第19話 炎の化身はその身を焦がしながら。
ウィヌシュカの焦りと苛立ちは、わずかな逡巡の末に影を潜めた。代わりに揺るぎない歓喜が、彼女の胸を震わせている。同胞の窮地を前に湧き上がったその感情は、軋むような罪悪感に塗れていたが──。
それでもウィヌシュカは、歓びを拭えない。
人間たちの知恵が神を滅ぼす未来が、彼女の目の前で今まさに体現されようとしていたからだ。無力の集合体だからこそ、彼らは万能を討つ。否、我らが万能であるという幻想こそが、神々にとって最大の
ならば
ウィヌシュカは夢想する。彼らの刃が、三柱の主神を討ち滅ぼす未来を。
「しかし、それはそれとて──」
ウィヌシュカは
万年の時を刻む氷雪を、刹那にして焼き払う業火の華。
動揺の声が衛兵たちのあちらこちらから上がり、老兵の号令も待たずに
「
低く
戦場の気温が更に上昇し、氷のフィールドが見る見るうちに蒸発していく。たじろぐ衛兵たちの中には、生まれて初めて剥き出しの大地を目にした者もいた。
「漆黒に燃え盛る鎌……、まさか貴様は、シンモラの化身だとでも言うのか」
指揮を執る老兵が独りごちたのは、
「いや、畏れているのは私か」
冷たく薄い嘲笑。彼女の根底にある自己嫌悪が、憤怒の炎を滾らせる。放たれた豪炎の一太刀が、衝撃波を伴って衛兵たちを薙ぎ払った。
「伏せろ! 総員待避っ! たっ──」
かろうじて回避した者が避難を勧告したが、凄まじい熱波がその喉を焼いて絶命させた。剣撃による物理的切断、衝撃波による間接的破壊、そして熱波による追撃が、衛兵たちに再三の絶望を与える。
ウィヌシュカの刃が通り過ぎた後は真空となり、周囲の空気が瞬く間に吸い寄せられていく。
そして彼女の熱は救い出す。
転生の女神リュイリィを、
「リュイリィ、痛むところはないか」
「……どちらかと言うと痛いところしかないよ」
青白い表情で崩折れたままリュイリィは答えた。彼女がうっすらと浮かべた悔し涙も、ウィヌシュカの放つ熱でたちまちのうちに乾き上がる。
「今は休んでいろ。すぐに片付く」
「はは、何それ。カッコ良すぎ」
「次は城だ。最後に城下町。お前のトロイアの出番はこれから山程にある」
素っ気なく言って、ウィヌシュカは力強く大地を蹴った。黒炎を放つ
「老兵よ、実に見事だった。せめて楽に殺してやろう」
称賛の言葉とは裏腹に、ウィヌシュカの声には何の感情も滲んでいない。対する老兵も同じだ。すでに全てを諦めたのか、恨みも畏れも感じさせない声で、言う。
「なるほど、まさに一騎当千。殺すがいいシンモラの化身よ」
一騎当千──、その言葉に反応したウィヌシュカが片眉を吊り上げる。これは偶然か、はたまた必然なのか。かつてその言葉をウィヌシュカに放ったライラの不敵な笑みが、ウィヌシュカの脳裏を
躙り寄って問い詰めたい気持ちを振り払う。何しろ今は、リュイリィの前なのだ。それにもしも、この茶番の水面下にさえライラの思惑があるのだとしたら──、それはウィヌシュカにとって、歓迎すべき事柄ですらあるはずだ。
「逝くがいい。お前たちの不徳は、新しい世界の
──そして私の不徳も。必ず。
言外の言葉を継ぎ足して、ウィヌシュカは老兵の首を一思いに刎ねた。ゆっくりと視線を上げれば、その彼方にヴァニラの王城が気高く聳え立っている。
ウィヌシュカはリュイリィの方を振り返り、まだ膝を折ったままの彼女に手を差し伸べた。しかしリュイリィは力なく首を横に振って、自らの足で立ち上がる。
永遠のような沈黙が、二人の間を支配した。やがて意を決したように、リュイリィが重たい口を開く。
「──ねぇ、ウィヌは一体、何を見ているの?」
ウィヌシュカはその問いかけに微笑もうとしたが、どうにもうまくいかない。思わず「何も見えない」と答えそうになって、唇を噛み締めて言葉を殺す。
ウィヌシュカには分からなかった。
ライラがウィヌシュカに囁いたあの夜から、六十年の歳月が流れた今でも。
分からなくなっていくばかりだった。
動揺を見透かすようなリュイリィの視線を、初めて恐ろしいと感じて目を逸らした。
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