第11話 聖域の遺跡

 翌日、七瀬はディオグに船着き場へと呼び出された。


 七瀬は朝から何の用だろうと思いながら、リウンとともに船着き場へと向かった。

 湖のほとりにある船着き場には朱塗りの華美な小舟が停まっており、しばらくするとディオグが現れた。


「昨日はあちらの世界の服を見せてくれて、ありがとう。お礼に、今度は僕がこの世界を案内してあげる」

「はぁ、それはどうも……」


 案内してもらえるのは嬉しいが、相手がディオグとなると話は別である。

 だが残念ながら今回は断る理由が見つからず、七瀬は仕方がなく誘いに乗る。


「喜んでもらえてうれしいよ。それじゃ、出発しようか」

 そう言って、ディオグはリウンに櫂を任せて船を出した。


 曇天の鈍い明るさの空の下、湖から森の中へと船は向かった。川は森の中で入り組んでいたが、船の進みは順調だった。


「ディオグは私に、何を見せてくれるの?」

 また流血沙汰が待っているのではないかと不安になりながら、七瀬は尋ねる。

 船は、七瀬が最初にやって来た場所よりももっと深い場所へと進んでいるようだ。


「ナナセに古代の遺跡を見せてあげようと思ってね。この森の奥には宮殿の近くの湖よりもさらに大きな湖があるんだけど、その手前に神殿みたいな遺跡があるんだよ」

 七瀬の正面に座り、ディオグは船縁にほおづえをついて辺りを静かに覆う木々を眺めていた。


 ディオグの答えが思ったよりも穏便だったので、七瀬はほっと安心した。


(こんなところに遺跡がね……)


 周りは人工的なものがまったく見えない森であるので、そこに遺跡があることを七瀬は意外に思った。


「リウン、あそこで停めて」

「かしこまりました」


 ディオグはリウンに指図して船を停めさせた。

 舟が岸に着くと、七瀬とディオグは船を降りた。だが、リウンは降りなかった。


「リウンは来ないの?」

 七瀬は、振り向いて尋ねた。

「遺跡は俺が立ち入ることができない聖域ですから、ここで待っています」

 木に縄をかけて船を固定しながら、リウンは答えた。


 聖域と言われても、七瀬はいまいちぴんとこなかった。


 すると、ディオグがさらに説明した。

「この奥の湖の周辺は、王族と限られた人間だけが入れるんだ。特に遺跡の中は、基本的には王族しか出入りできない決まりでね。ちなみに今度また起きる予定の瑞風も、聖域の中心の湖で起きるものなんだよ」


「へぇ……。そうなんだ」

 七瀬は森を見渡した。

 思い返してみると、瑞風は聖域で起きるものであるとリウンから聞いたような気がする。おそらく最初に七瀬が倒れていた場所も聖域の中だったのであろう。


「じゃあ、また後で」

「はい。お待ちしております」


 ディオグが手を振ると、リウンは深々とお辞儀をした。


 そうして二人になった七瀬とディオグは、森の奥深くへと進んだ。

 深く広い森であるので、七瀬にはまったく道らしきものは見えない。

 しかし、ディオグは迷うことなく歩いていた。


 しばらくすると、ディオグは明るい声で進行方向を指さした。


「ほら、あれだよ」


 その指の先には、古い石造りの巨大な建築物があった。それは無数の浮き彫りに彩られ、元は荘厳な神殿であったと思われた。

 だが今は遺跡の存在を無視して成長した木々に飲み込まれ、朽ちて消えて行こうとしていた。太く力強い木の根に建物が侵食されている様子は、観光名所になれそうなほど圧巻である。


「何千年も昔の神殿なんだけど、すごいでしょ」

 ディオグは誇らしげに七瀬を中に招き入れた。


 兵士の彫刻に守られた出入り口をくぐれば、中には薄暗くひんやりとした空洞が広がっていた。壁にぎっしりと彫り込まれた絵や文字が、外の光に照らされている。

 目が慣れると、奥の方には大きな祭壇のような石が置いてあるのが見えた。


 暗闇の中、奥へと進みながらディオグは言った。


「何でナナセをここに連れてきたかっていうと、どうもここは稀客と関係がある場所みたいなんだよね」

「私みたいな人に関する儀式か何かを、ここでしてたってこと?」


 七瀬は形がわからないほど暗い天井を見上げた。

 そこは何らかの儀式以外の使い道はまったくなさそうな場所であった。


 ディオグは壁に近づき、白く長い指で壁に刻まれた浮彫をなぞった。


「多分ね。遺跡そのものに刻まれた碑文は、破損が激しくて読めないから、詳しいことはわかんないんだけど。でも比較的新しい……って言っても数百年くらい前に新しく奉納された石碑がここに残されていてね。それには太古の王と稀客の少女の悲恋の伝説が記されているんだ」


「悲恋?」

 七瀬は聞き間違いかと思って聞き返した。

 それはディオグの口から発されるにはロマンチックすぎる単語だった。


 だがディオグは本当に七瀬に恋物語を聞かせるつもりだったらしく、後ろで手を組んで壁の前を歩きながら話を続けた。


「うん。僕よりも何十代も昔にダトっていう王がいるんだけど、その治世にも瑞風が起きて稀客がやってきたんだって。その稀客はとても美しく心優しい少女で、ダトは彼女に恋をした。少女もまた、異界で自分を慈しんでくれたダトを愛した。ダトは少女をずっと側に置いておきたがった。でも稀客を帰さないのは国に災いを招く行為あり、許されないことだったんだ」


 ディオグの語る古代の稀客の少女の話は、七瀬と同じ状況にいるとは思えないほど甘やかである。美しくもなく優しくもない自分では、綺麗な物語のヒロインにはなれないのだと七瀬は思った。


(ま、そもそもそうなる気もないけどね)

 七瀬は限りなく他人事な気持ちで、その遠い昔話に耳を傾けた。


「だからダトは少女を瑞風の起きる夜に元の世界に帰し、愛した存在に二度と会えなくなる道を選んだ。少女を失ったダトの悲しみは深かった。太古の王は何百年も生きる人もめずらしくはなかったけど、少女との別離を嘆くダトは長くは生きなかった……っていうのが、だいたいの内容。悲恋をすると、寿命が短くなるのかな」


 ディオグは伝説を話し終え、立ち止まった。ディオグの興味は、長生きするはずだったなぜ王が短命になってしまったのか、と言う点に向けられているようだ。

 そして、くすりと笑って付け加えた。


「僕がダトだったら災いなんて気にしないけどね。どんな手段を使っても、欲しいものは手に入れる」


 それは冗談のような響きだったが、間違いなくディオグの本気であった。


(……まさか、私の話じゃないよね?)


 もしかしたらディオグは自分を元の世界に帰すつもりがないのではないかと考え、七瀬は一瞬怖くなった。めずらしい客人への好奇心以上の感情をディオグから向けられた覚えはなかったが、それでも文脈上不安になってしまう。

 だがディオグは七瀬の顔色が悪くなったことに気付いて、安心させるように微笑んだ。


「あ、君のことはそこまで好きってわけじゃないよ。だからその点は大丈夫」


 七瀬が伝説の少女とは違い可愛げがないように、ディオグもまたダトという王とは違って情緒に欠けていた。


(この人に好かれてなくて、本当に良かった。でも……)


 稀客であるということ以外に何もディオグに関心を持たれていないことに、七瀬は心底ほっとした。

 だが同時に、自分が今この世界に立っていることへの疑問が頭をもたげる。


(どうして私は、ここにいるんだろう。昔話と違って、私がいてもここの世界の人は何も変わりはしないのに)


 遺跡の暗闇の中で、七瀬は無性にむなしくなった。

 なぜ自分が稀客として招かれたのか、どうにかする力もないのになぜ異世界の不幸を見つめ続けなければならないのか、誰かに問いたかった。


 だが側にいるのは古代のロマンに浸って遺跡の説明をするディオグだけで、答えてくれる人はどこにもいなかった。

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