魔女が素直になれるとき(8)
魔女の店に帰り、一人になったユウリは、二階のベッドに転がって目をつぶった。
普段なら睡眠時間をたっぷりとるはずなのに、昨晩からあまり眠れていなかった。
覚悟のないまま、突然現実を知ったからだろう。
エルネストとの今後を延々と想像して、なにもやる気が起きずに、数時間そのままでいる。
時々うとうとしながら、自身が起きているのか寝ているのかもよくわからない状態だ。
エルネストはユウリに対して、ずっと誠実でいてくれた。それなのに彼女のほうが怖がって、気持ちを誤魔化して、もしかしたらどこかで彼を疑っているのかもしれない。
(一番いいのは、使用人でも相談役の魔女としてでも、なんでもいいから仕事をして、同行させてもらうこと……?)
それはかなり狡い手だった。彼に本当のことを告げないまま、そばにいて血をもらい続ける。問題解決を先延ばしにするのだ。
エルネストは優しい人だから、きっと嫌とは言わないだろう。
(それしかない、よね?)
本当のことを打ち明けて、拒絶されたら怖い。
彼と離ればなれになって、喉の渇きに苦しむのも怖い。
黙っていて、彼があとからそのことを知れば、きっと悲しませる。それが一番怖い。
昨日は打ち明けるつもりだったはずなのに、もうそんな勇気はどこかに消えてしまった。
不安と疑心だけで、こんなになにもできなくなってしまう吸血鬼の末裔は、滅ぶべくして滅びる種族だった。
布団の中で、延々と悩んでいると、外からドンドンと大きな音がした。店の扉にあるノッカーの音だ。
「ユウリ! いないのかな?」
今朝別れたばかり、そして旅支度で忙しいはずのエルネストが、なぜかやって来た。
ユウリは頭から布団をかぶり、息を潜める。まだ考えがまとまっていない。会ったら、なにを口にするかわからない。
彼女は、しばらく呼びかける声を無視して、彼が立ち去ってくれるのを待つ。
「もしかして、調子が悪いのかな? ……悪いけど、入らせてもらうからね」
彼は大声でそう宣言した。
直後、扉を開けるガチャガチャという音が、ユウリの耳まで届く。
「えっ!?」
やがて、階段を踏みならす音が近づいてくる。彼女は完全に逃げ道を失って、布団をかぶったままエルネストを出迎えた。
「案の定、居留守か」
「な、なんで、……鍵は?」
鍵は頑丈なものに付け替えたはず。だから、エルネストが入ってこられるはずはない。
「これのことかな?」
彼は鎖のついた鍵を指でもて遊ぶ。それは見間違うはずもなく、ユウリが持っているものと同じ、彼女の家の鍵だ。
「私の……?」
彼女は視線を壁へ動かす。いつも掛けている壁のフックに、確かに鍵はぶら下がっていた。
「いいや、これは私のだよ。君、今まで私がどうやって施錠して出て行ったか、まさか考えていなかった? てっきり知っていて許してくれているんだと思っていたけど、違うのか。それはすまないことをした」
粗悪な鍵は不用心だからと、エルネストが職人を呼んで取り替えた。風邪を引いた日、それに三日前も、彼は眠っているユウリを残し、きちんと施錠して出て行った。合鍵がなければできるはずがない。
すぐに考えればわかることなのに、あまりにも当然のように出入りするから、今までユウリは気がつかなかった。
「勝手に入ってこないでください!」
「泣いていたの? ……ひどい顔になっている」
「嫌!」
ユウリが威嚇しても、彼は怯むことなくベッドに近づいてくる。ずるずると後ろに下がるが、そこは壁で、逃げ場を失うだけだった。
「コンクエスト少佐がなにやら余計なことを言ったらしいじゃないか? 彼、口数が少ないくせに、口を開けばすぐに失言するんだから困ったものだよ。どおりで、昨日の晩、おかしいと思った。……出仕したらリンド殿が教えてくれたんだ」
「エルネスト様がフォスダンに赴任すると伺っただけです。聞いてはいけないことでしたか?」
「いけないことだよ。理想の順番があるからね」
エルネストがユウリのかぶっている布団に手をかけて、無理矢理引き剥がす。
「理想の順番?」
彼はいつになく強引に彼女を引き寄せて、手の甲に軽く唇を落とす。それから真剣なまなざしで、ユウリを見つめた。
「ユウリ・ワトー殿。私と結婚してほしい」
「え?」
「答えは?」
たっぷり二十秒、ユウリは考えてから口を開く。
「そんなこと、む――――っ!」
無理と言いかけた口をエルネストの手が塞いだ。
「だめだよ。安易に断ると、私が傷つく。君は私のことが好きだよね? それだけ答えてくれればいい」
ユウリは口を塞がれたまま、首を何度も横に振る。好きかどうかと結婚できるかどうかは、まったく別次元の話だ。
「求婚して、承諾をもらってからフォスダン行きのことを告げようと思っていた。逆はずるいだろう? 私としては、君との関係はもっとゆっくり時間をかけて進めるつもりだったけれど、そうもいかなくなってしまったんだ。君は妻として、フォスダンに同行するんだよ? ……さあ、答えを」
ゆっくりと、彼の手が離れていく。安易に断るのがだめだと言われても、ユウリにはほかに答えようがない。
「私の気持ちなんて、知ってるはずです。それでも、無理です! 私とエルネスト様では、釣り合いが取れません。……困ります」
「身分は問題にならないよ。異国人の血を引いていることも、実家が商家であることも含めて、もう国王陛下から許可をいただいている」
「でも、体質が……」
もしユウリが伯爵家に嫁いだら、子孫に特殊な体質が受け継がれる可能性がある。普通の人間として生活をするには、かなり問題があるはずだ。
「一途で、不器用で、愛情表現が過激なこと? 君はそれで、愛される権利がないとでも言うの? 君のお祖母様も、もっと前の先祖も、普通の人間と契ったはずなのに? 君だけはだめなのかい?」
「それは……」
エルネストは貴族だから許されない。ユウリはずっとそう考えてきた。その部分を彼に否定されると、言葉に詰まる。
彼女はいつか彼との関係が終わりを告げることを予想していたが、覚悟はないままだった。優しい言葉に、気持ちが揺らぐ。
「君は最初に血を口にしたときから、私だけの吸血鬼だ。一緒にいられなくなったとき、君は死ぬ。そうだよね?」
「ご存じだったんですか? いつから?」
「一緒に墓地に行ったときからなんとなく。確信したのは、コンクエスト少佐の血を見て平然としていたときだ。君は昨日、それを言おうとしていたはずだ」
「……エルネスト様は、いつも私の先回りばかりです」
いつもの彼は、どこかふざけているような、どこまでが本気なのかよくわからない態度をとる。けれど今日の彼はどこまでも真摯で、ユウリには気持ちを誤魔化すことが許されていない。
エルネストは、いつでもユウリの心に寄り添って、困らないようにしてくれている。
その包み込むような優しさは、彼女の身動きを取りづらくもさせている。
言葉を受け入れると、自身がとても弱い、ただ守られるだけの人間になってしまうのではないかという不安がある。けれど、やはり離れることなどできはしない。
ユウリはもう負けを認めるしかなかった。
「答えを」
「私は、エルネスト様のことが、好き。私の唯一です、ずっとずっと。血の絆により私があなたと離れることはありません。……私はエルネスト様だけのものです」
彼が頬を伝う涙にくちびるを寄せる。そのあとはこめかみに、まぶたの上に。最後にくちびる同士が触れあって、ユウリの心臓は
まだこの行為になれることはなく、血に酔っていない状況では永遠に慣れることなどない気がした。
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