九話 Not in Education, Employment or Training 中上

 朝でもなく昼でもない微妙な時間帯で、十あるかないかくらいのテーブルには俺達以外の客の姿はない。

 他には鬼瓦みたいな顔をした宿屋の主人が、カウンターで壮絶な仏頂面のまま皿を磨いているだけだ。

 あんな顔で若くて美人の奥さんと可愛い娘さんがいるんだから、人間わからないもんだなあ。

 ソフィアさんが宿屋から出て行くのを溜め息一つと共に見送ったGさんは、何故か金縁のモノクルを左目に付けると、まるで面接のように俺に質問を始めた。


「剣に自信はありますか?」


「まず剣を持っていません……」


 聖剣出なくなったし。

 それにソフィアさんと、おっさん……いや、アラストールさんの立ち合いを見たら、勇者の力があっても自信があるなんて間違っても言えない。

 お互いにたった一振りだったけど、あの濃密な空間は蛇に睨まれた蛙の気分を俺に味わわせてくれた。

 むしろ野生に捨てられたチワワが寝ていたら、すぐそばでライオンが喧嘩を始めて、どうかこっちに気付かないでくれ!と祈る気持ちというか。


「……そうでしたね。 読み書きは出来ますか?」


「いえ、こっちの世界の文字は書けません……」


 まさか十六歳にもなって、こんな事を言う時が来るとは思わなかった。

 読み書きも出来ないなんて情けない……。

 落ち込む俺を見かねたのか、Gさんは優しく笑みを含んだ声で慰めてくれる。


「皆、読み書き出来るなら代筆業なんて商売上がったりですよ」


 読み書きが出来ない人のため、代わりに誰かに手紙を書く仕事を代筆業と言うらしい。

 召喚された時、話せるだけじゃなくて、文字も一緒に覚えられるようになればよかったのに。

 それはともかくこういう宿場町だと、旅先から家族に手紙を書こうって人も多いんだろうな。

 家族か……と少し考え込んでいた俺にGさんはあくまで朗らかに、言った。


「それに勇者様の本当のお仕事は魔王を倒す事なんですから」


 ニート扱いされた時より、激しい痛みが胸に走る。

 Gさんに悪意はないし、ただ当たり前の事を言っただけなんだろう。

 こっちに来てから何度も感じてた素朴な尊敬の念が、今になってひどく重く感じ、どうしようもなく苛立ってくる。


「俺なんかが……」


 八つ当たりだ。

 八つ当たりだ、という自覚があっても、止められない。


「俺なんかが行くより、ソフィアさんが行く方がよっぽど魔王倒せるだろ!」


「あ、あの……」


 彼の幼い感じがする顔に、明らかな困惑が浮かぶ。

 そりゃそうだ。 俺は異世界から神に導かれて、この世界を救うために召喚された勇者様だ。

 読み書きが出来ようと、代筆するためにこっちの世界に来たわけじゃない。

 だったら強くなきゃいけないのに、ソフィアさんに素手でぶちのめされて、勝ったはずのアラストールさんは俺より遥かに強くて、俺を好きだって言ってくれた皆は全部、嘘で。

 俺の女なんて言ってた自分が恥ずかしいし、強い強いと調子に乗ってた俺より遥かに強い人達がたくさんいる。

 なら、俺は一体なにをすればいいんだ!


「だからさ、俺が何かする意味ないだろ! 弱いんだよ、俺は! 勝てるわけねえだろ、どうしろってんだよ……俺はただの高校生なんだ! 化け物退治とか端から無理だって!」


 Gさんの横に座っているオークの腕を見てみろよ。

 俺の首なんて簡単にへし折れるぜ。

 俺を勇者にするより、このオークを勇者にしたほうがよっぽど強そうだ。

 神様とやらも俺なんかを勇者にするより、もっと強い人を見つければよかっただろうに。


「小僧」


 叫んでいた俺の言葉が途切れた僅か隙間に、低い声が差し込まれた。

 カウンターに立っていた宿屋の主人の声だ。


「俺の気に食わない真似をするな、それがここでのルールだ。 わかったな」


「は、はい! すんませんでした……」


 こ、こええ……。

 間違いなく宿屋の主人の空気じゃないよ……マフィアのドンかなんかだよ、この人。

 苛立ちよりも先立つ恐怖に、黙り込むしかない。

 だけど苛立ちが消えたわけでもなかった。


「あ、あの……勇者様」


「G」


 何かを言おうとしたGさんを、オークが止める。

 宿屋の主人よりもおっかない強面が、俺をしっかりと見詰めてきて、思わず目を逸らしてしまった俺は、やっぱり勇者なんて凄いものじゃない。

 大体、なんでオークなんてものが人間の街にいるんだよ。

 魔物ではないらしいけど、どうせ似たようなものだろ。

 きちんと首輪を付けて繋いでおけば、まだ安心出来るのに。


「ここは、おでに任せてくれ」


「で、でも」


「頼む、G」


 Gさんはオークの言葉に少し考え込んだが、


「……無茶はしないでくれよ?」


 その人は勇者様なんだから、と言葉にならなかった内心が聞こえた気がした。

 でも、だからって俺に何が出来るって言うんだよ。


「大丈夫だ」


「へ?」


 オークのでかい手が、むんずと俺の頭に乗せられた。

 ごつごつとした手のひらは、俺の頭をがしっと掴むと、


「いだだだだだだだだ!?」


「ちょっと、働いてくるだけだ」















「き、今日からお世話になるリョウジです……よ、よろしくお願いします」


「マゾーガだ」


 並んで立つ俺達の前に、十人ばかりの人達が思い思いに休んでいた。

 どの人もムキムキとした筋肉をしていて、近付けば汗くさそうだなあ……。


「なんだ、兄ちゃん! ちゃんと飯食ってんのか? 元気ねえな!」


 背は低いけど、この中でオークと同じくらいがっちりとした身体をした髭面のおっさんが、やたらやかましい笑い声を上げ、


「親方、こんなひょろいの連れてきて役に立つんすか?」


 俺と同じくらいの年だろうけど、俺を見る目は凄く冷たい奴もいて、


「まぁなんだ、仲良くしてやれよ」


 と、無精ひげを生やしたやる気の無さそうなおっさんが、頭をかいていた。


「……なんで異世界に来てまで、大工仕事せにゃならんのだ」


 渡された作業着は正直、かなり汗臭い。

 憂鬱過ぎる……。


「さ、作業開始だ。 気をつけていけよー」


「うーっす」


「がはは、いっちょ気合い入れて働くか!」


 俺の異世界始めての労働が始まった。

 工事現場でアルバイトって元の世界でも出来るだろ……。

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