第10話 狂王とセーラー服

 その夜、七瀬は学校の制服を着て宴の場所へ向かった。

 なぜわざわざセーラー服に着替えたのかというと、ディオグが七瀬の世界の服を見たがったのである。


「ナナセ様、陛下はもうお待ちです」

「うん。わかった」


 リウンに呼ばれ、七瀬は足を速めた。

 制服は着慣れた物であるが、立派な宮殿の中で着て歩くのは変な気分だ。


 宴の場所は、先日と違い室内であった。

 山河の描かれた障子に囲まれたその部屋は学校の教室くらいの広さで、人も余裕を持った間隔で座っていた。前回よりも、かなり小規模な集まりである。


 リウンに席に案内されると、隣にはやはりディオグがいた。

 にっこりと微笑み、ディオグは七瀬を迎えた。


「よく来たね。それがあちらの世界の服なんだ。可愛いよ」


 ディオグは、銀色の細かい飾りが縫い付けられた深い藍色の長衣を着ていた。蝋燭の光に飾りがきらめく様子は、まるで星空のように美しかった。

 服に合わせたのか冠も銀色で、ディオグの黒髪によく映えていた。

 ディオグの女性的な顔立ちに落ち着いた華やかさを添える、品の良い装いである。


「今日もお招きありがとう、ディオグ」

 七瀬はディオグの隣に座りながら、社交辞令のお礼を言った。

 異常性を知ってしまった今、ディオグとはあまり会いたくはない。だが客人としての務めを考えると誘いを断ることもできなかった。


 気が乗らない七瀬に対して、ディオグはさっそくセーラー服に興味を示して声をはずませた。


「見たことのない生地の服だね。おや、この金具はなんだろう?」

「これはチャックって言って、脱いだり着たりするときに使うんだよ。ほら」


 妙に細かいところに関心を持つディオグに、七瀬は上着の裾のファスナーを少しだけ上げ下げしてみせる。

 ディオグはそれを不思議そうにしげしげと見つめた。


「へぇー、面白いなぁ。ね、後でその服、僕が着てみてもいい?」

「いいけど、これ女子用だからディオグが着るのは変だと思うよ」


 七瀬は、ディオグに圧され気味になりながら会話した。楽しそうに話している姿を見ると、ディオグが度を超えた嗜虐趣味の持ち主だということが信じられない。

 だが同時に、こうやって自分はまともな人間だと見せかけることができるからこそ、ディオグは恐ろしいのだとも思った。


 そうしているうちに、女官が料理を運んできた。卵の入ったスープや、蒸し鶏などが机の上に並ぶ。


 ディオグは脇に控えている楽士を見遣り、無言で指示を出した。

 楽士は琵琶のような楽器でゆったりとしたメロディーを奏で、宴が始まった。

 出席者はディオグへの怯えを隠し、偽りの盛り上がりを演出する。


 その不気味な空気に、七瀬はまた居心地の悪さを覚えた。


(でもま、雰囲気を気にしても仕方がないし、とりあえず食べようかな)


 昼に乗馬をしたため、七瀬は空腹を強く感じていた。

 細かいことは気にしないことに決め、鶏肉を手に取って思い切りかじりつく。


 辺りを見回すと、リウンとキエンは今日も似たような年齢の兵士たちと共に壁際に並んでいた。何度見ても、二人は双子のようによく似ている。


「本当に、あの二人は顔だけはそっくりだな……」


 七瀬がつぶやくと、ディオグがスープを飲みながら説明した。


「リウンとキエンは、誕生日も一緒らしいからね。リウンは邑の長の長男で、キエンはその従兄弟。親同士の関係も良好で、それは仲良く育ったんだって」


「邑の長の長男なのに、ここにいるの?」

 七瀬は悪い予感がしながらも聞き返した。

「その邑の長は死んで、邑自体ももう今は無いからね」

 案の定、ディオグの答えは残酷だった。


 その詳しい事情について、ディオグはさらに話を続ける。


「リウンのいた邑は鉱山を持っていたから、鉄を納めさせてたんだ。だけど邑の長だったリウンの父親は、ある日鉄を送るのをやめて反乱を起こした。だから僕がその邑を平定したんだよ」


 ディオグは自分のしたことについてあっさりと語った。

 しかしそれでも相当酷いことをしたであろうことは、よく想像できた。


「で、リウンとキエンは人質みたいな感じで連れてきたんだけど、結局鉱毒に汚染されたり土砂崩れが起きたりで邑は無くなっちゃったんだ。多分、あの邑の出身で生きてるのってあの二人だけじゃないかな。気の毒な話だよね」


 虐げた張本人であるディオグは、その不幸をとても楽しそうに笑った。

 余所者である七瀬が相手だからより一層、素の酷薄さが出ているようであった。しかしそんな心を開かれたところで、七瀬はまったく嬉しくはなかった。


(そうか。リウンは帰れないんじゃなくて、帰る場所がないのか……)

 七瀬は、離れた場所にいるリウンをちらりと見た。


 命令に従い続けることに何の疑いも持っていない真面目さで、リウンはそこに立っていた。だが置かれている苦境を知ったせいか、その姿はいつもよりも孤独に見えた。

 故郷の喪失は、キエンはともかくリウンにとってはつらいものであったと考えられた。


 リウンの過去を知って暗い気持ちになっている七瀬を面白がるように、ディオグが顔を寄せて覗きこんでくる。


「こういう話、もっと聞きたい?」

「いや、もういいよ」


 七瀬が即座に断ると、今度はディオグが七瀬に質問してきた。


「そっか。じゃあ今度は、君の世界の話を聞かせてよ」

「私の世界の話って?」

「この服以外にはどんな服があるのかとか、食べ物についてとか、何でも。そうだな、僕は医学の話が特に気になるね。君の世界の技術はかなり高度みたいだけど、不老不死の人間はいないの?」


 七瀬の着ているセーラー服のリボンを、ディオグはそっと撫でながら言った。


 ディオグの形の整った瞳に見つめられ、七瀬は宇宙人として観察されているような気分になった。恋愛的なときめきは、まったくと言っていいほど感じない。


「この世界よりも多分寿命はずっと長いし老化の研究も進んでるけど、さすがに死なない人はいないよ」


 七瀬は後ずさりし、ディオグの手から逃げて答えた。

 ディオグはがっかりした顔で、ほおづえをつく。


「君の世界でも、人はやっぱり普通に死ぬんだね」

「不老不死に憧れてるの?」


 心から残念そうなディオグの様子を意外に思い、七瀬は尋ねた。

 ディオグは、当人比では比較的真面目な言葉で答えた。


「死にたくないってわけでもないんだけど……。そうだね。僕は今まで何もかも自分の思い通りにしてきた。だからいつどうやって死ぬかも、自分で決めたいって感じかな」


 それは全て満たされた権力者の欲望かもしれなかったが、七瀬でも共感できないことはない願いだった。


「古文書によれば、昔の王には若い姿のまま何百年も生きた人がいたらしいけど、そういうのが僕の理想だね。伝説だった稀客もこうやってちゃんと実在したし、不老の王もいたとは思わない?」


 ディオグは目を輝かせて昔話を語った。


 思い出してみると、ディオグは七瀬がこの世界に来た最初の日も古文書の記述について意見を述べていた。どうやらディオグは不老不死のような悠久の生を感じさせる、古代の伝承に心を惹かれているようである。


(この人にも一応、人を傷付けること以外への興味があるんだ)

 七瀬は、ディオグの人間的な一面を初めて見たような気がした。


 しかし、そうやって平穏な会話ができたのは一瞬のことであった。

 部屋の真ん中あたりに座っていた臣下の年老いた武人が、異常に苦しみだしたのだ。


 それなりににぎやかになっていた人々の声が静まり返り、老人の悶え苦しむ声が広間に響き渡る。


 老人はやせた体で床にへばりつきながら、大量の血を吐いていた。

 周りの人間は皆苦しむ老人に手を差し伸べることなく、身を引き遠ざかった。


(今度は毒殺……?)

 尋常ではなく苦しむ老人の姿を見ながら、七瀬はそれが単なる病気などではないことをすぐに理解した。


 老人が自らの吐いた真っ黒な血の中を音を立てて這いずり回る様子は、まるで地獄みたいな光景だった。

 絶対に助かりそうにないのに、老人はすぐに死ぬことなく長々と苦しんだ。

 息も吸えずに嘔吐し続ける老人の苦悶の声は、その場にいる者のほとんどが老人の速やかな死を願うほど長く続いた。


 だがやはり、ディオグの反応は他の人とは違った。

 ディオグは死にゆく老人を見ながら薄笑いを浮かべていた。


 やがて老人は痙攣し、声はだんだん小さくなった。

 震えが止まり声も消えて、老人の命はやっと失われた。


 人々はその恐ろしい死に方を前に、皆黙りこんだ。

 静寂を破ったのは、ディオグである。


「もうお歳だったし、病かな? 先々代のころからいてくれた忠臣で、使えない人じゃなかったけど……。でも、ま、もうそろそろ違う人を将軍にしたかったし、ちょうど良かったね」


 ディオグはそう言って、玉の杯を手に酒を口にした。

 老人を毒殺したのがディオグであることは、明白であった。


(邪魔だけど罪を被せて殺せない人物だから毒殺、とかなんだろうか。でもあんな死に方って……)

 ディオグの恐怖政治には処刑だけではなく毒殺もあるらしいことに、七瀬は目まいを覚えた。


 人が死んだこともあり、宴はそこで終わった。

 老人の死体は運び出され、人々はぞろぞろと退出した。


 七瀬もまた、ディオグと別れてリウンと一緒に寝室に戻った。


「ナナセ様、ご気分は大丈夫ですか?」

 リウンは渡り廊下を歩きながら、前回吐いて倒れた七瀬を心配した。


「今日は大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう」

 七瀬はリウンの気遣いにお礼を言った。

 もちろん気分は良くはなかったが、生殺しにされるのを見るよりは今回の方がまだましだと思った。


 だがやはり、老人の理不尽な死には納得できなかった。

 七瀬は、リウンが毒殺についてどう考えているのか知りたくて尋ねた。


「あれ、毒を盛ったのってディオグだよね。リウンはあの毒殺も仕方がないって思えるの?」

「陛下は聡明な方です。きっと深いお考えがあるのでしょう」


 さすがに犯人がディオグであることには気づいていたようで、その点については否定しなかった。

 しかしそれでもなお、リウンはディオグの正当性を疑っていない。


(これはもう、何もされても従うんだろうな)

 七瀬は何も言わずに、リウンから目を背けた。

 リウンは自分自身があの老人と同じように殺されたとしても、それを受け入れるのだろうと七瀬は思った。


 屋根の向こうに広がる夜空を見上げれば、白い月が二つ並んで浮かんでいるのが見えた。

 あらゆる意味で、ここは七瀬の生きてきた世界とは違うのだと実感した。


 七瀬はこの世界の抱える問題を全て無視して帰るつもりでいた。

 だがリウンのことを知ってしまいつつある今、見て見ぬふりも難しかしい。


(でも私は単なる客人で、世界を変える力なんてない。力のない私にリウンは救えない……)


 一番下の妹が見ている日曜朝のヒーロー番組の主人公のように変身して戦えるのなら話は別だが、七瀬はたまたま異世界にやってきてしまっただけの女子高生で、特別なものは何も持っていなかった。


 リウンは今もすぐ側にずっといるが、同時にとても遠い存在でもある。

 動かしようのない世界の構造を前に、七瀬は深くため息をついた。

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