十二話 人生イロモノ 上下

 勇者として召喚された頃、ルーテシアとこんな話をした事がある。


「アカツキはどうして、何の縁もないこの国のために勇者をしてくれますの?」


 ルーテシアは不思議な女の子だった。

 城の中庭は季節の花々が咲き誇り、華やかな空間を形成している。

 着飾った貴族達はその中心でいつもお茶会などをしていた。

 しかし、ルーテシアはそんな華やかな場所を選ばず、植え込みに囲まれて緑の壁と言ってもいいくらいの狭い空間に僕を誘った。

 両手を広げれば壁と壁に手が届きそうなくらいの狭い空間に、白いクロスがかけられたテーブルが一つと椅子が二つ、白いカップが二つ。

 甘いお茶菓子すらありはしない。

 でも、そんな雰囲気でも寂しさは感じないどころか、ルーテシア自身の輝きで華やかですらあった。

 テーブルの下でこんなに綺麗な女の子と膝がぶつかりそうになるのを、ひどく気恥ずかしく思いながら『俺』は何の疑問もなく答える。


「――、――――――――!」


 『俺』は一体、彼女になんて答えたんだろう。

 テレビを見ながら僕は世界が平和になればいいな、とは思った事はあるし、一度も思った事がない人も珍しい気がする。

 でも実際に戦争を止めに行くより、こたつでみかんでも食べる事を僕は選んだ。

 僕はそんな人間で『俺』の中に、世界を平和にしてやろうという意志なんかない。


「まぁ素晴らしいですわね」


「――――――――――? ――、―――――――!」


 胸の中で安い自尊心が風船のように膨らんで、腹を見せるようにふんぞり返った『俺』が、思い返してみればたまらなく恥ずかしかった。


「この国のため、ですの?」


「―――――――――――、―――――!」


 僕は未だにこの国を何も知らない。

 日本の総理大臣くらいは知っていても、大臣の名前も覚えていない。

 ずっと生まれ育った日本に何もして来なかったのに、いきなり連れて来られただけの知らない国のために、僕が何かするはずもない。

 『俺』の中に国のため、なんて大層な気持ちはない。

 だから僕は『俺』の言葉を覚えていられない。


「民のため……立派な志ですわ」


「――――――――――……、―――――!」


 知らない誰かのために、僕は戦えない。

 ゴブリン退治だって、ティータみたいないい子が傷付くのを許せなかっただけだ。

 それは誰だって嫌だろうし、誰だってする。

 マゾーガみたいに当たり前のように人を助けてみせる気高さも、ソフィアさんの誇り高い心も持ち合わせてない、ただの力のない凡人でしかない。

 それどころか元の日本の生活では、僕は誰とも繋がれない落伍者だった。

 独りきりにしかなれない。

 『俺』はどうしようもないくらい、勇者じゃない。

 だから、


「アカツキは素晴らしい人ですわね」


 にっこりと、今になって思い出しても嘘の感じられない、心からの微笑みが嬉しくて、『俺』はルーテシアを避けた。

 他の子達の中にあった嘘を嘘と気付かず、そのくせその嘘が楽で甘えていた。

 僕みたいな劣っていて空っぽな人間が、ルーテシアの望む勇者であるはずがない。

 ルーテシアの期待が嬉しい分、失望されるのが怖くて僕は逃げ続けて、




「アカツキ!」


 僕は今も逃げ出してしまっていた。

 後ろから聞こえるルーテシアの声は、はっきりと怒りを孕んでいて振り返れもしない。

 彼女の期待を裏切ってしまった。

 僕は『俺』なりに頑張ったけど、その頑張りは方向を間違えていて、自分でも恥ずかしくなるくらいの無様さを晒していただけだった。

 強くなろうとして、笑われていた道化だ。

 今もその無様さは変わらず、やっと気付けだけで、僕がどうしようもない人間だと内側からいつも囁いてくる。

 村の外に広がる森に、全力疾走で飛び込む自分が堪らなく嫌だった。

 僕は彼女に合わせる顔がない。

 最初はソフィアさんに拉致されてきた。

 でも今は戻ろうなんて、思ってもみなかった。 『俺』だった頃は、忘れてしまいたかったくらいだ。


「ごめん……!」


 ルーテシアの望む勇者にはなれなかった。

 許して欲しいわけじゃない。

 だけど、謝りたかった。

 そして、逃げ出した僕はそのくらいの事も出来ない卑怯者で……、


「お待ちなさい、アカツキ!」


「うそお!?」


 ルーテシアはカップより重い物を持った事がないような貴族の令嬢だったはずだ!

 ドレスのまま森の中を全力疾走して、男に追いついてくるような子じゃなかったはず!?


「な、なんで……?」


 憧れとかそういう物が一瞬でぶち壊されて、僕は自分でも何がなんでなのかわからない。

 だけど現実はルーテシアに併走されている。


「なんでじゃありませんわ! どうして戻ってきませんの!」


「……っ!」


 君から逃げたんだ、とそこまで情けない事は言えるはずがないじゃないか!

 だから足に力を籠めて、僕は必死に彼女をわずかに引き離した。


「ふざけるんじゃ……」


 その声に毛穴が一瞬で開いた。

 背後を振り返れば、紅蓮の炎が燃え盛り、哀れな木々が一瞬で炭に変わるだけの熱量が僕の肌をひりつかせる。

 細い指で長いスカートをたくしあげたルーテシアは、黒いタイツから手首から肘くらいまでの長さしかない短めの杖を抜き取った気がするけど、僕は思わず目を逸らしていた。

 白いぱんつなんて見てません!


「なんて言ってる場合じゃない!」


「ありませんのよ!」


 目を逸らせば死ぬ。

 黒装束の前に飛び出した時のより、激しく命の危険を感じる。

 例えるなら山道で腹を空かせた熊と、ばったりと出くわしたような状況だ。


「焼き払いなさい!」


「い、嫌だァァァァァァァァァァ!」


 ルーテシアの炎は、辺り一面を一瞬で、音も無く焼き払う。

 その威力は隕石でも墜ちてきたか地獄でも生み出したかのような、ひどい有り様を作り出す。


「さあ、出てきなさい、アカツキ」


 まだ残る火の粉がルーテシアの金髪を輝かせるが、その表情は酷薄な印象すら受けるだろう。


「今は外して差し上げましたが、わたくしには生命感知の魔術があります。 どこにいようと……あら?」


 僕が見ていれば、だけど。


「ど、どこに行きましたのよ、アカツキィィィィ!?」


 ソフィアさんに追いかけまわされた経験と、ルーテシアの炎で命の危険に晒された僕は、どうやら奇跡的な逃げ足を手に入れたらしい。


「さよなら、ルーテシア……僕は……僕は逃げる」

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