三、中身よりも外見⁉

 それからというもの、会長の記憶喪失になる以前の『本来の人格』は、更にどんどんと顔を出すようになってしまったのであった。


 その普段の彼女にはふさわしからぬ高飛車な言動は周囲を大いに困惑させて、今や生徒会活動に支障をきたすまでに至ってしまっていた。

 当の会長自身においても、こうも頻繁に元の人格が顔を覗かせるようになったことを、記憶喪失の快復の前兆──つまりは、大嫌いな『本来の自分』が完全に復活し、現在の『理想の自分』が消え去ってしまう兆しに違いないと思い込んでいて、もはやほとんど錯乱状態となっており、僕を遠ざけようとするのはもちろんのこと、副会長を始めとする生徒会役員全員を生徒会室から締め出して、一人っきりで閉じこもってしまったのである。

 むろん本来なら公共の場である学園内においてこのような暴挙が許されるはずがないのだが、前述の通り副会長は会長の気持ちが落ち着きさえすればもはや本来の人格が顔を出すことはなくなり、それ以降はずっと温和で協調性豊かな現在の人格であり続けるものと見なしているので、ここはひとまず会長の思いのままにやらせておこうという方針のようであり、その他の元々記憶喪失である会長に同情的な役員やお手伝い要員たちにおいても異論を挟む者はいなかったこともあって、とりあえずは静観することになったのであった。


 ただし、この僕だけを除いて。


 そうなのである。どうしても僕は、一人絶望の淵にある会長のことを、放っておくことなぞできなかったのだ。

 たとえその結果彼女から、今以上に拒絶されることになろうとも。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──もう私には近づかないでって、言っているでしょう? 結局私は、つくられた偽物の人格でしかないの。そのうち跡形もなく消え去ってしまって、あの嫌われ者の『本物の私』に取って代わられるだけの運命なのよ!」

 夕陽射す生徒会室内に響き渡る、悲痛なる少女の声。

 およそ十日ぶりに会った最愛のひとは、僕のほうを涙目で睨みつけながら、開口一番そう言った。

 けれども臆してなんか、いられない。

 本当にこのまま放っておいたりしたら、彼女は他人どころか自分自身すらも信じられなくなり、偽りの仮面を被ってただひたすら閉じこもり、完全に自分を見失ってしまいかねないのだ。

「だから言っているじゃないですか⁉ つくられた仮の人格であろうが元々の人格であろうが関係なく、僕はあなたのすべてを認めて受け容れているのであって、たとえこのまま記憶を失っていようが記憶が戻ってまた人格が変わってしまおうが、あなたのことを変わらずずっと愛し続けてみせると!」

「嘘よ! そんなこと信じられるものですか! 口だけなら何とでも言えるわ! あなたもその目で見たんでしょう? ──あの『本物の私』を。あんな人を人とは思わない高慢で生意気なお嬢様が、他人から受け容れられるはずがあるものですか。あなただってきっと、私のことを嫌いになるに違いないわ!」

 そう言ってすべてを拒絶するかのように顔を両手で覆い隠し、うつむいてしまう少女。

 だから僕はその時、自分の本心をすべて包み隠さず明かしたのであった。

「何を恐れる必要があるんです。『あの会長』だって、あなた自身ではないですか? 別に一方がもう一方を消し去るとかではなく、両方共が並び立つことができるのです。あなた自身が『あのあなた』を受け容れることさえできれば、ちゃんと共存することだって可能なのですよ。もちろん以前の自分を認めるには、それ相応の葛藤があることでしょう。──それこそ、記憶喪失になるくらいにね。そんなに簡単には、一度は切り捨てた自分を受け容れることなんかできないでしょう。だから、この僕にお手伝いさせてください! 僕ならば今のあなたと同様に、以前のあなたをも受け容れて愛することができます! これからずっと側にいて支え続けていきますので、二人でがんばって過去を乗り越えましょう!」

「……ぎん君」

 気がつけばいつしか会長が顔を上げて、こちらを見つめていた。

 桃花のごとき唇に浮かんでいる、ほのかな微笑み。

「それ、本当?」

「ええ!」

「こんな私でも、いいの?」

「はい!」

「もしもこのままあの高飛車な『私』に戻っても、構わないの?」

「もちろん!」

「……そう」

 そしてまたしても顔をうつむけて、完全に表情を隠してしまう少女。

「か、会長?」

「──うふ、うふふふふ」

 その刹那、唐突に聞こえてくる、忍び笑い。

 しかもそれはたちまちのうちに、さも愉快げな哄笑へと成り代わったのだ。

「ふふふ、ふふふふふふふ。くくっ、くくくくく、くくくくくくく! あはっ、ははは、わはははははははは!」

「ちょ、ちょっと、会長⁉ いったい、どうしたって……」


「──いやあ、笑わせてもらったよ」


 再び少女が顔を上げた時、そこにはまったくの別人がいた。

 ま、まさか、これって⁉

「たとえ記憶が戻ろうが戻るまいが、変わらず愛し続けてくれるって? ふん、とんだお笑い草だな。君が好きになったのはあくまでも、記憶喪失中の仮人格である『私』のほうだろうが? それなのに記憶喪失になる前の本来の人格であるをも愛してみせるだなんて、むしろ不誠実じゃないのか? もちろん私とて、お情けで愛してもらう必要なんてないよ。馬鹿にするんじゃない!」

 その人を突き放した冷たい口調と顔つきは、普段の彼女とはまったくかけ離れたものであった。

「……あなたは、もしかして」

「ああ。君にもわかりやすく言えば、『半年前までの本来のまん』だよ」

 ──っ。もはやこんなにも簡単に、人格が入れ替わってしまうようになっていたのか⁉

「さて。博愛主義のかいえん銀太君としては、それでもこの私のことを愛してくれると言えるのかな?」

「も、もちろんです!」

「……ほう。まさかそこまで、面の皮が厚かったとはな。まったく別々の人格とも言える私たちを同時に愛せるなどとほざくことに、自分自身少しも矛盾を感じないわけなのかい?」

「矛盾なんてあり得ません! 僕は胸を張って、あなたのすべてを──そう。すべての人格を、等しく愛せると誓えます!」

「ふうん? だったらその根拠となるものを、私にも納得できるように説明してもらえるかな?」

「いいでしょう。簡単なことです!」

 そしてついに僕は、自らの女性に対する恋愛感情における根本原理を、つまびらかにした。


「だって僕は最初からあなたのだったのだから、人格なかみがどうであろうが関係ないのですよ」


「…………………………………………は?」

 僕のまさしく正真正銘の『本音』を突きつけられるや目を点にして、『この会長』としてはあまり似つかわしくない、いかにも呆けた表情となってしまう、目の前の年上の少女。

「──え、あの、いや。か、身体目当てって、この私のか⁉ ちょっと君、いくら何でもそれはないだろう? いきなり何てことを言い出すんだ⁉ は、破廉恥な!」

 そのように顔を真っ赤にしてしどろもどろに食ってかかってきながらも、我が身を護るがごとく胸元を掻きいだくその様は、あたかも目の前の一見頼りない下級生の少年がれっきとした一匹のオスであることを再認識したかのように、怯えの色すらも垣間見えて、もはやそこには高飛車お嬢様生徒会長としての威厳なぞ微塵も存在していなかった。

「あ、身体目当てと言ってもボディだけでなく、ちゃんと顔も含まれていますからね。言わば『一目惚れ』の全身版みたいなものなんですよ」

「外見重視ということでは同じだろうが⁉ ふざけるな! だったらこの私という人格なんて、どうでもいいってことなのか⁉」

「どうでもいいだなんて、とんでもない。むしろ会長さんのようにいろいろな人格がおありのほうが、僕としてもそれぞれに楽しめてお得ですし」

「お、お得って。それではまるで人格というものが、肉体のおまけか付属物でしかないみたいじゃないか⁉」

「ええ、そうですよ? しょせん人格なんてものは、肉体によって生み出された単なる付属物に過ぎないのです。──何せ人の『本質アイデンティティ』というものは、人格や精神や意識なんかではなく、肉体にこそあるのですからね」

「は? 人の『本質アイデンティティ』は肉体にあるって……」

「副会長さんは記憶喪失中の仮人格のことを、SF小説やライトノベルに登場してくる多重人格等の広義の『別人格化』と同じく、本人の脳みそによって『つくられた偽物』に過ぎないなんて言っていたけど、そんなのは単なる小説の読み過ぎでしかないんだ。非常に残念なことだけど文字情報によって構成されている小説においては、どうしても人間というものをその内なる人格を主体に考えがちで、たとえ肉体がそのままであろうとも、突然前世に目覚めたり誰か他人と人格が入れ替わったりするようなことがあればそのとたん、文字通り別人になったかのように描写し始めるけれど、これは大きな間違いなのです。と言うのも、実は物理学においては現代の量子論は言うに及ばず遥か昔の古典物理学の時代から、人の人格とか精神とか意識とかいったものはその個人を決定づける絶対的に普遍なものなぞではなく、あくまでも脳みそによってつくり出されている物理的存在に過ぎず、言わば肉体にとっては単なる付属物でしかないのです。そう。元々人格や精神や意識といったもの自体がすべて肉体の付属物に過ぎないのだから、本来の人格だろうが記憶喪失中の仮人格だろうが、本物も偽物もないんですよ。よって小説に書かれていることや最近何かともてはやされている量子論なんかに惑わされずに、もっとシンプルにとにかく肉体こそを主体にして考えればいいのです。そもそも小説においては、記憶喪失や多重人格等の文字通り『人が変わってしまう』類いの非日常的イベントを展開するに当たって、人格的変化と肉体的変化とをごっちゃにし過ぎているんですよ。作品によっては左利きの人間が記憶喪失になったとたん右利きになったり、単なる引きこもりの少女が多重人格化したとたん学園きってのエースランナーや辣腕ギタリストに同時になったりすることがあるけれど、人の利き腕は先天的な脳の働きによって決まるのだから、記憶喪失になったからって変わったりすることなぞあり得ず、同様にランナーとギタリストとでは鍛えられる肉体の部位が大きく異なるのだから、多重人格化したからといって一人の人間が両方同時になれることはもちろん、その二つの人格を都合よく使い分けたりできるはずがないのです。しかも記憶喪失や多重人格が解消したとたんそれまでの経緯を一切無視して、あっさりと左利きの人間やただの引きこもりに舞い戻ってしまうことになっているけど、一度右利き用につくり変えられた脳の仕組みや、エースランナーとして鍛え抜かれた肉体や、学園屈指のギタリストとして指先にまで染みついた演奏テクニックが、跡形もなく消え去ってしまったりするものですか。これこそが肉体ではなく人格なぞといったあやふやなものを主体としている小説ならではの弊害なのであって、むしろすべては肉体こそを主体にして考えていくべきなのです。そうすればこのような初歩的な過ちを犯さずに済むし、それに何よりも肉体を主体に置くことで、単なる付属物でしかない人格のほうに関しては、いくら記憶喪失や多重人格化の前後において文字通りに別人そのものと言っていいほどの違いがあろうと、そのすべてをと見なしたところで別段構わないのですからね」

 そんな僕の滔々と流れるような理路整然とした説明を聞き終えるや、目を丸くする年上の少女。

「すべての人格が、本人にとっての本物の人格だと? あの『記憶喪失中の仮人格である私』──まさしくこの本来の私とは何もかもが正反対の『私』すらも、本物の人格だと言うのか⁉」

「ええ。言うなれば人格というよりもむしろ、元々あなたの中に秘められていたが、前の生徒会長の心無い言葉によって傷つけられたのを契機にして顔を出したようなものなのですよ。だからどっちが本物とか偽物とかはなく、もちろんお互いに打ち消し合う関係にもないのであって、最近になってそのように本来のあなたの人格──いえ、性格が顔を出し始めたのは、記憶喪失が快復して仮人格が消え去ってしまう前兆なんかではなく、むしろ二つの性格が一つになり始めた証しだったのです」

「記憶喪失中の仮人格もけしてつくられた偽物の人格なんかではなく、元々私の性格の一つだったのであり、今まさにそれぞれの性格が混じり合おうとしているだと? こんな高飛車で人を人とも思わないことで定評がある私に、実はあんなにも温和で協調性豊かな性格が秘められていたわけなのか?」

「うふふふふ。そう思われるのも当然なことなのです。何せ人の性格なんてものは本当のところは、他人どころか自分自身にだってしかとはわかっていないのであり、それなのに『僕は君の外見でなく中身に惚れたんだ!』なんて言うのは一見誠実のようでいて、思い上がりもはなはだしい単なる戯言でしかないのですよ。もしもそんなことを言われた時には、むしろ女性としては怒るべきなのです。『あなたなんかに私の性格が、本当にわかっているとでも言うの? あなたは私のことを、わかったつもりになっているだけよ!』とね。それに対して身体目当てであるからこそ僕は、真にあなたそのものを愛していると断言できるわけなのです。だからあなたも自分の人格を卑下する必要なぞなく、自らそのすべてを認めて、他人から愛されることを当然のこととして受け容れていけばいいのですよ。──それに何より、こうして本来の人格が表に出ている時にも、記憶喪失中の仮人格のほうも完全に排除されているわけではないことは、のはずですしね」

 そのように延々と続いた長口上を思わせぶりな言葉で締めるや、とたんに呆気にとられた表情となる目の前の少女。

 そしてすぐにその桃花の唇から、いかにも心底楽しそうな笑声がこぼれ落ちてくる。

「うふ、うふふふふ。まったく、あなたときたら」

 もはやうれし涙すら浮かべ始めたその宝玉のごとき黒曜石の瞳は、僕のよく見知ったものへと成り代わっていた。

「よくわかったわね、私の中の人格が淘汰し合っていたのではなく、むしろ一つになろうとし始めていたことを」

「さっきから言っているように僕は常に肉体を主体に考えていますから、人格なんてころころ変わっても当然のことに過ぎず、しかもそのすべてが本物だと思っていますしね。だからこそ先ほどいきなりあなたの『本来の人格』が顔を出したのを目の当たりにすることによって、むしろ現在のあなたは完全に『記憶喪失中の仮人格』であるようでいて、ちゃんと同時に『本来の人格』のほうも存在していることを確信できたといった次第なのですよ」

「……でも、本当にいいの? こんな私と付き合っていったんじゃ、いろいろと面倒なことばかり起きると思うわよ?」

「別に構いませんよ。何せ僕は身体目当てなのですからね。その面倒ごとすらもひっくるめて、あなたのすべてを愛してみせますよ!」

「もう、銀太君ったら。そんなに調子のいいことばかり言ってて、もしも私のことを捨てたりしたら許さないから。けしてもう二度と、あなたのことを離しはしないわよ」

 そのように冗談半分にいかにも拗ねたような表情をつくって釘を刺してくる、最愛のひと

 ──おおっ。会長ってば、意外と可愛いとこあるじゃん。

 だから僕もおふざけ半分本気半分で、こう言ったのであった。


「うほっ。まさか『品行方正お嬢様』や『ツンデレ高飛車女王様』だけでなく、更に『ヤンデレ』の人格まで付いていたとは⁉ これは今後の展開が大いに楽しみですなあ」

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