五話 誰かにとってのDEADline・中中

 狭い階段だった。

 明かりは先を進むチィルダが持つ松明一本で、人一人が歩くだけですれ違うのにも苦労するだろう。

 しかし、なかなか傾斜のきつい階段を、グレゴリウス氏は苦もなく降りて行く。

 湿り気は感じられず、むしろ空気は乾燥している。


「魔術の、気配がするな」


「そうだな」


 階段を降りた先に、圧迫感すら覚える強い魔力を感じ、マゾーガはその身に力を籠めた。

 そういえば聞いた話によると、魔術師の研究所というのは外に魔力を漏らさない構造になっている事が多いらしい。

 強い魔力は魔物を引き寄せてしまうのだそうだ。

 しかし、ふと思ったが何故にこの力を魔力と呼ぶのだろうか。

 人類の敵である魔王、魔を統べる王。

 魔の力、魔力。 魔物。


「何故、魔力と呼ぶのだろうか」


「……知らん。 ゾフィアも、少しは警戒をしたほうが、いい」


 むぅ、人がたまに知的な好奇心を発揮したというのに。

 マゾーガの言葉には、隠す気のない呆れがあった。


「魔術というのは、その名の通り魔を扱う術(すべ)」


 これまで無言だったグレゴリウス氏が口を開く。


「私達、魔術師はまず魔に堕ちない事を学ばされます」


「ほう」


「私達は知っているのですよ。 ほんの少し踏み込めば、そこが魔の領域である事を」


「つまり、ここが貴方の魔、ですか」


「ええ」


 階段を降りたそこは、グレゴリウス氏の内臓とでも言うべきか。

 無味乾燥な上の小屋とは違い、ここにはグレゴリウス氏という人間がこびり付いていて、生臭さすら感じる。

 狭苦しかった小屋に比べ、地下に広がる空間は広い。

 地上の村と同じ程度の広さを持った空間は、乱雑に転がる紙片で足の踏み場もなく、その全てに白かったはずの紙が黒く見えるほどに何かが書き込まれている。

 中央にでんと備え付けられた、頑丈さしか取り柄のなさそうな巨大なテーブルの表面には、所狭しと文字が刻まれ、青白く発光していた。

 だが一番、目を引くのは壁に突き刺さる剣の群れだろう。

 石造りの壁に容易に突き刺さっている剣達は、その全てに見事な装飾が施されており、数々の宝石や金銀で輝いている。


「私に見せたかった物というのは」


「私は歴史に名を残したかった」


 チィルダの手を離し、グレゴリウス氏は部屋の中央に歩を進めた。

 その足取りは孫娘に手を引かれなければ歩けない、足の萎えた老人のものではなく、しっかりとしている。

 私達に背を向けたグレゴリウス氏の独白は続く。


「だが魔術師として戦いの才能はなく、魔物の前に立てば無様に足が震える」


 今までの丁重な、表面のみは丁重な言葉は消え、


「ならば勇者の使う剣を作れば、私の名は千歳に残る。 そう思った」


 小さな背だと、感じた。


「だから私は作った。 私の剣に籠められた魔力は他の者が作った剣に比べて素晴らしいはずだ。 私の作る剣は誰が作った剣よりも切れ、激しい炎を発し氷の冷たさは触れただけで敵の身を砕く」


 その小さな背が振り返る。

 グレゴリウス氏は、まるで恨みでも抱くような、仇でも見るような視線で私を射抜く。


「どう、思いますか。 私の人生を賭して作り上げた剣の数々は」


 その言葉は大きくはなかった。

 だが血を吐くような、そんな追い詰められた響きがあった。

 私に求められているのは、世辞や虚偽ではない。


「素晴らしい物かと」


 だから、私は正直に言った。

 私の言葉に、グレゴリウス氏はにこりともせず、問いを重ねる。


「ならば私の剣を使っていただけますか」


 実のところ、この言葉は質問ですらなく、ただの確認なのだろう。


「お断りします」


 グレゴリウス氏は憤怒としか呼びようがないものを発し、その身から溢れる魔力は紙片を勢いよく空に舞い上げた。


「ゾフィア!」


「下がっていてくれ、マゾーガ」


 マゾーガが私を守るように前に出ようとしたが、それを止める。


「何故、誰も私の剣を使わないのだ! 剣を握った事もないような貴族や商人共はこぞって私の剣を買い漁り、一流の遣い手達は見向きもしない! 私の剣は壁に飾る絵だとでも言うのか!」


「貴方の作る剣も、遣い手を見ておりますまい。 全てが駄剣かと」


 髪をかきむしり哀切を吐き出すグレゴリウス氏に、殺気はない。

 壁に突き刺さる剣の群れには、凄まじい力が感じられ、一振りすればどれだけ恐ろしい事になるのか。

 しかし、全ての剣の重心が奇妙なまでにバラバラだ。

 切っ先が重い程度なら、まだ使えなくもないが、さすがに柄に重心を寄せられては使いにくいという段階ではない。

 そして、この妙な偏り方は恐らく脆さを孕む作りをしている。

 打ち合っている最中にぽきりと折れかねないような剣に、命を預けられる剣士がいるはずもなく、例え千金を積まれようと、私はグレゴリウス氏の剣に命を預けようとは思えない。

 結局、この期に及んでも、自分の人生全てを侮辱した私に殺気を向けないグレゴリウス氏は、どこまで行っても人を見ていないのだろう。


「ははは」


 グレゴリウス氏はあっという間に憑き物が落ちたような、さっぱりとした表情を浮かべた。


「私の百年を、よくも一言で切って捨てたものよ」


「困ったものですな」


「私をこうまで侮辱したのだ。 覚悟は出来ておろう」


 寒々しい、どうしようもなく寒々しい演技だ。


「明日の昼、村の外れにある一本松の下で、貴様に引導を渡してやる。 逃げるでないぞ」


「ええ」


 吹っ切れたように、僅かに微笑むグレゴリウス氏に、私は怒りを覚えた。

 私を命の捨て場にするな、と怒鳴りつけてやりたい。

 いっそ首でもくくれ、とでも言ってやるべきか。


「では、また明日、お会いしましょう」


 だが結局の所、戦わなければいけない。

 他者の意志も、人が人として生きるための鎖も斬り捨て、己の技を高める事だけが、我が生。

 だがグレゴリウス氏への不愉快さ以上に、立ち会いに浮き立つ自分がどうにも煩わしい時もある。

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