第14話 屍肉と柔肌。





 罵声を浴びる。命乞いを浴びる。血の雨を浴びる。


 暗がりで啜り泣いていた少女が顔を上げ、呪うような目で私を突き刺した。恐れと憎しみが、丁度半分ずつ混じり合った美しい瞳。竹籠から零れ落ちた真っ赤な林檎を、彼女が拾うことはもう叶わない。


 華やかな往来でさざめいていた人々が、今は絶え間ない慟哭を上げている。祝福の宴ならばもう、夢幻ゆめまぼろしとして消え去ったのだ。


 断罪のときが訪れた。誰しもがそう理解したことだろう。


 祈りの歌を唄う者。抱きしめ合って囁く者。刃を手にして歯向かう者。脇目も振らずに逃げる者。その全てを斬り伏せて、折り重なった躰が並んでいる。


 罵声を浴びる。命乞いを浴びる。血の雨を浴びる。


 奪った十万の命が織り成す大河に、せめて私の生命いのちを浸そうか。凱歌も知らない死の女神に、出来ることはただそれくらいで──。


 嗚呼、お前たちの震える命が愛おしい。

 そうやってただ弱いままに、強く光り輝くお前たちが。


 妬ましさにとてもよく似た、くらい黯い感情が這い上がってくる。足元からぞわりぞわりと、私の心を蝕もうと。


 だから私は、死神の大鎌デスサイズを振るう腕に更なる力を込めた。


 もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度。何度でも、何度でも、何度でも私は、命を刎ねる。


「──神々カミガミ不徳フトクハ、一体誰イッタイダレサバクノカ」


 耳に飛び込んだのは亡者の声か。振り返れば、混濁した十万の眼球が私を見つめていた。酷く穢らわしいものを見るような、哀れなこの身を蔑むような視線の弾幕。生命の大河に紅く染まった女神が、そんなに物珍しいのか。それとも──。


 私は理解した。亡者たちが迎えに来たのだと。

 そこに手を伸ばせば、お前たちは私を連れ出してくれる。


 屍者ししゃの国に誘われた私は、静かに死神の大鎌デスサイズを手放した。額を守るサークレットも、刃を受けるための手甲も、何もかもが不要だ。


 救いを求めるように、何かに赦されるように──、目玉と共に迫り上がる肉の壁にこの身を埋めていく。すると生暖かな命が、奪い疲れた私の全てを受け入れてくれるのだった。ぷつりぷつりと、くちゃりくちゃりと。無数の目玉が押し潰れていく音が心地よい。


 混ざり合って揺蕩たゆたう音。

 生まれて初めて知る安らぎが、溶けて混ざり合った屍肉のうねりの中にある。


「──ねえ、ウィヌ」


 爛れた肉のひだの隙間を縫って、私のよく知る彼女の声が届いた。その声音は何故だか、多分に切なさを孕んでいる。


「ウィヌってば。ねえっ!」


 彼女の痛ましい声に、私は微かな苛立ちを覚えた。あと少しで、辿り着けるのだ。なのにどうして、私を呼び止めるのかと。


「邪魔を、しないでくれ──」


 邪険に呟く私に構わず、リュイリィは屍肉の中へと飛び込んだ。そんなことをしたら、お前まで道連れじゃないか。邪魔をするな。斬られたいのか。今度こそ乱暴な言葉を吐き出そうとした私の口が、彼女の唇で塞がれる。





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 柔らかな何かが唇に触れた感触で、ウィヌシュカは目を覚ました。枕元に置かれた暖色のシェードランプが照らすのは、一糸いっしまとわぬ姿のリュイリィだ。くっきりと浮き出た鎖骨に、なだらかな曲線の幼い乳房。未成熟の裸体は、どこか退廃的なエロスを宿している。


「……不覚をとった。まさか唇を盗まれるとは」

「その言い方は酷いよ。うなされてたから助けてあげたのに」


 身に起きた事態を理解したウィヌシュカは、自身の格好をそれとなく確認した。大丈夫、脱がされてはいない。就寝前に着用した、肌の色に極めて近い薄手のキャミソール。この宿の客間に備え付けられていたものだ。


「怖い夢を見たんだね。もしかしてボクに襲われる夢かな?」


 そう言ってリュイリィは、ゆるやかな勾配を描く胸元にウィヌシュカの頭を抱き寄せた。リュイリィの乳房が水に濡れ、更にその雫が自身の頬を濡らして初めて、ウィヌシュカは落涙していた自分に気が付く。


「あんまり近付くと、血の匂いがするだろう」


 夢に涙した自分の情けなさに抵抗する気力も失せたが、されるがままでいるにはまだ恥じらいがあった。だからウィヌシュカはそう言葉にしたわけだが、ザンカの一言を気にしていた自分を知って、また衝撃を受ける。


 あんたらの髪には、血の匂いがべっとりと染みついている──、そのような指摘は、あの竜人にとって嫌味のうちにも入らないというのに。


「血の匂いって、何を言ってるの? そんなの感じたことないよ」


 不思議そうに微笑むリュイリィが、華奢な指先でウィヌシュカの髪を優しくいた。ウィヌシュカが振り払おうとするよりも早く、リュイリィは二の句を継ぐ。


「ねぇウィヌ? 本当にユグドラシルは不公平だよね。ボクだけこんな幼児体型にしてさ」

「それは……、子供の姿こそが転生の象徴なんじゃないか? それに、そういうのが専門のヤツもいる」


 思いのほか悲しそうに尋ねるリュイリィに、咄嗟に軽口が先行してしまう。だが、ウィヌシュカのまだぼんやりとする頭ではこれが限界だった。クロードの提案通りに宿を取って、併設された安酒場で飲み直したのだ。しかしながら二部屋しか空いていなかったがために、こうしてリュイリィと同じ客間に居るわけである。


「ねぇ、ウィヌ」

「なんだ」

「テキトーなこと言ってるでしょ」

「……バレたか」


 リュイリィはけらけらと笑いながら、それとなくウィヌシュカの服の裾に手を入れようとした。だがその健闘も虚しく、空いた手でうまくかわされてしまう。少しも真顔を崩さないウィヌシュカに気まずさを覚えて、リュイリィは適当な会話を見繕う。


「知ってる? コンプレックスはまだあるんだ。ほら、ボクだけが神具を出し入れ出来ないこと。しかも大きな水瓶だもの、持ち運ぶには不便すぎるよ」


 二人は部屋の片隅に置かれた水瓶トロイアに目をやる。常時具現化されたままの神具が、そもそも小さな客室を更に狭くしているのは紛れもない事実だった。


「良いじゃないか。おかげで置き物には一生困らないだろ」

「ねぇウィヌ、ボクをフォローする気ある?」


 リュイリィが唇を尖らせたタイミングで、ウィヌシュカはその胸元から這い出た。くるりと居直ってベッドの上に腰掛けたウィヌシュカは、目の前の幼い裸体にシーツをふわり被せる。その身体がコンプレックスだと言うのなら、あまり直視しない方が良いだろうという判断だ。


「もう、まだ甘えてて良いのに。そういえばさ、ライラの神具は弓だったな。魔力を喰らって膨らむ化け物みたいな弓。ボクもあんなのだったら良かったのに」


 リュイリィは両腕を上下に広げて弓の形を作る。その唇はまだ尖ったままだ。


「……まさかお前、ライラとやりあったのか?」

「うん、コテンパンにやられちゃったけどね」


 怪訝そうに眉をひそめるウィヌシュカと、赤い舌を出して後頭部を掻くリュイリィ。真顔に戻ったウィヌシュカが詰め寄るように言う。


「それでもライラが神具を具現化させたのなら、お前がそれなりにライラを追い詰めたということだろう」

「うーん、どうだかね。何考えてるか分かんないもんアイツ」

「……それは確かに。ライラの思考回路は謎だ」

「まぁそれをウィヌが言うかなーって感じだけどね」


 言葉足らずの沈黙の女神。クロードにそう揶揄されたことを思い出して、ウィヌシュカは言葉を失った。隙を見つけたとばかりに、目を輝かせたリュイリィが胸元に飛び込む。


「ねえボクが本気出したら、ウィヌも本気出す?」

「それは状況次第だが……、本気を出すと言うのは神具を具現化させるかという意味か?」


 ウィヌシュカの柔らかな胸に顔を埋めたリュイリィだったが、その感触を堪能する間もなく引き剥がされた。再び口元を尖らせて、ぶぅ、と不服をアピールする。


「そそ。死神の大鎌デスサイズを振るうウィヌもぞくぞくするくらいステキだけどさ、一度くらい神装しんそうした姿も見てみたいよ」


 そう言いながら、匍匐ほふく前進をするように再びウィヌシュカに近付くリュイリィ。振る尻尾こそ無いものの、構って欲しくて仕方のない子犬のようである。


 二つの意味で前向きな答えを期待するリュイリィだったが、ウィヌシュカは物言わぬまま何かを考え込んでいる。これにへそを曲げたリュイリィは、思い切ってウィヌシュカのキャミソールの中に潜り込んだ。しかしそれでも尚、ウィヌシュカは反応を示さない。


「ねえ、ねえねえねえ。良いの? しちゃうよ? このまま襲っちゃうよ?」


 じゃれ合いの域を軽く越えて、躰の奥深くから湧き上がる欲望。今度こそ本当に我慢が効かないと、リュイリィはウィヌシュカの太腿に自らの鼠径部を擦り当てる。


 それでもウィヌシュカは、反応を示さない。


「もうっ、殺されてもいいや。いただきま──」「──なあリュイリィ。一つだけ確認したいんだが」


 ここへ来てウィヌシュカが、重たい口をやっと開いた。お預けを食らってたまるものかと、ウィヌシュカの真っ白な乳房の上で食い下がるリュイリィ。


「千年王国スクルドの地下で見つけた転移方陣を無効化したのは、ライラで間違いない。そうだったな?」


 そう問いかけるウィヌシュカは、いつもと変わらぬ冷淡な眼差しをしていた。




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