二、つくられた『彼女』。
「……まったく、困ったことをしてくれたわね。まさか君は
………………………は?
ほんの目と鼻の先に座っている上級生の少女の鮮血のごとき深紅の唇から放たれた、あまりにも思いがけない台詞に、僕はその時完全に言葉を失い硬直してしまった。
あの告白成就の日から、すでに数日後。
御存じのようにすったもんだの末に結局のところ僕は会長とお付き合いすることになったのだが、当然ながら学園内においては僕のごときモブキャラによる学園のマドンナの奇跡的な攻略成功に対して、祝福よりもむしろやっかみムードのほうが色濃く漂っており、散々冷やかされたりするのはまだいいほうで、場合によっては嫌がらせまがいの陰口や誹謗中傷を賜ることすらもあった。
もちろん今や文字通りに幸せの絶頂にある僕にとっては、そんなことはすべて取るに足らない些細なことに過ぎず、人の噂も七十五日とばかりに、まったく相手にすることはなかった。
それに、いまだ学園外でのデートを始めとする本格的な男女交際には至っていない僕と会長にとっての、事実上唯一の『逢瀬の場』である生徒会室においては、さすがに会長と身近で接してきた人たちばかりが在籍していることもあって、実は彼女が現在記憶喪失であることにより他人からの好意に対して物怖じしていたことにも何となく気づいており、むしろ僕とのお付き合いをめでたいことと捉えていて、応援ムード
だからこそ、会長の入学以来の親友であり、有能なる補佐役の副会長である、彼女──
「……ええと、副会長。何ですかいったい、僕が会長のことを壊してしまうって?」
僕はおずおずと慎重に、目の前の高校には場違いなまでに小柄な少女に問いただした。
そうなのである。先ほど放課後の二人っきりの生徒会室での残務整理の作業中に、唐突にいかにも不可解な台詞を僕に突きつけてきたのは、とても上級生とは思えない小柄で華奢な肢体に、ピンクのリボンで結ばれたツインテールの茶髪と真ん丸眼鏡に覆われたつぶらな瞳という、見た目には中学生か下手したら小学生としか思えない、可憐な少女であったのだ。
しかし、その見かけに騙されてはいけない。
彼女こそは、記憶喪失になったばかりで右も左もわからなかった親友の沙羅先輩を生徒会長候補に押し立てて、二年連続の当選を狙っていた先代の会長を始めとする手強きライバルたちを押し退けて見事に当選を果たさせた立役者なのであり、二年生にして学園きっての才媛の名をほしいままにするその裏で、人気者の生徒会長である沙羅先輩を矢面に立てつつ密かに学園の実権を完全に掌握することを成し遂げているという、生徒会における真の実力者にして、自他共に認める希代の策謀家なのだ。
そんな彼女と二人っきりで居残って黙々と作業をしていた
「……もしかして、やはり副会長も僕みたいな何の取り柄もない下級生が、沙羅先輩とお付き合いをしようだなんて、身の程知らずだと思っておられるわけなのでしょうか?」
そのように恐る恐る尋ねてみたところ、案に相違して若干表情を緩めて、肩をすくめる副会長殿。
「まさか、そんなことはないわよ? むしろ密かに自分が記憶喪失であることに悩み続けていた沙羅を勇気づけて救ってくれたことは、親友である私としても心から感謝しているわ」
「だ、だったら……」
「──でも、君はやり過ぎたのよ」
え。
「……やり過ぎた、ですって?」
「現在の記憶喪失状態にある彼女を認めて自信をつけさせたことに関しては、別に構わなかったの。だけど君は記憶喪失になる前の彼女をも、受け容れるようなことを言ってしまったよね? それが余計なことだったのよ」
へ? 余計なことって……。
「で、でも、僕なんかがどうこう言う以前に、親御さんを始めとして半年前から彼女を知っていた人たちにおいては当然、『記憶喪失になる前の会長』のほうこそが受け容れられていたのであって、だからこそ『今の会長』は、ある意味自分自身に対してコンプレックスを抱くようにして、思い悩んでいたんじゃないのですか?」
「まあ、そのうち君にもわかるわよ。──自分がいったい何をしでかしたのかをね」
僕の至極当然な疑問の言葉をそんないかにも意味深な台詞であっさりと切って捨てるや、もはや話は終わりとばかりに完全に口を閉じ作業を再開する副会長。
気まずい沈黙の中で同じく粛々と作業を続けながらも、僕は胸中で自分の何が彼女の勘気に触れてしまったのかについて、考えを巡らせることを止めることができなかった。
しかし彼女の言葉の真意を思い知らされるには、それほど時を必要とはしなかったのである。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「……誰だ、君は?」
その時上級生の少女の桃花の唇から発せられたのは、普段の彼女にはあまりにも似つかわしくない、冷淡極まる声音であった。
場所は今やすっかりお馴染みの、放課後の二人っきりの生徒会室。
いつものように会長に会うことを目当てにお手伝いにきてみれば、当の御本人がたった一人で所在なげになぜか会長席ではなく僕の席に座っていたので、少々疑問に思いながらも気軽に声をかけたところ、何よりも温和で親しみやすい彼女らしからぬ──ただし見方によっては名家の御令嬢としてはふさわしいとも言えなくもない、いかにも尊大なる表情と冷たい口調で、不可解な問いかけをなされたのであった。
「え、いや、誰だって言われても。いったいどうしたんです、会長? 急に変なことを言い出したりして。それに何で御自分の席ではなく、そんなところに座っているのです?」
「お手伝い要員である私が、お手伝い要員用の席に座って何が悪いと言うんだ? それより君こそどうして、私のことを『会長』などと呼ぶのだ?」
「へ?」
……いやいや。これはちょっとおかし過ぎるぞ。口調も何だか変だし。
いったい会長に、何があったというんだ?
「そんなことはともかく、君が何者であるのかを、ちゃんと答えたまえ。そもそも何の権限があって、この生徒会室に足を踏み入れたのだ? ここは部外者厳禁なのだぞ。それとも新たに選出された、クラス委員だか何らかの実行委員だかであるわけなのか?」
「ちょ、ちょっと、冗談はもうその辺でやめてください! 僕ですよ、1年A組の
「………………はあ? お付き合いって」
僕の必死の訴えに、一瞬いかにも呆けた表情となる会長殿。
「なっ、馬鹿な! 私が君なんかと…………え、いや、あれ? 君──いえ、あなたって、銀太君? あれ? 私ってば、いったい何を言って…………あれ、あれ、あれれれれ?」
急に顔を真っ赤に紅潮させて焦りまくりながら、支離滅裂なことを言い出す目の前の少女。
「ほんと私、どうしたのかしら? ──あっ、ごめんなさい。ここって銀太君の席だったわよね。あれ? 何で私、こんなところに座っていたんだろう? ……何だか、放課後になってすぐこの生徒会室に来てからの、記憶があやふやなんだけど」
──っ。
記憶があやふやって、まさか!
「か、会長! ひょっとして、記憶が戻ったんじゃないのですか⁉」
「え?」
僕の指摘の言葉にも、ただきょとんとなるばかりの
間違いなくその顔つきは、いつもの馴れ親しんだ彼女のものに立ち返っていた。
「覚えていないんですか? ほんのついさっきまで話し方といい表情といいまるで別人みたいで、僕のことさえ見覚えないみたいだったんですよ。あれってもしかして『半年前までの会長』だったんじゃないですか? ──いやあ、昔の会長って、あんなクールな感じだったんですね。あれはあれでいかにも名家の高貴なる御令嬢っぽくて、いいですねえ♡」
などと、僕がそのようにのん気に言った、
まさにその刹那であった。
「──いやああああああああああっ‼」
突然生徒会室中に響き渡る、絹を裂くかのような絶叫。
慌てて見やれば、何と会長が頭を抱えてその場にうずくまっていた。
「か、会長、どうなさったのですか⁉」
「いや、駄目、こっちに来ないで!」
咄嗟に駆け寄ろうとしたところ、ぴしゃりと突きつけられる、明確なる拒絶の言葉。
「……やっぱり、そうなんだわ。私はしょせん、そのうち消え去る定めにある『記憶喪失中の仮の人格』でしかないのよ。きっともうすぐ記憶が元に戻ってしまうに違いないわ。今のはその前兆だったのよ!」
あ。
そうか、記憶喪失が治ってしまうということは、『今の会長』が消えることにもなりかねないんだっけ。
「どのみち無理だったのよ、私なんかがあなたとお付き合いするなんて! こんないつかは消えてなくなる仮の人格ごときが、本当に人との絆を築けるものですか! もう私のことは放っておいて! これ以上近づいて来ないで! 一人にしておいて! ──このまま記憶が完全に戻って、『私』が消えてしまうその日まで!」
そのように叫び終えるや、嗚咽をもらし始める少女。
そんな彼女に対してかける言葉など何一つ見つからず、僕はただいつまでも、その場に立ちつくしていたのであった。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
それ以来会長はまた以前みたいに、僕のことを拒むようになってしまった。
いやむしろ、その頑なさはこれまでとは比べ物にならないほど、一層強固なものとなっていたのだ。
状況を打開するためにいろいろと話しかけようと聞く耳を持たず、果てには僕とは一切口をきいてくれなくなってしまい、まさに取り付く島もないとはこのことであろう。
しかもこれは程度の差はあるものの、他の生徒会役員を始めとする学園の生徒たちに対しても同様だったのである。
確かに以前の記憶が戻ることによって現在の『自分』というものが消えてしまうかも知れないといった状況は、恐怖以外の何物でもないだろう。
しかしそれにしても彼女の最近における、周囲に対する拒絶ぶりは尋常ではなかった。
それはまるで以前の記憶が甦ることによって、『本来の自分』を他人の目に触れさせることこそを、何よりも恐れているようでもあったのだ。
……もちろん記憶喪失になる前の『半年前までの彼女』のことなんて、それこそ半年前から彼女の周りにいた者なら当然みんな知っているのだから、今更何を恐れる必要があるのかは大いに疑問であった。
それでも僕はきっとその辺にこそ、会長が執拗に他者を──特に一度はお付き合いすることを承諾してくれたこの僕を、拒み続けている理由があるものとにらんでいたのだ。
だから僕は他の誰よりも彼女の『事情』に詳しいと思われる、あの方にすがりつくことにしたのである。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「──そんなの当然でしょ? 君は今の
重厚でシックな調度品で飾り立てられたいかにも大人の隠れ家といった感じの喫茶店の木造りのテーブルを挟んだ向かい側の席で、その年上の少女はコーヒーカップを片手に深紅の唇に思わせぶりな笑みを浮かべながらそう言った。
沙羅会長のここ最近の不可解なる態度の急変について、彼女の一の親友であり何かと事情通の
「は? 現在の記憶喪失状態が会長にとっての『理想の自分』であり、仮面だか防波堤だかでもあるって。しかもそれに僕が風穴を開けてしまったですって? ──いやいや。それにしても何ですか、『記憶喪失になってまでつくりあげた』って。普通記憶喪失というのは病気とか事故とかが原因でなるものであって、本人が故意になることができるものなんかじゃないでしょうが? まさかあなたこの期に及んで、会長が記憶喪失のふりをしているだけとか言い出すつもりじゃないでしょうね⁉」
そんな僕の至極もっともな疑問の言葉にも微塵も動じることなく、目の前の一見小中学生にしか見えないくせに実は誰よりも老獪なる少女は、更に平然と言を紡いでいく。
「そんなことないわよ。今回君もいわゆる『半年前までの沙羅』を目の当たりにしたことと思うけど、その時に気がつかなかった?」
「……気がつかなかったって、何にです?」
「以前の沙羅ってその振る舞いにしろ話し方にしろ、今の彼女と比べたらまるで別人じゃないかって。──そう。これでは記憶喪失というよりもむしろ、『多重人格』ではないのかって」
「──っ」
た、確かに。あの時の会長ときたら、普段の彼女からしたらまさに別人としか思えず、その変わりようは、いかにも世に言う多重人格現象そのものだったよな。
「それを踏まえてあえて聞きたいんだけど、君もよく御存じのようにSF小説やライトノベルなんかに頻繁に登場してくる、『多重人格』や『前世返り』や『人格の入れ替わり』などといった広い意味での『別人格化』現象において、主人公等の人格を乗っ取って文字通りに別人化してしまういわゆる『別人格』なんて代物は、いったいどこからやって来ているんだと思う?」
「へ? 別人格がどこからやって来ているのかって……」
何だ。いきなり妙ちきりんなことを言い出したぞ、この学園きっての才媛さんときたら。
「……う~ん。それってあくまでも、SF小説やライトノベル等の
「ブブー、不正解。いくら小説だからって、過去や異世界から人格や魂が転移してきて現代人の身体を乗っ取ったり、この現実世界の中で他人とお互いに人格が入れ替わったりするわけないじゃないの」
「はあ? いやいや。小説だからこそ前世返りや人格の入れ替わりといった超常現象が実現し得るのであって、そんなことを言い出したらそもそもSF小説やライトノベル等の、不思議な非現実的現象を扱う創作物自体が成り立たなくなってしまうじゃないですか⁉」
「残念だけどそんな考えじゃ、今時のうるさ型の読者は誰一人納得してくれないわよ。突然の別人格化の原因を何の根拠も無しに、過去や異世界から魂が転移してきたからとか知り合いと人格が入れ替わったからとか言ったところでね。しかも開き直って『小説なんだから別に構わないではないか』などと口走ったりしたら、ネットで散々叩かれたあげくの果てに大炎上って末路をたどることでしょうよ」
「うっ」
そ、そうなのか? 何て恐ろしいんだ、今時の読者って。
これじゃおちおち、いい加減なSF小説やライトノベルなんて書いてられないじゃないか。
「……だったら副会長は、別人格がどこからやって来ていると思っているのです?」
「だから最初に言ったじゃない。つくっているのよ、それこそ本人の自前の脳みそでね」
「なっ。脳みそでつくっているですって⁉」
「そもそも何でSF小説やライトノベルの登場人物って、前世の記憶に目覚めたり他人と人格が入れ替わったりするのだと思う? ──実はね、それは何よりも、読者がそうなることを願っているからなのよ」
「……いやそんな、身も蓋もない」
「いいえ、これこそはまさしく小説における非現実的なイベントすべてについて言える、『真理』のようなものなの。君も一度くらいは思ったことはない? 他人の心のうちを読み取りたいとか、未来のことを予知したいとか、自由自在に空を飛んでみたいとか、過去や未来にタイムトラベルをしたいとか、異世界に転移してチート能力を手に入れて無双したいとか、──自分の前世が有名な戦国武将や異世界の勇者だったらいいのにとか、気になるあの子と人格を交換したいとか」
──!
「そ、そうか。つまりあなたは僕らが小説等の創作物の類いを好んで読むのは、現実の人間がけして実現し得ない非現実的な願望さえも難なく叶えることができる小説の登場人物たちに対して、いわゆる『自己投影』をしているからこそだと言いたいわけなのですね?」
「そういうこと。かように私たち人間というものは、現実の自分とは異なる『理想の自分』となることを常に夢見ていて、特にSF小説やライトノベルお得意の前世返りや人格の入れ替わりやそれに何と言っても多重人格化といった、広い意味で『別人格化』と呼び得る超常的イベントこそは、まさしくこの『理想の自分になりたい』という願望を具象化しているようなものであるわけなんだけど、別にそれこそ
「え。脳みそで別人格をシミュレーションするって……」
「実はこれは現代物理学の根幹をなす代表的な理論である、量子論に基づいた正当なる見解でもあるのよ? 我々人間を含むこの世の森羅万象の物質の物理量の最小単位である量子というもののほんの一瞬後の形態や位置を予測できないのは、量子を始めとする万物の未来には常に無限の可能性があり得るからであって、つまり我々人間にもほんの一瞬後に前世返りしたり他人と人格が入れ替わったりする可能性があるということになるの。ある意味量子を始めとして森羅万象のすべてにわたり果ては世界そのものに至るまで、一切合切が一瞬のみの存在に過ぎず、一瞬ごとに無数に存在している『別の可能性の自分』と入れ替わる可能性があって、その中には『前世に目覚めた自分』や『他人と人格が入れ替わってしまった自分』もいる可能性もあり得るというわけなのよ。──もちろん可能性は可能性に過ぎず、この現実世界で前世に目覚めたり他人と人格が入れ替わったりすることなんか原則的にあり得るはずがなく、ただひたすら現実的な日常を繰り返していくばかりなんだけど、これが夢の世界に舞台を移すだけで、話がまったく違ってくることになるの」
「へ? 夢の世界、ですか?」
「つまりは夢の世界の中なら当然のごとく『何でもアリ』なのだから、いかにも非現実的な『別の可能性の自分』となっても別に構わないってことなのよ。しかもそもそも夢の世界には基本的に時間と空間の概念自体が存在しないゆえに、自分の脳みそで無意識に
「──なっ⁉」
別人になる夢を見るだけで、SF小説やライトノベルそのままの超常的イベントを現実のものにできるだと⁉
「もちろんこれは前世返りや人格の入れ替わりといったいかにも非現実的なことだけでなく、いわゆる『多重人格』についても同じことが言えて、むしろ何よりも『今の自分とは異なる真に理想的な自分』になりたいがゆえに、無意識に天然の量子コンピュータとも呼び得る自前の脳みそをフル回転させて、まさしく自らの願望をそのまま反映した『別の可能性としての自分』を夢の中でシミュレートして完全になりきることで、例えばSF小説やライトノベル等の諸作品で見られるように、目が覚めた後で左利きの人間が右利きになっていたり、引きこもりの少女が学園きってのエースランナーや軽音楽部の辣腕ギタリストになったりといった、文字通り一夜にして夢を叶えることだってあり得るわけであり、そしてこれは記憶喪失についても同様なの」
「は? 記憶喪失が、前世返りや人格の入れ替わりや多重人格と同じですって?」
「ええ。少なくとも沙羅の現在の状況に関しては、そう言っても差し支えないの。何せ彼女が記憶喪失となったのは病気や事故のせいではなく、あくまでも自分の意思によるものなのですからね」
「自分の意思って、つまり会長は、わざと記憶喪失になったというわけなのですか⁉」
「そうよ。沙羅はある甚大なる精神的ショックを受けたことにより、自ら半年前までの記憶にブロックをかけてしまい、しかもその上で自前の脳みそでシミュレーションすることによって、彼女にとっての『理想の自分』である現在の人格を生み出したの。──まさしくSF小説やライトノベル等の創作物における、前世返りや人格の入れ替わりや多重人格そのままにね」
会長が理想の自分になるためにこそ、自ら記憶喪失になっただって⁉
「……何でわざわざ、そんなことを」
もはやただ呆然とつぶやくばかりの僕に対して、目の前の少女はここで突然これまでにない真剣な表情となるや、決定的な言葉を告げてきた。
「それも当然よ。何せ自分が密かに思いを寄せていた相手から、己の人格そのものを幾重の意味からも、こっぴどく否定されてしまったのですからね」
「──‼」
密かに思いを寄せていた相手だって⁉ 会長にそんな人がいたのか? しかもよりによってそいつから、人格を否定されただと?
「沙羅と私も一年生の頃は君と同じようにお手伝い要員として生徒会活動に参加していたんだけど、当時の本来の沙羅は現在の温和で協調性第一主義の彼女とは似ても似つかない、いかにも名家の御令嬢そのものの高飛車でエリート意識むき出しのとても一年生とは思えない生意気な感じだったんだけど、優秀で仕事ができるのは間違いなく、自分自身も二年生ながらに生徒会長を務めていた切れ者の先輩男子に気に入られて片腕同然に扱われていたの。沙羅もそんな彼のことに全幅の信頼を寄せてほのかな恋心すら抱いていたんだけど、ある日私と一緒にいつものように生徒会室に来た時に、扉の外で偶然聞いてしまったのよ。当時の会長が同級生の会計職の女の子に向かって、『
……何、だと。
「当然それを聞くや否や、沙羅はその場を逃げ出していって、それ以来生徒会室に近寄ることがなくなったのはもちろん、学園自体にも来なくなってしまったわ。一応それから一週間ほどたってようやく登校したかと思えば、何と記憶喪失になっていて、まったく人が変わってしまっていたの。──まさしくあのクズ男の元会長が言っていたような、『控えめで常に男を立ててくれる可愛げのある女の子』そのままにね。そう。彼女は自分の想い人に気に入ってもらいたいばかりに、無意識にそれまでの記憶をブロックして本来の自分自身を捨て去って、自前の脳みそでシミュレートした『理想の自分』になりきったってわけなの。──それなのにあのクズ男ときたら、沙羅のことを一目見るなり何と言ったかわかる? 『やれやれ。君も何ともつまらない女になったものだ。これじゃ僕の片腕失格だ。今度の選挙は君でなくこっちの会計の子を副会長候補に立てて、僕自身生徒会長の再選を目指すことにするよ』なんてほざきやがったのよ。つまり沙羅は元々の人格だけでなく、あいつのためにつくりあげた新たな人格さえも、完全に否定されてしまったの」
──っ。
「その結果沙羅は今度こそ本当に絶望のどん底に陥ってしまい、すごすごと生徒会室を後にしていったんだけど、親友の私としてはこのままで済ますつもりなぞ毛頭なく、説得に説得を重ねて沙羅に生徒会長として選挙に打って出ることを決意させて、私自身も副会長候補兼参謀として共に選挙戦を闘うことにして、あえて沙羅と会長と会計の子との関係をスキャンダラスにあおり立てた噂を流して、沙羅に対する同情票を集めるとともに、会長のほうはかつて自分の右腕だった記憶喪失中の可哀想な女の子をあっさりと切り捨てた人非人として信用を失墜させて、大差をつけて選挙戦に勝利したって次第なのよ。……ふふふ。ざまあないわね。あのクズ男ったら結局会計の子にも振られて完全に学園に居場所がなくなって、泣く泣く転校していってしまったわ」
そう言って黒々としたほくそ笑みを浮かべる、学園きっての才媛にして策謀家殿。
──こ、怖っ! 女って怖っ!
僕は絶対に、女性を敵に回すようなまねはしないぞ。
しかしそんな僕の決意も虚しく、彼女の新たなる矛先は無情にも、僕のほうへと向けられたのであった。
「だからね、
「え。それって、どうして……」
「だってそうでしょう? 『今の彼女』という人格は、別に記憶喪失になったために偶然に生み出されたものではなく、彼女自身の意思によって自前の脳みそで
……何……だっ……てえ……。
「ゆえに君も私同様に、本来の彼女を含むすべての沙羅を認めてやるとか言わずに、彼女にとっての『理想の自分』である現在の沙羅だけを尊重していけばいいのよ。そうすれば彼女は心穏やかに、いつまでも理想の自分を演じ続けることができるのですからね。──そう。けして他者に本当の意味で心を開くことなく、すべての者に対して平等に一定の距離を保ちながらね」
そのように僕に向かって言い含めるようにして言葉を切るや、席を立ちそのまま会計を済ませて店を出て行く副会長。
それに対して僕のほうは完全に心ここにあらずといった
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