第22話 破壊の女神は何も壊さない。





 ライラの案内のもと、四度の転移を経て辿り着いた土室つちむろ。そこには、あまりにも惨たらしい光景が広がっていた。蟻の巣に例えられたあなぐらの最奥部で、支払われ続けてきた犠牲をクロードは目にすることとなる。


 彼女の視線の先にある剥き出しの土壁には、青緑色の皮膚をした肉の塊が鉄杭で打ち付けられていた。その数は、ざっと見て二十を下らない。性別の判別さえも困難になったそれらは、神隠しに遭った竜人たちの成れの果ての姿であった。


 尊厳の欠片すらも与えられない彼らの前に、可愛らしい少年少女の形をした拷問器具オートマタがずらりと並べられている。少年少女オートマタがそれぞれの手に握っているものは、鋭利な銀製の鉤爪だ。フォークにも似た形をした小振りの鉤爪は、くるくると同じ方向に回り続けるだけの単純な仕組みをしている。


 どこか滑稽なからくりの刃は竜人たちの躰を貫いたままで、ただ執拗に回転を続けるだけだった。ある者は四肢を、ある者は目玉を、またある者は口腔内を──、銀の爪に掻き回されながら時を刻み続けているのだ。しかしその傷口は、決して致命傷には成り得ない。


 確かな拍動が、竜人たちの胸板を今も収縮させているのが見て取れる。竜人という種族に与えられた強靭な生命力を、自ら呪った者も少なくはなかっただろう。


 垂れ流された糞尿は雑に掘られた側溝へとけられ、滴り落ちる紺碧の血は大きな水瓶の中へと溜められていた。魔具を身に着けた選民ら数名が、虚ろな目を彷徨わせながら黙々と管理をしている。彼らもまた心を壊しているのか、視界に入っているはずのクロードの姿に反応はなかった。


「なぁライラ。何が良いとか何が悪いとか、あたしにはさっぱり分かんねーけどさ──」


 あちこちが腐敗した肉片の臭気が満ちる中で、クロードは静かに目を瞑って哀悼の意を捧げた。今も確実に脈拍を打ち続けているそれらの肉体いのちが、もう死んでいるに等しい生命いのちの抜け殻だと悟ったからだ。


「見てて面白いもんじゃねーな。お前のやってることは、女王蟻の真似事だよ」


 女王蟻の方が遥かにマシだけどな、と、そんな想いでクロードは悪態を吐いた。新世界ヘルヘイムと名付けられたこの窖は、蟻の巣でも土竜の巣でもなく土壙どこうだったのだ。墓穴の中に迷い込んでしまったかのような錯覚が、クロードの感情をわずかに昂ぶらせている。


 沈黙以外を返さないライラに、これ見よがしの溜め息を吐き出してクロードは言う。


「治せるのか? いや、治せねーよなあ。肉体はどうにか治せたとしても、崩壊しちまった心を治すのはちょっと無理だろ」

「……クロードさんの仰る通りですわ」


 消え入りそうな肯定の言葉に、クロードはもう何も言わなかった。ただ腰元の短剣を抜いたクロードは、たちに絶命を授けていく。心の臓を一突きで、最速の死を確実に与えていった。


「ザンカのおっさんにはとても言えねえな。良いところまで行ったんだけど、結局手掛かりは途絶えちまったってところか」

「クロードさんはお優しいのですね。数多あまたの人間たちの生命を、神々の強欲で刈り取ってきたというのに──、その身勝手な優しさが眩しいですわ」


 言葉にどれだけ毒を込めても、クロードが動じることはなかった。もしも相手がウィヌシュカであれば、多大な自責の念が彼女を圧し潰そうとしたはずだ。なるほど、これがクロードとウィヌシュカの差異か。敗北感の裏側で、ライラはそう分析する。


「あたしだってよ、好きで破壊の女神をやってるわけじゃねーよ。そもそも神具が盾だってのに、破壊の女神とか言われるのが恥ずかしくてかなわねー」


 感傷の一片さえも感じさせない、軽い口調でクロードが言った。あれほどまでに禍々しいひつぎを盾だと言い張るのは、それこそ身勝手が過ぎるというものだ。窖に迷い込んだ彼女の眩しさが、ライラにいっそ清々しさを連れてくる。


「参りました。どうやら私とクロードさんでは、そもそもの器が違うようです」

「あん? そんなの当たり前だろ。あたしはあたしでお前はお前だ。違うに決まってんだろーが」


 クロードが屈託なくけらけらと笑う。謙遜でもなければ、傲りでもない。本当にそれが当然だと心の底から信じて疑わない笑みだ。ライラは豊かな黒髪を両手でたくし上げて、か細い首筋をクロードに差し出すように低頭した。


「……何の真似だよ」

「見て分かりませんか? クロードさんが刎ねるべき首を差し出しているのですわ」


 鈴を転がすような美しい声に、どこまでも優雅な振る舞い。すっかりいつも通りの再生の女神は、平然と断罪を乞い願うのだった。


「ここで私を殺さない限り、私は編み続けます。神々にとっての密教にして邪教──、新しい外典とつふみを延々と」


 ライラはっている。新しい世界を求める自らの欲求が、一度の挫折くらいでは鎮まらないことを。呼吸をするよりも自然に、次なる牙を磨き続けるであろう己の未来を。ライラが女神として生き続ける限り、彼女は何度でも神々の転覆を試みるのだ。


 クロードにしてはめずらしく、逡巡するような間が挿入された。しかしライラはやはり低頭したままで、断頭の刃が振り下ろされるのを待っている。


 ややあってからクロードは、神妙な面持ちで口を開いた。こうして彼女から放たれた言葉は、ライラの意表を突くには余りあるものだった。


「面白そうじゃねーか。あたしも一枚噛ませろよ」

「──はい?」

「ただし、胸糞の悪いやり方はナシだ。その時は迷わず、お前の首を刎ねる」


 不敵な笑みを浮かべるクロードに、ライラは心から狼狽した。それもそのはずである。思いがけない道筋で、最強のカードが自陣に加わったのだから。




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