第18話 万年氷壁ヴァニラ攻防。





 事前に聞かされていた要点の通り、ヴァニラの城下町は分厚い氷壁に囲まれていた。氷壁自体は天然のもので、人工的に手を施して形だけを整えたらしい。スクルドを陥落させた時のように、王城に潜入して内部から崩していくという手段は通じない。


「リュイリィ、準備はいいか?」

「任せてよ。せーのっ」


 積雪を巻き上げるほどの爆音が轟く。氷壁の一部をいて備えられた堅牢な城門を、トロイアの魔弾が木端微塵に打ち砕いたのだ。潜入どころか、強行突入一択である。


「全軍け──」「敵しゅ──」


 ヴァニラ内部へ唯一の出入り口となる扉の崩落。極寒の見張り台に立っていた衛兵たちは、警戒の声を上げることも叶わずに首と胴を引き離された。ウィヌシュカが振るった死神の大鎌デスサイズのあまりの疾さに、その刀身は血液を付着させることなく煌めきを保っている。


「あは、すっごく寒いからとっとと終わらせようね」


 ゆらりと宙に漂う魂の花アニマから、魂の核アニムスだけを選り分けてトロイアの中へ吸い寄せるリュイリィ。二人の女神は互いが抱える心の揺らぎを感じさせることなく、手慣れた仕草で使命を遂行しにかかった。


 突然の侵入者に気付いた衛兵たちが、砂糖にたかる蟻のようにぞろぞろと群がってくる。城門の崩れ落ちる派手な音が、それぞれの持ち場に就いていた彼らの耳にまで届いたのであろう。


 ミッドガルドの北方領土では、貴重な資源を巡る領土争いが幾度となく繰り返されてきた。訓練と実戦を重ねた彼らは常時戦闘態勢であり、その士気は極めて高い。守るべき国土と家族のために、何度も武力を行使してきたからだ。


ことごとね。お前たちの行く先は、ユグドラシルのみがっている」


 死神の大鎌デスサイズが振るわれるたびに、大地を覆い尽くしている氷雪に紅色が差されていく。首や、腕や、脚や、あるいは纏った甲冑ごと切断される兵士たちは、まるでブリキ造りの人形か何かだ。


 しかし鮮血と共に飛び散る幻想的な魂の花アニマが、彼らに宿っていた生命いのちの終わりを物悲しく訴えている。


 リュイリィは思わず息を呑んだ。神々さえも斬り伏せそうなウィヌシュカの気迫に。錆び付くどころか、今もなお研ぎ澄まされ続けている圧倒的戦力に。


 戦場を駆けるウィヌシュカは、ただただ美しかった。戦風そよかぜから神風へと変わる彼女は、リュイリィが初めて知った瞬間よりもずっとずっと美しかった。


 それなのにウィヌシュカは、時々苦しそうに歯を食い縛る。目を細めて、どこか遠くを見て──、まさに今だってリュイリィは、その瞬間を垣間見てしまった。


 赤色の絵の具をぶち撒けたような戦場の中で、感傷に浸るリュイリィの瞳がわなわなと震えている。ウィヌシュカの些細な陰りは、重ねた月日と共に大きなかげを生んでいくのだ。狂おしいほどにウィヌシュカを想うリュイリィだからこそ、彼女の変容が痛いくらい恐ろしい。


 リュイリィは狭間に立っていた。彼女の弱さごと愛してみたい自分と、彼女の強さにだけ溺れていたい自分との二律背反。


「リュイリィ、後ろだ!」

「──え?」


 死に物狂いで放たれた衛兵の剣撃が、リュイリィの頬を掠めた。ウィヌシュカの声がなければ、首ごと持っていかれたかもしれない。


 今が好機と振りかぶった衛兵の剣が、彼の右腕と共に飛んでいく。ウィヌシュカの一閃が、リュイリィと兵士の間を疾ったからだ。


「気を抜くな。ヴァニラの兵士どもは、氷のフィールドでも機動力を保っている」


 靴裏の尖った特徴的な形状の具足は、雪国を守る兵士にとって欠かすことの出来ない装備だ。氷上戦に特化した彼らの武装を侮ってはならない。地の利も、数も、何もかもが敵陣に味方をしているのだから。


「……ウィヌ、ありがと」

「構わん。来るぞ」


 ウィヌシュカが顎先で促した方角から、千に近い数の援軍が駆けてくる。それぞれに握られた剣や尖刀サーベルはさておき、二人の目を引いたのは特大の弾倉を備えた銃のような武器だ。猟銃とも小銃とも明らかに異なるその獲物の銃口が、女神らを捉える。


水撃小銃エーギル隊、一斉射撃!」


 三ツ星勲章を付けた老兵の、高らかな声を合図に引き金が引かれた。 水撃小銃エーギルと呼ばれた銃から放たれたのは、高い圧力によって押し出された水である。


「へ? ただの水鉄砲?」

「避けろ! リュイリィ」


 拍子抜けしていたリュイリィに、ウィヌシュカが叫ぶ。飛距離と共に飛散する水滴は、氷点下の気温によって氷のつぶてとなった。着弾を待たずして引かれる幾つもの引き金。空気を裂いて飛び交う礫は──、もはや氷の槍である。


「ちょっ、待って。それはズルいって!」


 身をかわすので精一杯のリュイリィと、死神の大鎌デスサイズをプロペラのように回転させて氷槍ひょうそうを弾くウィヌシュカ。防戦一方の二人の距離が少しずつ離れる中で、近接武器を持った衛兵たちが斬りかかった。


「撃て! 討てっ! 最悪味方に当たっても構わん! 金の髪の女も銀の髪の女も、決してその狼藉を許してはならん!」


 大地を震わせる雄叫びを上げて猛進する男たちを、ウィヌシュカは慎重に斬り崩していく。水撃小銃エーギルの放たれる方角から目線を切るわけにもいかず、更には接近戦を苦手とするリュイリィも気遣わなくてはならない。


「リュイリィ、聞こえるか! 一旦距離を取るぞ」


 剣戟の音が響く中で、ウィヌシュカが声を張り上げた。認めたくはないがあまりにも分が悪い。氷上で機動力を制限された中で、広範囲に渡る水を用いた攻撃。これ以上の特攻は死と隣り合わせである。


「ウィヌに賛成! ちょっと甘く見すぎたね」


 水瓶トロイアを必死で振り回し、命からがらに窮地を脱したリュイリィが答えた。しかし彼女の小さな身体は、自らの神具の重量を完全に支えることが出来ない。バランスを崩して転倒したリュイリィは、惰性のままにウィヌシュカと逆の方向へ滑っていった。


「今だ、水網ラーンを放て!」


 三度みたび老兵の号令。二人の侵略者が分断されるタイミングを狙い澄ましていた別部隊が、大量の水を詰めた砲弾をリュイリィの頭上に放った。


 砲弾のはじける炸裂音ののち、リュイリィの元に無数の水の粒子が降り注いだ。遠目には霧のようにも見えるそれは、たちまちに凍てついて氷牢となり──。


「……まさか、そんなことが」


 驚愕の光景に、ウィヌシュカは目を見開いた。肌を這う氷に身を包まれたリュイリィの姿は、さながら氷像のようである。彼女がこのまま氷牢に囚われ続ければ、凍傷はやがて全身の細胞を壊死させてしまうことだろう。


 海神エーギルに、海神の妻ラーン。何とも罰当たりな名を与えられた二つの武器が、再生の女神の息の根を止めようとしていた。たゆみなく磨き続けた人間たちの知恵は今、愚かな神々の足元に届こうとしている。




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