一人の戦士としても、ここまでの危機は彼女は知らなかった。
「いたぞ!」
「そっちだ、追い込め!」
戦斧を持たない事がこんなにも不安だとは、己でも思っていなかったが、しかし反撃も出来ず彼女はただ必死に逃げ回る事しか出来ない。
彼女は手ごろな木を見つけると、飛燕のように跳躍し、青々とした葉の中に身を隠した。
「いたか!?」
「いや、見失った!」
「……足跡はここで途切れてるな」
眼下の光景に思わず舌打ちしそうになるのを必死に堪える。
まさか追っ手がここまで優秀だとは、予想だにしていなかった。
まるで猟犬のように、そのくせ一定の間隔以上は離れない距離の取り方をする彼らの動きに無駄はない。
これでは一人を倒したとしても、次の瞬間には他の連中に気付かれてしまうだろう。
適当に蹴散らせたゴブリン共などよりも、よほど統制の取れた恐ろしい相手だと、幾多の戦場を超えてきた鍛え抜かれた身体を震わせた。
「っ!?」
その焦りが油断を生んだのか、それとも別の何かか。
「あそこだ!」
見つかってしまった。
吹かれた呼笛の音は独特の鳴らされ方で、それにより遠く離れた味方でも意図を伝えられるらしく、遠くではマゾーガの退路を塞ぐような気配が感じられる。
「くっ!」
このままでは包囲を抜けられなくなる、と悟ったマゾーガは木の幹が揺れるほど激しく蹴り付けた。
となりの木までゆっくり歩いて八歩、全力で動いて二歩の距離だが届くという確信がある。
空を舞うマゾーガは、眼下の彼らが目を奪われるほど美しく、太い枝に手をかけ、その身を逆上がりの容量で華麗に回す見事さは言葉にならず、
「ぎゃん!」
見とれたまま走り、つい転んでしまう者がいても仕方ない。
「……!」
迷いは一瞬であった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
「……大丈夫か」
「マゾーガ、ヨっちゃんがこけた!」
「心配するな」
転んだ子供達の元に戻ると、マゾーガは懐から秘伝の薬草と水筒を取り出し、手際よく治療を始めていく。
終わる頃には子供達に囲まれているだろう事は理解しながらも、だ。
「……じゃあ、おでは、行く」
「えー、遊ぼうよ、マゾーガ!」
「ねーねー、遊ぼう!」
マゾーガは天を見上げ、ため息をひとつ吐いた。
逃げようにも子供達にしがみつかれ、よじ登ってくる者までいる始末。
世の中はままならぬ。 しかし、空は底が抜けたように青い。
「……わかった」
逃げられないなら、大人しく従うしかない。
不条理なものだ、とマゾーガは首を振った。
「やったー!」
「お話聞かせてよ!」
「えー、マゾーガに剣を教えてもらおうよ!」
はしゃぐ子供達から逃げても、泣かれてしまえば自分はまた戻ってきてしまうだろう。
それがわかっているから諦めるしかない。
「……ゾフィアめ」
それはともかく、いつか復讐してやろうと心に誓ったマゾーガであった。
「これはなかなか面白いな」
ソフィアさんが目を覚ましてから三日後、僕は何気に命の危機を迎えていた。
「この筒が散らばりやすい風の魔術を集め、刃物を飛ばすらしいな」
黒装束が持っていた杖を、ソフィアさんが僕に向けている。
右手で松葉杖を持って、左手には杖。
にっこりと笑うソフィアさんは、本性を知っている僕でも見とれてしまうほど。
「さて、避けてみろ」
「ギャァァァァァァァァァァァ!?」
ただ本性を知っているから、惚れたりは間違っても出来ない。
マシンガンのように撃ち出される風の魔術から、僕は全力疾走で逃げ出した。
「情けないな、リョウジ」
「無茶言わないでくださいよ……」
一時間は押し掛け回されたこの恐怖……!
怪我人のくせに俊敏に動き回る上、僕の進路に的確に弾丸を撃ち込んでくるソフィアさんからは逃げられず、ばしばし撃たれてしまった。
刃物はセットされていなかったけど、小石が入れられていて凄く痛い。
「お前が私にも剣を教えてくれと言うからだろう」
「こんなやり方はちょっと……」
「仕方ない奴だな……なら縛って、延々とチィルダで薄皮一枚を斬り続けてやる」
「拷問ですか!?」
「失礼な。 そうやって度胸を付けるのだ」
確かに度胸は付きそうだけど、その前に僕の大切な何かが焼け切れてしまいそうだ。
暇を持て余していたらしいソフィアさんは、新しい玩具で遊ぶためなのか本当に僕を鍛えてくれるつもりなのかはよくわからない。
一つだけ確かなのはソフィアさんに言わず、大人しくマゾーガに頼んでおくべきだった、という事だけだ。
興味本位で何もかも言えばいいってもんじゃない。
僕はこのまま殺されるんじゃないだろうか、妙に楽しそうだし。
肩の怪我もそろそろ動かした方がいいとはいえ、このままじゃ更に怪我が増えそうだ。
「真面目な話、度胸を付けるのは戦うなら必要だ。 相手の攻撃に驚いて、目を閉じてしまっては避けるのも防ぐのも出来ないだろう?」
「そりゃまぁそうなんですが」
「というわけで避けろ。 よく見ていれば何とかなる」
それはあんたみたいな剣鬼だけだ、と心から言いたい。
「さて、せいぜい逃げまわれ」
「うわぁ!?」
そんな時だった。
「やっと見つけましたわ、アカツキ!」
「む?」
その声は凛とした意志に満ち溢れている。
初めて会った時から、どこか苦手だと思うくらいに。
甘さの残るかん高い声、低い身長に収まりきらない自信が全身から溢れ出している。
ソフィアさんが静かな月だとすれば、彼女は燦々と輝く真夏の太陽だ。
「さあ帰りますわよ、アカツキ!」
豊かな髪を綺麗に巻き上げた見事な金の縦ロールを、可憐に引き立てる淡いクリーム色のドレス。
そのドレスに包まれた豊かな胸が、彼女が動くたびに激しく揺れる。
ビシッと音がしそうなくらいに、綺麗に僕を指差して彼女は、堂々と一点の曇りもなく言う。
「このわたくし、ルーテシア・リヴィングストンと!」
ああ、過去からは逃げられないのかと、僕は諦めと共に思った。
黒い歴史はいつも思い出した頃にやってくるんだ。
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