交霊捜査室「タカムラの部屋」

@shubenliehu

ミルクティー、冷めちゃった

 捜査資料のページを捲っていたさゆの白い指がピタリと止まった。


 コーヒーを片手に別の資料を睨んでいた俺は、それに気づいて顔を上げる。その俺の正面で、さゆはじっとページを見つめたまま、一度ピタリと止まった指で、今度はゆるゆると何かを探りはじめた。


 ……ああ、いよいよか。


 俺は飲みかけのコーヒーをデスクに置いて立ち上がると、さゆの背後にまわる。それから静かにデスクの一番下の引き出しを開き、中から紙の束を取り出した。B4サイズのスケッチブックを10冊くらい纏めて針金を引き抜き、表紙と裏表紙をはぶいた、言ってみれば文字通り紙の束だ。それを机の上に置くと、さゆの指はすぐにそれを探り当て、今度は別のものを探し出す。


 そこで俺は、今度はさゆのデスクの上で行儀よくペン立てに刺さっている黒のサインペンを取り出し、キャップを外してその手に握らせてやった。さゆの視線は捜査資料から動かない。俺は更にその手を、紙の束の上へ導いてやる。


 そして、それは始まった。


 きゅ、きゅ、きゅ、と音を立て、ものすごい勢いでスケッチブックがサインペンの黒に染められていく。俺はその手元を注意深く見つめていた。書かれているのは今さゆが読んでいる捜査資料の事件についてだ。と言っても、資料に書かれている内容など、殆どさゆは書かない。そこから導き出される情報が、ものすごい勢いで書きだされていくのだ。


 あるときは重要、とばかりに単語が黒まるで強調され、あるときはAとBの情報が連携してCという結論を導く、と言わんばかりにばらばらの場所にある各情報が矢印とイコール記号で結び付けられ、またあるときは一度書いた単語が新たな単語の登場によって塗りつぶされる事で、犯人が警察へしかけたトラップが暴かれていく。とんでもない情報量で、捜査資料と照らし合わせれば、瞬く間に事件解決の為に次に警察が打つべき手も指針が立つだろう。最も、それが解読できるのは長年一緒にいる俺だけで、一見しただけでは子供のらくがきか、はたまた何かがのり移ったイタコが託宣でも書きなぐっているのかと疑いたくなるような見難さだが。


 さゆは一枚書き終えると、めくる時間も惜しいとばかりに一番上の紙を払いのけ――払いのけた紙以外にも余計なものがばらばらと落ちていくのは、最早お約束ともいうべき現象だ――、下から現れた新しい紙にまたものすごい勢いで情報を書きだしていく。払いのけられた紙を拾いあげながらちらりとさゆの顔を覗うと、彼女の顔からは全ての表情が抜け落ち、代わりに瞳が爛々と輝いている。その視線の先は、紙でも、自分の握るペン先でもなく、まっすぐに捜査資料に向けられていた。


 左手でページをめくったり戻したりしながら、右手で振り返りもせずに情報を書きだし、書き終えたらまたいろんなものと一緒に紙を払いのけ、下から現れた紙にまた新たな情報を書きだす。


 ……こんな捜査方法を見たら、そりゃどんな優秀な捜査官であろうと捜査本部には入れてもらえない、よなぁ。


 また払いのけられた紙を拾いあげ、同時に吹っ飛んできたさゆの携帯電話を床に落とさないようにキャッチして、俺はため息交じりにそう心の中で呟いた。部下の献身などどこ吹く風という態でひたすら捜査資料を睨んで右手をフル稼働させている上司の姿は、先ほどの表現ではないが、まるで右手に何かを憑依させているかのようだ。そう、何と言ったか、本人の意思とは関係なしに、手が勝手に紙にメッセージを書きだす霊現象。確か「自動筆記」といったか。そのおかげで、この資料室の正式名称はいつまでたっても定着せず、代わりに「交霊捜査室」などといういかがわしい名前が定着してしまっているのだが。


 交霊捜査室。正式には、「A県警刑事部特務情報捜査資料室」。室長は今俺の目の前でまさに「自動筆記」をやっている、この高邑さゆ。階級は警視。役職は管理官。そして俺はその管理官付、A県警刑事部特務情報捜査資料室配属の高邑悠平。階級は巡査部長。さゆは上司であり、そして妻でもある。


 そうこう言っているうちに、さゆが払いのけた紙がさゆの足元に山を作り始めた。俺は慌てて紙を拾い集めては順番を整えて腕の中に抱え直す。何せさゆの書いたこういう資料は、俺にしか解読できないのだ。……そう、俺にしか。書いた本人であるさゆにさえ解読できないのだ。いわんや、他人をや、である。そのうえ順番がばらばらになってしまっては、いくら俺でも解読する事など不可能になる。捜査が進展するか、それともこの作業がただの「交霊会」になるかは、俺の手の早さにかかっている、といっても過言ではない。


 さゆが書く。

 さゆが落とす。

 俺が拾う。

 俺がまとめる。


 無言のうちの攻防がしばらく続き、紙が残り少なくなってきて、さゆが書きあがるのが先か、紙がデスクからすべて床へ落ちるのが先か、と俺がハラハラし始めたころ、インクが減って掠れ始めたサインペンを動かしていたさゆが、ある名前を書き殴り始めた。


 目をむいて、俺はその手元を覗き込む。殆ど初めて、さゆが捜査資料上に書かれた単語をスケッチブックに書いた瞬間だ。その名前は、確かに捜査線上に上がった容疑者の一人であり、鉄壁のアリバイを持っていて、真っ先に捜査線上から外れた人物の名前であった。


 その事を思い出した俺は、かき集めたスケッチブックの紙をめくって確認する。……さゆの「自動筆記」の中で、そのアリバイは完全に崩されていた。


 ……なるほど。こいつが犯人か。確かにこうすれば、自分がいなくても被害者を殺害することが可能だ。


 これからさゆの書いたこの資料を誰でも読めるように纏めて、この事件の捜査本部へ提出しておく必要があるだろう。ここから先は部下である俺の仕事だ。非常に胃に悪い作業だが。


 からん、とペンが床へ落ちる。最後の紙が払いのけられ、しばらくの間マリオネットの糸が切れたように、さゆの右手はぶらりと身体の横で揺れていた。爛々と輝いていた瞳が元に戻り、表情に生気が戻る。スイッチが切れたか、はたまたやっぱり何か取りついていて、それが抜けていったのかという感じの変化を、息をつめて確認していると、ほう、と細くため息をついて、疲れたようなけだるい動きで、さゆは手探りで何かを探し始めた。一体何を探しているのかと首をひねった直後、作業の途中であわや払いのけられそうになり、俺が咄嗟に避難させたマグカップを見つけ出し、さゆはよいしょ、と声をかけてそちらへ手を伸ばす。


 ……伸ばして、ひっこめた。


 それから、今にも泣きそうな顔をしてこちらを振り返り、今にも泣きそうな声でこちらに訴えてこようとする。


「……悠ちゃん」

「管理官、ここはプライベートルームではありません。私は管理官の部下ですので」

「……う……」


 呼びかけに対し即座に言い放った俺の言葉に、更に泣きそうになりながら、さゆは言葉を選んで言いなおした。


「……たか、むら、刑事……」

「何でしょう、管理官」

「……たかむら刑事に入れてもらったミルクティー、さめちゃった……」

「…………。」


 それは、「さめちゃったから入れ直して」か、それとも「冷めるまで放っておいてごめんなさい」なのか。


 その答えはあえて聞かず、俺は上司のデスクからマグカップを取り上げると、踵を返して歩き出した。


 交霊術ではないにせよ、あれだけの紙を前にしてあんなに長い間ひたすら集中力を途切れさせずに文字を書きつづけるのだ。さゆはあれを終えると、酷く消耗する。


 だから、ねぎらいの言葉と共にさゆが好きな甘いミルクティーを出してやるのも、部下である俺の仕事である。


 申し訳なさそうな視線を背中に浴びながら、俺はマグカップを片手に歩きだした。待ってろ、特別うまいミルクティーをいれてやるから。


<了>

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