第7話 明けの花(4)

 アグリスがイビルシャインへ冒険者の説明を行っていた頃、その二人のやり取りを少し離れた位置から、怪しむように観察する者がいた。


 薄い赤みのかかった黄色の髪は、腰へ届くのであろう長さを持ち、天井に飾られた小さなシャンデリアからの降り注ぐ眩い光は、その綺麗な髪を照らし続けている。


 丈の短な白妙のワンピースにも思える衣服の上から赤いマントを羽織り、腕を覆う銅色の籠手には、洞窟で採取した薬草の苦みを感じさせる臭いが染みついていた。

 ――アイリス・リリア。

 見習いアプレンティス魔法使いウィザードいのクラスに属する、ルーナ階級の冒険者であり、イビルシャインがこの世界で初めて――とは言っても、もう二人いたが――出会った人物だ。


 テーブルに置かれた遺物形成の武具を時折、大切そうに撫でながら、アイリスはカウンターで会話するイビルシャインをジッと見つめている、


「そんなに気なるなら行ってみれば?」


 そんなアイリスの隣から、訝しい表情を浮かべたタツヤの声がかかった。

 対して、頬を膨らませアイリスは勢いよく振り返り。


「そんなことできません!!」

「おわっ!? いきなり怒鳴るなよ……」


 可愛らしい大声には、幾分かの羞恥が込められており、タツヤはわざとらしく後ずさるも、表情には一切の怯えはない。


 アイリスも自分の声に迫力がないことは認知しているのか、いじけた顔つきを一瞬だけ見せると、再びカウンターへと顔を向けた。


「っえ!? なにあれ!! ちょ、タツヤさん、見てください!!」

「なんだよ……あー、あれは、『物体凍結アイス・ストップ』だな」

「それって、たしか第四流出魔法ですよね! わあ、すごいなぁ!!」


 再度カウンターを見たアイリスが、目にしたのはイビルシャインがカウンターを凍結させている姿だった。

 優しく置かれた手を中心に、カウンターがみるみる凍り付いている。

 カウンターの一部でだけでなく、すべてを凍らせる彼女の偉業にアイリスは幼き子の如く目を輝かせた。


 一方タツヤは、イビルシャインの使用した魔法をそれほど珍しく思えなかったのか、細めた目で飛び跳ねるアイリスを凝視している。


「……黒か」

「っ、変態!!」

「っぶ!?」


 時折、短い白から顔を覗かせるアイリスの背伸びしたそれを確認したタツヤは、噛みしめるように呟いた。

 次の瞬間、襲い掛かる重みの乗る鉄槌を整った顔で受け止めれば、木製の床へ無抵抗のまま勢いよく倒れ込む。


「マジでいたい……。あと、なんか臭い」

「薬草の匂いですよーだ! あれ、イビルシャインさん、話し合い終わったのかな?」


 籠手に染みついた薬草の臭いを確認しながら、アイリスはイビルシャインの姿を探す。

 先ほどまで居た場所には、困りながら氷漬けになったカウンターをどうすればいいか考えているアグリスだけで、イビルシャインの姿はなかった。

 倒れるタツヤなど気にも留めないで、アイリスはキョロキョロと辺りを見回す。


「……随分、熱心に誰かを探しているのね」

「うわっ!? い、イビルシャインさん!? いつの間に!?」


 背後から聞こえた透き通る声に、思わず体が跳ね上がる。

 アイリスは、不格好なポーズで驚きを表現すると忙しそうに慌てふためきながら、イビルシャインの瞳を恥じらった表情で確認した。

 真紅の瞳は、妖艶な光を宿しながらアイリスの心を見通す様に、真っ直ぐにこちらを見据えている。


「で、あなたはいったいどうしたのかしら? さっきから情熱的な眼差しを送っていてくれたようだけど。そのせいで、背中が火照って大変だったのよ?」


 怪しく息を吹き、滑らかにアイリスの頬に手を添える。

 距離の近くなったイビルシャインの顔に、赤面しながらアイリスは、恥ずかしさに目を逸らす。

 その様子をからかうかのように、イビルシャインはクスリと笑い、手を放した。


「あ、あの……ちょっと気になっちゃって」

「あら、もしかして私が?」


 イビルシャインの問いかけに、アイリスはゆっくりと頷いた。


「別に、あなたが気になるような話はしていないわよ」

「そうなんですか?」


 アイリスはきょとんとした顔で首をかしげる。


「ええ。ただ単に……そうね。冒険者のことを聞いただけよ。あなたが、言ったでしょ? ギルドで聞いた方が早いって」

「それは言いましたけど……ただ……」

「ただ?」


 白い髪を細い指先で弄りながら、イビルシャインは洞窟でのやり取りを思い返す。

 あの時、アイリスは結局冒険者ギルドで聞いた方が良いと言っていたはずだ。


 アイリス本人も、その言葉を言った記憶はあるし、事実、忘れていたわけでもない。

 なにかを言いよどむアイリスの様子にイビルシャインはイラついた様子も見せず、彼女の続く言葉を待つ。


「えっと、アイリスは話というよりも、イビルシャインさん本人が気になっていてんだと思いますよ」

「私を?」


 倒れていたタツヤが身を起こして、目線だけをアイリスに向ける。

 助け舟とでも言うべきフォローに、アイリスは恥ずかしそうに首を縦に振った。

 理由がいまひとつ分からないイビルシャインは、自身の顔を不思議そうに指して、アイリスを凝視する。


 正直な話、イビルシャインはアイリスのことなど、このギルドに着いた瞬間から、どうでもよく、彼女に渡した武具も手切れ金としての役割を意味していたのだが。


 どうやら伝え方が遠回りすぎたのか、アイリスには微塵も意味をなしていなかった。

 寧ろ、未だに固執するあたり、彼女の中でのイビルシャインの評価は存外に高いものになっているのだろう。


「それじゃあ、俺はあれを溶かしに行ってきますね」

「ああ、すっかり忘れていたわ」


 タツヤは少し前から、無言の笑顔と圧力を向けてくるアグリスに手を振ると、若干の苦笑いを浮かべて凍結の放置されたカウンターへと向かった。


 そういえば凍結を溶かすことを忘れていた――とイビルシャインは思いながらも、悪戯に口角を上げるだけで、離れていく彼を止めようとはしない。


 本来ならばイビルシャインが行うべきことなのだろうが、生憎と人の善意を無碍にするなんて趣味は持ち合わせていない。

 やってくれるというのなら甘んじてそれを快諾しよう。


「それにしても、あれを解除できるってことは彼……タツヤといったかしら。あの人も、第四流出魔法を使えるのね」

「あ、はい。ああ見えてっていったら失礼かもですけど、タツヤさんはオリーゴの冒険者ですからね。明けの花で最強って言われている一人ですし」

「オリーゴねぇ……」


 ようやく口を開いたアイリスの説明を聞き、イビルシャインは目を細めた。

 オリーゴと呼ばれる階級は、アグリスの説明を思い返す限りでは、セフィロトの次に高かったと記憶する。


 であればおそらくだが、タツヤは第四流出魔法以上も扱える可能性があるだろう。

 仮にそうであるなら、いずれ、というよりイビルシャインの目的を考えれば確実に敵対関係となる人物の中でも警戒すべき存在となる。


 この世界において、彼女は今、全知でも全能でもなければ絶対でもない。

 他の神々やタツヤのような存在を考えれば、イビルシャインと渡り合える者は少なくないはずだ。

 であれば、ならば警戒心は持つに残したことはない。


「それに――」


 彼の自己紹介を思い出す限り、あの名前は試作世界A、すなわち地球に存在する一つの国で使われているものだ。

 アイリスの名前と比較すればわかるが、カシワギ・タツヤという名は、この世界において異色だとイビルシャインは感じていた。


 それに、あの形の名前は嫌というほど神だったころに聞いた。

 間違える――勘違いはないだろう。

 カシワギ・タツヤはこちらの世界に来た人間。

 そして名前が地球の頃と変わっていないことを鑑みる限り、彼は転移者だろう。


 ふむ、とイビルシャインはさらに思案する。

 転移者には神が特別な恩恵を授けていたのだが、彼を自身が直接転移させた記憶はない。


 ということは、他の神が担当したのだろう。

 そうなると少々厄介だ。

 なにせ、カシワギ・タツヤがどのような恩恵を受けっとったか不明だからだ。

 イビルシャインはこの世界に来て初めて苦い表情を浮べた。


「はぁ……面倒ね」


 転移者の存在に少しだけ頭を痛める。

 なぜ自分たちは、この世界に別世界の人間を送り出したのか。

 時間の概念が存在しない神にとっては、はるか昔なのかちょっと前の出来事なのか、それすら分からないが、おそらく昔に正当な意味があったのだろうが、今となっては原因となる理由を忘れてしまった。


 なにか重要な要因があった気がするが――。

 全知だったころは、何かを考えることは勿論、物事を記憶する必要などなかった。

 頭を使わずともすべてを認知しているからであり、決して忘れることもないからだ。


 しかし、今は違う。

 思考も記憶も必要不可欠だ。

 考えなければ何も分からないし、思い出さなければ与えられた情報はいずれ忘却される。

 全知を失ったいま、そのツケがまわってきたのだろう。

 イビルシャインが転移者のことを記憶していたのは奇跡なのかもしれない。


「あの……どうしました?」

「いえ、なんでもないわ。彼は凄いのねと思って」


 急に黙りこくるイビルシャインを不思議そうに見つめるアイリス。

 思考をいったん止めると、イビルシャインは笑顔で答えた。


「そういえば、どうしてイビルシャインさんはカウンターを凍らせたんですか? は! まさか、アグリスさんに何か失礼なこと言われたんですか!?」


 わなわなと震えながらアイリスはアグリスを睨む。


「違うわよ。ただ、冒険者になるには資格が必要って言われたから、その場でテストしただけよ」

[ああ、なんだ。そうだったんですね……って、ええ!? イビルシャインさん、冒険者になるんですか!?]


 さらりと何か重大なことをこの人は言ったぞとアイリスは大袈裟に驚く。

 クリーム色の髪が大きく左右に揺れ動き、イビルシャインはおかしくそれを眺めた。


「なる、というよりはもうなったが正解ね。ほら」


 洞窟でアイリスがしたように、右手の甲を見せる。

 紫色で刻まれた五芒星の印はイビルシャインの冒険者としての証。


「ほ、ほんとうだ……。しかも私よりクラスが高い」


 刻印の模様からイビルシャインがどの位置の魔法使いかを察したアイリスは、目を見開いたまま数秒間硬直をした。

 野盗を退治した魔法やカウンターを凍結する魔法を考えれば、彼女のクラス階級は納得ができる。

 が、いきなりの階級が自分より上の星詠の魔法使いステラ・ウィザードだと少々複雑な気持ちだ。


「これで、私も冒険者。あなたと同業者ね。よろしく、先輩」

「ひゃっ!? は、はい……。こちらこそお願いします……です」

「ふふっ」


 そっと耳元で囁くイビルシャインの吐息がくすぐったい。

 アイリスはビクッと身体を震わせる。

 正直な反応にイビルシャインは面白い玩具を見つけたのか、見る者によってはいやらしさを感じさせる微笑みを見せた。

 先輩と言われても、どう考えても彼女の方が先輩にしか思えないとアイリスは心の中で呟く。


「と、ところでイビルシャインさんはこれからどうするんですか?」

「どうって、普通に当分の間は冒険者としてお金を稼ぐつもりよ。なんせ今は無一文なのだから」

「あ、いや……その間、何処で過ごすのかなって」


 心配そうに見つめてくるアイリスに、イビルシャインは少々驚きながら。


「あら、優しいのね。心配してくれるなんて。大丈夫よ。十分な……宿に泊まっても余裕がでる程度の稼ぎになるまでは、適当に身体でも売ってやりくりするわ」


 その言葉をたまたま耳にはさんだ数人の男たちが、イビルシャインを下賤な目線で見つめてきた。

 するとアイリスは――。


「ダメです!! それだけは絶対にダメです!!」


 断固拒否と男達から守るようにイビルシャインを強く抱きしめる。

 突然の抱擁にはさすがのイビルシャインも面食らったのか、どことなく呆けた顔つきを見せた。


「泊まる宛がないなら私の家に来てください! 丁度、一人暮らしで寂しかったんです! そうしましょう!! ね、いいですよね!?」


 イビルシャインの身体を強く揺さぶりながら、アイリスは、これは名案だと言わんばかりに何度も首を縦に振る。

 そんな彼女に観念したのか、はたまた押し切られたのか。


「わ、分かったから、分かったから落ち着いて」


 イビルシャインは、うんとしか言えなかった。


「それじゃあ、早速行きましょう! 我が家へ! あ、途中でイビルシャインさんの服も買わなきゃですね!! 勿論、支払いは私がしますので!!」


 どうしてここまで懐いているのか分からない。

 イビルシャインはひたすら困惑した。


「全知じゃないって本当に面倒ね……。でも――」

「どうかしました?」

「いいえ。なんでもないわ」


 こうした感情をきっと楽しいというのだろう。

 笑顔を向けるアイリスにイビルシャインも微笑みを返した。


 そして――。


 この笑顔が絶望に変わるときは,きっとさらに楽しいに違いない。


 歪んだ破顔は邪悪に輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コール オブ イビルシャイン 小宮裕子 @lesca777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ