Capture04.交易都市ビフレスト
第13話 美酒に酔う者酔わぬ者。
貴族の子は貴族で、貧民の子は貧民。
生命の原木ユグドラシルが循環させた
それでも貴族の子は貴族で、貧民の子は貧民に過ぎない。それがこの世の摂理だ。勇敢だろうと愚鈍だろうと、人間たちは生まれ持った身分を覆すことは出来ない。
ライラは淑女の振る舞いで自らを守りながら、実に滑稽だと人の世を憂いていた。
四六時中張り付けた怪しい笑みを盾に、ライラの思考は加速を続ける。貴族の子は貴族で、貧民の子は貧民。ならば、獣はどうなのだと。
犬の子は犬で、猫の子は猫だ。竜人の子は竜人であるし、
この
愚かな人間どもが忘れかけている等しさが。
それどころか獣たちは──、言い換えるならば人間たち以外は、神のたもとを遠く離れている。ユグドラシルという媒体に一度も
この
益体も無いこれらの思案が"哲学"と呼ばれていることを、ライラは
いつだってそうだった。思考を掘り下げれば掘り下げるほどに、神々が目を瞑る大いなる矛盾に気付かされてしまうのだ。
ライラは、ただひたすらに物思いに耽る。最初にきっかけを与えてくれたのは、夜の運命神ノートだった。漆黒の闇の中で彼女を手招くノートの姿は
ライラはいつだって、
しかしライラは聡かった。「次はいつお会いできるのでしょうか」とノートに
不安で堪らなかった。リュイリィのあたたかな
私たちは一体、何であるのか。
貴族の子は貴族で、貧民の子は貧民。泣き叫ぶだけが取り柄の赤子が、
永年に渡って、彼女は苦しんでいた。誰一人としてそれを識ろうとしないことに、腹を立てては寂しさを募らせた。それどころか、誰もそこに思い至りすらしない。積み重ねた孤立こそが"虚無"であり、そして彼女の"孤独"の正体であった。
しかしライラは、自らの孤独をおくびにも出さない。
常に優雅であること。それは再生の女神ライラが持つ最大の処世術だ。
悲しいことにただそれだけが、聡明な彼女が持ち得る処世術だったのだ。
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「ぶはっ、なんだコレ? うめー!」
「ちょっ、クロード、飛んでる飛んでる。ボクにかかってるって肉汁がっ」
胸元のぱっくり開いた真紅のフレアドレスに身を包むクロードと、チュール生地で編まれた水色のバルーンドレスで着飾るリュイリィ。眼前の卓には血の滴るティーボーンステーキや馳走の数々がこれでもかと並べられ、その脇には空になった
「ん? んーっ?! これはおかわり確定のヤツだろ」
「あ、ボクもボクも。店員さんこっちこっち!」
交易都市ビフレストの片隅にある、豪奢な内装の高級レストラン。とある夕暮れ時に現れた来客の振る舞いに、優雅な四重奏を奏でる弦楽奏者たちは困惑に満ちていた。彼らの視線は虚空を彷徨っており、中には音を外した者もいる。
「もう少し大人しく出来ないのか。悪目立ちして仕方がない」
純白のタキシードに身を包んだウィヌシュカが、いつもの調子で冷淡に言う。胸元に赤い薔薇を留め、銀色に艶めく髪を結い上げたその姿は、まるで貴公子だ。
「悪目立ちしているのは、ウィヌシュカさんも同じだと思いますけれど」
ウィヌシュカの対面から、そう苦言を呈したのはライラである。いかにも彼女らしく、黒を基調としたシンプルなシルエットのドレスであったが、スカートに施された刺繍が華やかさを添えていた。両耳から下げたピアスには大粒の白銀が散りばめられ、アクセントとなる輝きを放っている。
ライラの装いはきっちりと場を弁えていて、男装一歩手前のウィヌシュカには返す言葉も無い。
「まさかウィヌのタキシード姿を見られる日が来るなんてね。ボクは幸せで死んじゃうかも!」
「ウィヌシュカさんだけはまともだと思っていたのですけれど……」
「ひらひらしたのはあまり好きじゃないんだ」
「ライラてめー今のどういう意味だよ」
微妙に噛み合わない会話を交わす容姿端麗な女神四人を、店の者たちは複雑な表情で窺っている。もちろん彼女たちが女神だなどとは、夢にも思うはずもなく──。
彼らはただ単に、こう思うのだ。
その容姿だけならば、女神のように美しいのにと──。
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「にゃふ、もう飲めねえ」
「あは、クロードってばだらしないなあ。ボクはまだまだ平気」
店を出るなり倒れそうになった千鳥足のクロードを、リュイリィが肩で支える。二人の身長差が絶妙に作用して、クロードは杖をつく老婆のように映った。
「前言撤回っ! あたしも平気だ。今から宿取って飲み直すぞ!」
「あらあら、リュイリィちゃんが余計なことを言うものですから」
茶々を入れるライラも、相当量の葡萄酒を摂取しているはずであったが、平時と何ら変わりはなかった。実は痩せ我慢をしているだけのリュイリィは、困ったことになったとウィヌシュカに目線を送ってみる。
「好きにすれば良いだろう」
素っ気なく返された答えに、リュイリィはがくりと肩を落としたが、その耳元でライラがぼそりと囁いた。
「同じ宿ということは、ねぇ? 楽しみですね」
「ちょっと待て! やっぱり前言撤回の撤回だ」
クロードが突然声を荒げて、往来へとしゃがみ込んだ。続けざまに「おええええっ」と、胃の内容物を吐き出す派手な音。慌ててその背中を摩るリュイリィ。
「ちょっ、クロード、飛んでる飛んでる。ボクにかかってるって吐瀉物が!」
クロードの介抱を早々に投げ出し、バルーンドレスの裾を捲り上げてリュイリィが退散する。消化不良の食べ物や飲み物を洗いざらい吐き出したクロードは、すっきりとした面持ちで高らかに宣言するのだった。
「あたし、今からギュゲスを
泥酔したクロードの発言にリュイリィが辟易としていると、「お供しようか?」と薄い笑みを漏らすウィヌシュカ。思いがけない発言に
「リュイリィ。言っておくが、私はクロードの屍を拾いに行くだけだぞ」
肩を竦める白いタキシードの背中を、ライラはどこか遠くに眺めていた。高貴な振る舞いは決して崩すことなく、その裏側で思慮に囚われていたのだ。
女神とは一体、何であるのか。
私たちは一体、何であるのか、と。
しかしライラは識っていた。際限なく湧き上がる無数の思慮を、夜の運命神ノートが"杞憂"と呼んでいることも。
だからライラは、いつも孤独だった。
だからライラは、この孤独をおくびにも出せなかった。
常に優雅であること。
それは再生の女神ライラが持つ、唯一の処世術である。
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