魔女が素直になれるとき(9)



 それからのユウリは旅支度で忙しくしていた。

 これから大使夫人としてフォスダンに同行する。学ばなければならないことが多く、伯爵邸に部屋をもらって、そこで暮らすことにした。

 時々、魔女の店に戻り、荷物の整理をする。祖父母との思い出が詰まった家は、手放さず、サイモンが管理してくれることになっていた。


 この日は午前中、教師から大使夫人として必要になることを学び、午後はダンスの練習でぐったりしていた。やっと解放されて私室でお茶を飲んでいると、エルネストが現れる。


 エルネストはたった三ヶ月で結婚式を挙げるつもりで準備をしている。ハイラントの上流階級の婚姻となれば、準備に半年から一年かかるのが普通だ。そもそも貴族の結婚は国からの許可が必要で、審査にも時間がかかる。


「普通の人間なら出来ないだろう。私は有能だからね」


 そう彼は口にするが、実際にはユウリに求婚する前から動いていたのだ。

 とくにワトー家には、ユウリがはじめて彼の血を口にした直後に、打診していたらしい。


「私に内緒でいろいろ手を回しすぎです。……そういうの、いけないことだと思います」


「君が悪いよ。私のことが好きで好きで仕方がないという心の内側がだだ漏れなのに、臆病で意地っ張りだから」


「エルネスト様は性格が悪いです」


 ユウリがいつもエルネストの言葉に翻弄されるのに対し、彼はユウリの言葉では傷つかない。ただ笑うだけだった。なにせ本人に性格が悪いという自覚があり、どこかそれを誇っているのだから。


 彼女が敗北を誤魔化すために紅茶を口に運ぶと、ドンドンというノックのあとに部屋に誰かが入ってくる。


「奥様! 手紙をお持ちいたしましたっ!」


 洗練された伯爵家の使用人、にしては声が大きすぎる女性――ロージーはなぜかお仕着せを着ている。


「奥様……? やめてください。というより、なぜロージーさんが?」


「伯爵様が雇ってくれたの! 二人でフォスダンについて行くからよろしく」


 男爵邸に居られなくなったダンを、伯爵邸で雇うことはエルネストから聞いていた。けれど、なぜロージーまでここで働く必要があるのか。ユウリには理由がわからず、首を傾げエルネストに視線を送る。


「念のため、だよ。あの変態が自由になった途端、逆恨み……なんてことになったら、私たちも目覚めが悪いしね。ちょうどフォスダンに連れて行く使用人は必要だったし、二人を引き離すのは不憫でしょう?」


 ダンは男爵からけがに対する賠償金を貰う。けれどそれで借金を踏み倒してよいわけではない。賠償金と男爵から借りた金の差額は借金として残るし、無職になってしまった。

 残った借金はエルネストがとりあえず肩代わりして、男爵が当初しようとしていたのと同じように、給金から天引きするつもりのようだ。

 ダンをフォスダンに連れて行くとして、婚約者のロージーと引き離すのはかわいそうだから、ついでに雇ったというわけだ。


「はいはい、じゃあ、手紙。ここ置いとくわよ!」


 ユウリは、慣れていないで済ませていいのかわからないほど、変わらない彼女のことが、とても心配になった。

 人の気配を感じて、扉のほうを見ると、案の定ターラが静かに憤っていた。


「ロージーさん、少しこちらへ。……旦那様、早急に教育いたしますので、どうかご容赦を。それでは失礼いたします」


 ターラは屋敷の主の前では、あくまで笑顔を崩さない。けれど、連れて行かれた先でロージーにお説教が待っていることは、誰でも簡単に予想がつく。


「まぁ、賑やかでいいでしょう。手紙はワトー家からだね?」


「はい、結婚式の予定についてお知らせしたのですが。……その」


 二人きりになったところで、ユウリは実家からの手紙に目を通す。


「母君のことかな?」


 浮かない表情から、エルネストは察したようだ。

 ユウリは、フォスダンに旅立つ前に行われる結婚式に母が参列するかどうか、父にたずねた。手紙にはその返事が書いてあった。


「祝福する気のない者が参列しても、和やかな雰囲気に水を差すだけでしょう……と」


「それでいいのかい?」


「はい。私、母に認められないと……存在してはいけないような、そんな気持ちがどこかにあったのかもしれません」


 それは不思議な気持ちだった。今まではどうしようもないことがわかっていても、母に疎まれていることが、彼女の心に重くのしかかっていた。

 理論的に考えればおかしくても、子供にとっての親は常に正しい存在なのだ。だからユウリは母に嫌われていることで、自分自身を好きになれずにいた。バケモノだから嫌われているのだと思っていた。

 けれど、好きな人がくれる言葉はもっと重くて強い。彼に愛されていることが自信となって、ユウリを自由にしてくれる。


 本当の母は、完璧な存在でも正義でもない。本人も、それを認めているくらいだ。

 だから彼女から嫌われることで自己否定をしなくてもいいし、完璧ではない母を好きになるのも、嫌うのもユウリの自由だった。


「今は違うんだ?」


「……はい」


 ユウリにとっては、エルネストがくれる言葉が真実。吸血鬼の末裔は「一途で、不器用で、愛情表現が過激」なだけの無害な存在だと言ってくれるから、こんな気持ちになれる。


「ふーん。なぜそんなに急に前向きになれたのか興味があるね……。詳しく聞かせてくれるかな?」


「嫌です」


「そう、残念。まぁだいたいわかっているから別にいいよ。ところで、この部屋のことだけど……。今はまだ、ここが君の部屋だ。自由に使っていいからね」


「ありがとうございます?」


 なぜ急に部屋の話になるのか、ユウリには彼の意図がわからない。


「…………」


 エルネストが非難の視線を向ける。ユウリは彼の機嫌を損ねることはなにもしていない。部屋を借りているお礼を言っただけだ。


「だめだ。意味が伝わっていないようだからはっきり言うけど、この部屋はゲストルームで、君は客人ではない。……使用期限があるから覚悟しておいて」


 今はまだ、ここがユウリの部屋。使用期限を過ぎたらどこかへ移るという意味だった。この屋敷を追い出されるわけではないとして、どこに移るのか。エルネストの言う“期限”はいつなのか。

 一つ一つ考えていくと、なにを覚悟しなければならないのか、ユウリにも見当がつく。


 隣に座っていたエルネストが、ユウリの長い黒髪を一房取って口もとに運ぶ。

 それだけで動揺したユウリは、じりじりと肘掛けのほうまで移動し、逃げ場を失う。距離を詰めてくる青年が怖いと感じた。

 きっとエルネストには、そういう権利があるのだろう。けれど、もう少しだけ待ってほしかった。

 だから迫ってくるエルネストから逃れようとしたのに、いつの間にか長いすに寝転がるような体勢になっている。

 ユウリは、これ以上近寄られないように、彼の服をぎゅっと掴んで胸を強く押した。


「へぇ……。積極的だね?」


 エルネストには、なんでも自身の都合のいいように解釈する悪癖がある。

 真実は、押し倒されている状態から逃れようとしているだけなのに、まるでユウリが彼の服を脱がそうとしていると言っているようだった。


「ち、違います! ……咬みますよ!」


「どうぞ?」


 キラキラとした笑顔でエルネストはタイをするりとほどく。


「やっぱりやめておきます!」


 ユウリが涙目になって怖がっても、にらみつけても、エルネストを喜ばせるだけだった。

 彼はいつもユウリに逃げ道を用意してくれる優しい人のはず。

 だからユウリは今回も逃げ道を探した。

 いくら探しても見つからないのは、なぜなのか。ユウリの彼に対する評価が間違っていたのか、それとも真剣に逃げようとしていないだけなのか。


 答えをゆっくり考える時間は、残されていなかった。





 セルデン伯爵夫人ユウリは、「不幸を食べる魔女」と呼ばれている。


 もし困りごとを抱えているのなら、伯爵邸を訪ねるといい。ただし、魔女に仕事を依頼するのなら二つのルールを守りなさい。


 一つ。依頼をするときは必ず伯爵を通すこと。


 二つ。伯爵夫人に茉莉花茶ジャスミンティーを注文しないこと。


 お節介で変わり者の伯爵は、妻に関することだけは狭量で嫉妬深い。伯爵夫人が手ずからいれた茉莉花茶ジャスミンティーは、伯爵だけが口にできるのだという。


 それさえ忘れなければ、優しい異国の魔女があなたの不幸を食べてくれる。


 不幸を食べられた者は、さてどうなる――――?





 おしまい

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意地っ張りな魔女殿へ 日車メレ @kiiro_himawari

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