花時計

安良巻祐介

 

 プラタン氏は、お茶壺のような形をした屋敷に住んでいる。

 氏は凹凸の少ない容貌と性格とをしており、あまり広くない果樹園と、旧い噴水と、園丁と、モーターサイクルとを庭に持つ、有閑の趣味人である。

 街からも、他の集落からも離れたところに家があるためか、友だち付き合いなどはなく、知り合いと呼べる人もない。

 お屋敷の、丁度壺の蓋に当たるてっぺんの部分が主人の部屋になっていて、その丸い屋根の下の小さな窓に、氏の顔が豆のように時おり見え隠れする。

 果物の実る季節、噴水のハミングにつられたクリーム色の太陽が、白い茶壺の上へ上がってくると、そこにはちょっとしたパステル画ができあがる。そして、日の移ろいと共に、暖色の統一になったり、寒色の統一になったりする。夜にはレモン色の灯をとぼして星細工のようになる。

 けれども、知己に乏しい氏のこと、その景観を眺める者が、園丁以外には今のところないらしいのが残念である。

 氏はと言えば、外で屋敷の絵を見ることはあまりなく、いつも内から庭ばかりを見下ろしている。

 氏が、階下に降りてきたり、庭に出てきたのを見たことがない。

 病気などをしているわけではないから、何かしら閑雅な彼の性質がそうさせるのであろう。

 太陽が、柔らかなカーヴを引っ張りながら青い空を巡り、古びた噴水が、庭の端で空へ向けて硝子色の吹上げをしている。

 小さな園丁が、果樹の垣の間から黒い頭を覗かせて行き来する。

 白い壺の窓で、小さな顔が見つめている。

 そんな風景が、噴水の傍の花時計によると、もう何十年も続けられて来たらしい。


 事件は、この花時計を修理しに、街からエンジニヤがやって来たことにより起こった。

 造りも簡単な花時計のこと、プラタン氏が街のエンジニヤに修理を依頼するというのはおかしな話のようでもあるが、実際のところ、彼はやって来たのだから仕方がない。

 一説には、エンジニヤは別に頼まれて来たのではなく、厭世感から街を出て彷徨し、氏の屋敷の前をたまたま通りがかった時に、その故障を発見したのだともいう。

 いずれにせよ、外から人が来た。

 彼がプラタン氏の天然のパステル画にどのような感想を抱いたかは、残念ながらよくわからない。

 彼は泡石のパイプをくわえて門を入ってきて、懐から出した虫眼鏡をかざしながら、果樹園からくだものを一つ取って齧り、変な顔をした。

 そうして噴水のところまでいってその硝子のような水を飲み、花時計の傍で休んだ。

 パイプからは青い煙がもくもくと上がり、エンジニヤの口髭が燃えているような具合に見えた。

 そのようにしてから彼は、道具を取りだし、花時計を修理したのだ。

 蔓草や弁の具合を確かめ、昼と夜とを表す向日葵と月見草とを剪定し、噴水の水が正しくかかるように、オブジェも位置を整えて、小一時間ほど忙しく立ち働いた。

 プラタン氏はその間も、特に平常と変わるところなく、小さな窓から時おり顔を覗かせては、庭を見ていた。

 園丁も垣の間を往復していた。

 やがてエンジニヤは、道具をしまったのちに花時計をもう一度眺め、泡石に溜まったパイプ屑を捨て、門の外へ歩いていった。

 その時から、見るもののいなくなった花時計が、正しい時を刻み始めたことになる。

 すると、色々な事実が明らかになってきたのである。


 まず一に、プラタン氏などという人物は存在しないこと。

 一に、庭にいるのは園丁ではないらしいこと。

 一に、屋敷の一階は荒れ尽くし、二階への階段は随分前から全て腐り落ちて跡形もないこと。

 一に、果樹も噴水も枯れていて、果実や水がある筈のないこと。

 一に、太陽が屋敷の上へかかるようなことはない筈であるということ。

 等々…


 噂によれば、花時計が正しく動き出した瞬間、屋敷のてっぺんから悲鳴が聞こえたという話もあるが、エンジニヤが去ったのち、誰がそれを聞いたのか、ということになると甚だ曖昧で頼りのないことであるので、あくまで風説の域を出ないであろう。

 今でも屋敷の蓋の窓の辺りに、時おり豆のような顔が覗くことがあり、庭には誰かしらが動いているのが見えるとのことであるけれど、もうあまり気にする人もない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花時計 安良巻祐介 @aramaki88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ