第21話 あなたが大嫌い。





「……これは困りましたわね。せっかく蓄えた魔力ですから、こんなところで無駄に消耗したくないのですけれど」


 実際、困ったことになった。しかし困り果てたわけではない。


 身を沈めていたベッドから下りたライラの左手に、魔弓ロロノアが具現化する。その弓身きゅうしんを支える左腕に力を込めれば、ロロノアはたちまちのうちに数倍にも膨れ上がった。肥大化した矢に籠められた魔力も、六十年前のそれとは比べ物にならない。極限にまで濃縮された魔力の矢は、碧色を通り越して深碧しんぺきの発光を帯びていた。


 ライラの唇の端が、勝ち誇ったかのように吊り上がる。が、けたたましいまでに膨張したロロノアの姿を見ても、クロードは無邪気に目を輝かせるのだった。臆するどころか、呑気な口調で言ってのける。


「うは、マジかよ。ライラお前これ、あなぐらごと吹き飛ぶやつだろ」

「私とて不本意ですけれど、世の中には仕方のないことが沢山ありますものね」


 破壊の女神クロードの戦闘能力の高さは、誰よりもライラが一番よく分かっていた。クロードがその気になれば、三柱のひとつくらいは墜とせるのではないかと、何度訝しんだか分からない。


 だからこそ、惜しみない一撃で挑む。

 しかしクロードは言うのだ。あっけらかんと、まるで何でもないことのように。


「でもなライラ、傷付くかもしんねーけど教えてやる。まだまだ足りないわ。この程度の力じゃあ、あたしさえも倒せねー」

「……命乞いをするなら今ですわよ。クロードさんが口を噤んでくださるのなら、友好的な解決策を探すのもやぶさかではありませんわ」

「あいにくだけどさ、口が軽いことだけがあたしの自慢でね」


 交渉の余地無しと判断したライラは、更なる魔力をロロノアへと込めた。しかしクロードは言う。かつての何十倍にも力を増した魔弓を前にして、何度目かの同じ台詞を。


「ったく、いつも言ってんだろ? あいつらは倒せねーよ。


 クロードは肯定する。女神たちの無力を。ライラが羨望するほどの強大な力を持ちながら、それでも神殺しなど夢物語だとクロードは言う。


 聞き飽きた台詞がライラを激昂させ、後先を顧りみないロロノアの矢が放たれた。


 自らの理想の妨げになるのならば、旧友を失うのも仕方のないこと。米粒大にも満たない感傷を乗せた莫大な破壊的エネルギーは、この新世界ヘルヘイムを半壊させてしまうことだろう。


 ならば、もう一度創り直すまで。再生の女神は、固く決意する。


「──クロードさん。塵になって後悔なさい」


 そう呟いて目を細めるライラの前で、クロードは想定外の行動を取った。あろうことかクロードは、ロロノアの矢を真正面から迎え討ったのだ。回避されることまで想定して、二撃目の充填を怠らなかったライラだったが、クロードのまさかの判断には思わず目を疑う。


 神々の慢心は、例外なく破壊の女神にまで波及していたのか。少しだけ残念な心持ちで、ライラは粉塵に包まれたクロードに別れを告げようとした。


 ──粉塵?


 強烈な違和感がライラの胸中を駆け抜ける。ロロノアの一撃が直撃すれば、粉塵程度で済むはずがないのだ。冗談半分にクロードが言ったように、この窖ごと木っ端微塵になって崩壊するはず。例えば、そう──、地崩れ。地崩れの一つでも起きなければ、理屈が通らない。


覇柩はきゅうマキャベリ」


 粉塵の中から、詠唱のように呟くクロードの声。それが彼女の持つ神具の名なのだと、ライラは瞬時に理解する。やがて粉塵が晴れると、まばゆいばかりの碧色の閃光が、辺り一帯を激しく照らした。


「いってー。やっぱり受け止めるには、ちょっと無理があったわ……」

「受け止める……、ですって?」


 あまりにも馬鹿げた発言に、ライラは二の句が継げなかった。髪をぼさぼさにして、埃塗れになりながら顔をしかめるクロードは、しかし自らの足でしっかりと地に立っている。彼女の左手には、覇柩マキャベリと呼ばれた神具。


 ライラが初めて目にするクロードの神具は、その名の通りひつぎの形状をしていた。その禍々しい外装には、王冠をかぶった不気味なむくろが彫り込まれている。海よりも深い青紫色をした棺には、大仰な鎖が幾重にも巻き付けられていた。


 クロードはその鎖を素手で掴んで、盾の要領で棺を構えている。彼女はこのあなぐらを壊さぬよう、ロロノアの一撃を自らの神具で受け止めたのだった。両足を踏ん張って歯を食い縛り、暴力的な破壊力が完全に失くなるまで、クロードはロロノアの矢を決していなさなかった。


「なぁライラ、やるならちゃんとやれよ。じゃなきゃさー、だろーが」


 眉間にしわを寄せて、ライラの無力をクロードが咎める。結局のところ何もかもお見通しなのかと、諦めにも似た感情がライラを支配した。


 破壊の女神は、やはり底の知れない相手だった。気まぐれな振りをしておいて、実際は相当の策略家であるはずだ。濁りの無い七色の瞳オッドアイの輝きが、全てを見透かすかのようにライラを見つめている。


「……クロードさん、この際だから告白します。私はあなたが大嫌いです」

「前から知ってるよ」

「ほら、そうやっていつもいつも……、何もかもをはぐらかしてばかりのあなたがっ!」


 声を荒げても、ライラの声は美しかった。瞳に涙を溜めたライラを見て、クロードはぽりぽりと頬を掻きながら答える。


「白状するよ。実はさ、あたしにもちょっとだけ下心があったんだわ」

「下心?」


 何を言おうとしているのか少しも分からず、ライラはクロードの言葉を反芻した。


「受け止めたら切れるかなー、って思ったんだよね。ほら、ぐるぐる巻きのマキャベリの鎖がさ。この中に何が収まってるのかさ、自分でもずっと気になってんだよ」


 クロードはそう言って、赤い舌をぺろりと出してみせた。呆気にとられて目を丸くするライラは、創世神リーヴの名に似つかわしくないあどけない少女のようであった。




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