十一話 How much is the price of the life? 下下

 思い切り叩きつけたスーパーボールのように、セイル・セイルは辺りを激しく跳ね回る。

 それに対してソフィアさんは、足に根を生やしたかのように微動だにしない。

 ぴんと張り詰めた空気はとっくに臨界点を突破していて、波打ち際に作った砂山が崩れて行くような感触がある。

 ここまでくれば決着はすぐ側にあるのだと、僕でも理解出来た。


「だから」


 選択肢は三つ、と決め打つのに変わりはない。

 ただ場所が悪かった。

 ソフィアさんとホブゴブリン達の死体の間に僕は走り込んだ。

 多分、僕自身は狙われないだろう、という第一の賭けは正解だ。

 一応、これでも勇者という事になっている以上、いきなり殺される事はないはずだと……だったらいいな、と考えていた。

 そして、伏兵が仕掛けるタイミングはセイル・セイルが、ソフィアさんにぶつかる瞬間以外にはない。

 それ自体は僕ではわからないけど、今回は背後にいるソフィアさんが教えてくれる。

 穏やかな呼吸にも、潮の満ち引きにも似た何かが僕の背中に触れて、離れて、触れた。

 ゆったりとしたリズムだけど、その中に含まれているのは激しく打ち鳴らされるドラムのように荒々しく、だけどしっかりとした流れがある何かだ。

 これが剣気ってやつなのだろうか。

 ソフィアさんの剣気は全然、まったく優しさの欠片も見当たらない。

 だけど、触れれば切れる日本刀が人の心を掴んで離さない美を孕んでいるように、切なくなるほど清廉な物を感じて、僕の中にある迷いがすっぱりと斬られた。

 これでいいのかはさっぱりわからないし、正解の自信は未だにない。

 だけどまぁ全力でやるだけやってみようか、と素直に思えるくらいには綺麗に斬られた。

 そして、その気持ちはソフィアさんの気持ちでもあるような気がして、僕は目を閉じる。

 真っ暗になった視界、鼻の曲がりそうな血と臓物の臭い。

 臭いが僅かに強くなった気がした。

 ソフィアさんの呼吸はゆっくりと、そして浅くて長い。

 セイル・セイルの短刀が空を攪拌するミキサーのような耳障りな音を立てている。

 その中で小さな、肉を切る音がした。


「ああ、嫌だなあ……」


 身体はまだ震えている。

 ライオン達が喧嘩しているど真ん中に、チワワが紛れ込んだらこうなる、という感じだ。

 だけど、僕のそんな弱気とは関係なく身体は動く。 動いてしまった。

 左手側に一歩。


「正気じゃないよなあ、これ」


 僕は目を見開いた。 不思議なくらいクリアな視界。

 剣道の基本を思い出しながら、腰に括り付けていたマゾーガから借りた分厚い短刀を抜く。

 目を開けば、ホブゴブリンの腹からセイル・セイルのような黒装束が頭を出していて、まるでライフルに似た銃口が取り付けられた魔術師の杖が握られている。

 結局の所、あらかじめ何とかするのは僕には不可能だし、もし見つけたとしても倒せるはずもなく。

 ならソフィアさんが狙われる瞬間、届く範囲にいるしかない。

 一秒しか盾になれないなら、その一秒で出来る事をする。

 そして最後のこの一瞬、間違う事なく三択を選んだ。

 場所を取り、タイミングを測り、その間に身体を滑り込ませられたのは、運や偶然ではなく必然だと、ソフィアさんをたった一秒でも僕が守れたと胸を張って言える結果を、確かに自分でつかみ取った。

 ただ問題はまだ残っているわけで……。


「斬れるわけ、ないよね」


 光輝く魔術師の杖は、すぐに臨界を迎えた。

 ソフィアさんを真っ直ぐ狙う銃口から、飛び出した視界に捉えられるわけもない速さで飛んでくる何かの前に、僕は身を投げ出すようにして立っている。

 そして振る事を諦めて、せめて嫌がらせとして投げた短刀が妙によく飛んで行くのを、僕は人事のように見ていた。










 視界の端でリョウジが倒れるのを見た。

 そして、感じるのは深い絶望。

 確かにセイル・セイルは向かってくる。

 しかし、腰が入っておらず、進路を変えるつもりなのが見え透いていた。

 囮としてセイル・セイルの無限剣、本命は伏兵だったのだろうが、


「逃げたな、貴様……!」


 何故、そこで引く。 あと少しで私の命に届くだろう。 互いの頃合いは満ちているはずだ。

 言いたい事は山ほどあり、だが結局の所、一つしか言葉にならず。


「許さぬ」


 力を失い萎えた足も、今だけは素直に協力してくれた。

 なにしろ私の足である。 この身を焼く憤怒の炎は、奴の血で消さねば収まらないとわかっているのだ。

 進路を左に変え、体勢を立て直そうとしたセイル・セイルの前に立ちはだかる。

 あっさりと周り込まれた驚愕に目を見開く奴の無限剣は、主人の動揺を露わとし、無様に互いがぶつかり合い、刃の結界は無様に乱れた。

 だが、そんな事は関係ない。

 無限の刃が作る結界を無視し、踏み込む。

 この身に突き刺さる刃の痛みを気にする事もなく、ただ怒りのままに刃を振るい、その一刀は逃げる事を許さない。

 チィルダの刃は、確かにセイル・セイルの脳天から股下まで一刀両断とした。


「な、何故……!?」


「決まっている」


 チィルダで虚空を斬り、汚らわしい血を払う。


「最後の最後で他人を頼った時点で、貴様の負けだ」


 からからと音を立て地に落ちる百の刃は、突如として乾ききった土くれと化す。

 その中で残った、たった一本の地味な短刀を私は拾い上げた。

 手に持つと軽く魔力を吸われる感覚があり、気持ちが悪い。

 これこそが天下五剣の四、無限剣の正体か。


「……つまらん」


 全身全霊を賭けた私の打ち込みを、二の太刀を考えた腰の引けた動きで避けられるものか。

 マゾーガの協力を得たし、リョウジにも手伝わせたが、私はその全てを忘れていたし、武芸者でなくとも忘れるべきだ。

 いきなり背後から討たれようと、眼前の敵に首だけで食らいつく気概が無ければいけない。

 まったく……最後の最後に締まらぬ相手だった。


「まぁ……今回ばかり褒めてやる、リョウジ」


 倒れたリョウジの肩からは血が流れし、気を失っていた。

 傷はさほど深くなく、何やら金属片が突き刺さっている。

 毒ではなさそうだし、衝撃で頭を揺らされて倒れているのだろう。

 リョウジの投げた短刀は、一応はもう一人の黒装束に当たったらしく、足が揺れて立ち上がれていない。

 刃は当たらずとも鉄の棒を投げつけられれば、まともには動けなくなる。

 一応、まだ残った短刀を、黒装束に投げつけておく。

 結果は見るまでもない。


「これだけ血が流れたなら、乙女の日も軽くならないだろうか……」


 それで気が抜けたのか、限界だった身体が勝手に崩れ落ちる。

 軽口でも叩かなければ、やってられん。

 性根が武芸者ではなくとも、暗部頭セイル・セイルの腕は確かであり、まさに死の淵にまで追いこまれてたらしい。


「天下五剣が一角……魔剣、チィルダが主……ソフィア・ネートが、討ち取った……!」


 勝ち名乗りと同時に、無限剣を軽く上に放り、斬り捨てる。

 真っ二つになった無限剣がからんと地に落ちると同時に、力を失った私の膝も地に落ちた。

 倒れ込み、薄れる視界の中、何故か爺の泣き顔が見えた気がして、


「今だけは、お小言は勘弁してくれ……」


 私はゆっくりと目を閉じた。

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