Capture04.交易都市ビフレスト

第13話 美酒に酔う者酔わぬ者。





 貴族の子は貴族で、貧民の子は貧民。


 生命の原木ユグドラシルが循環させた魂の核アニムスが成熟すると、やがてそれらは魂と成って地上に落ちる。母なる母体と巡り合った魂は生命いのちと成り、産み落とされた人間の赤子は時に、勇敢なる戦士アインヘリヤルなどと呼び称えられたりもする。


 それでも貴族の子は貴族で、貧民の子は貧民に過ぎない。それがこの世の摂理だ。勇敢だろうと愚鈍だろうと、人間たちは生まれ持った身分を覆すことは出来ない。


 ライラは淑女の振る舞いで自らを守りながら、実に滑稽だと人の世を憂いていた。


 四六時中張り付けた怪しい笑みを盾に、ライラの思考は加速を続ける。貴族の子は貴族で、貧民の子は貧民。ならば、獣はどうなのだと。


 犬の子は犬で、猫の子は猫だ。竜人の子は竜人であるし、有翼獣ナグルファルの子は有翼獣ナグルファルである。多くの生き物が恐怖する異形の魔獣でさえ、同種のまなこを通せば異形ではないだろう。


 このことわりには等しさがある。

 愚かな人間どもが忘れかけている等しさが。


 それどころか獣たちは──、言い換えるならばは、神のたもとを遠く離れている。ユグドラシルという媒体に一度も濾過ろかされることなく、それでも多くの生命いのちは育まれるのだ。


 このことわりならば獣たちを、人間などよりもずっと高位な存在だと考えることが出来る。あるいは、神の不要を証明することさえも──。


 益体も無いこれらの思案が"哲学"と呼ばれていることを、ライラはっていた。そして哲学の先には、"虚無"という名の深淵が大口を開けて待っていることも。


 いつだってそうだった。思考を掘り下げれば掘り下げるほどに、神々が目を瞑る大いなる矛盾に気付かされてしまうのだ。


 ライラは、ただひたすらに物思いに耽る。最初にきっかけを与えてくれたのは、夜の運命神ノートだった。漆黒の闇の中で彼女を手招くノートの姿は艶麗えんれいで、疑いを知らなかったライラに多くの疑問を投げかけてくれた。


 ライラはいつだって、彼女ノートを想って胸を焦がしていた。彼女が蓄えた豊かな黒髪も、濃紺のローブに身を纏ったその姿も、全ては艶麗な運命神に憧れて始めたものである。


 しかしライラは聡かった。「次はいつお会いできるのでしょうか」とノートに撓垂しなだれ掛かったとある夜に、ふと思い至ってしまったのだ。もしかするとノートの存在さえもが、自らの虚無が生み出した幻影なのではないかと。


 不安で堪らなかった。リュイリィのあたたかなはらわたに顔をうずめていた時でさえも、ライラの心は空洞に怯えていた。


 私たちは一体、何であるのか。


 貴族の子は貴族で、貧民の子は貧民。泣き叫ぶだけが取り柄の赤子が、勇敢なる戦士アインヘリヤルだなんて悪趣味な戯れ言だ。犬の子は犬で、猫の子は猫。ならば女神は、そして神々は、一体どこから生まれたというのだ。


 永年に渡って、彼女は苦しんでいた。誰一人としてを識ろうとしないことに、腹を立てては寂しさを募らせた。それどころか、誰もに思い至りすらしない。積み重ねた孤立こそが"虚無"であり、そして彼女の"孤独"の正体であった。


 しかしライラは、自らの孤独をおくびにも出さない。


 常に優雅であること。それは再生の女神ライラが持つ最大の処世術だ。

 悲しいことにただそれだけが、聡明な彼女が持ち得る処世術だったのだ。





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「ぶはっ、なんだコレ? うめー!」

「ちょっ、クロード、飛んでる飛んでる。ボクにかかってるって肉汁がっ」


 胸元のぱっくり開いた真紅のフレアドレスに身を包むクロードと、チュール生地で編まれた水色のバルーンドレスで着飾るリュイリィ。眼前の卓には血の滴るティーボーンステーキや馳走の数々がこれでもかと並べられ、その脇には空になった黄金酒エールのグラスと葡萄酒ワインボトルが幾つもあった。


「ん? んーっ?! これはおかわり確定のヤツだろ」

「あ、ボクもボクも。店員さんこっちこっち!」


 交易都市ビフレストの片隅にある、豪奢な内装の高級レストラン。とある夕暮れ時に現れた来客の振る舞いに、優雅な四重奏を奏でる弦楽奏者たちは困惑に満ちていた。彼らの視線は虚空を彷徨っており、中には音を外した者もいる。


「もう少し大人しく出来ないのか。悪目立ちして仕方がない」


 純白のタキシードに身を包んだウィヌシュカが、いつもの調子で冷淡に言う。胸元に赤い薔薇を留め、銀色に艶めく髪を結い上げたその姿は、まるで貴公子だ。


「悪目立ちしているのは、ウィヌシュカさんも同じだと思いますけれど」


 ウィヌシュカの対面から、そう苦言を呈したのはライラである。いかにも彼女らしく、黒を基調としたシンプルなシルエットのドレスであったが、スカートに施された刺繍が華やかさを添えていた。両耳から下げたピアスには大粒の白銀が散りばめられ、アクセントとなる輝きを放っている。


 ライラの装いはきっちりと場を弁えていて、男装一歩手前のウィヌシュカには返す言葉も無い。


「まさかウィヌのタキシード姿を見られる日が来るなんてね。ボクは幸せで死んじゃうかも!」

「ウィヌシュカさんだけはまともだと思っていたのですけれど……」

「ひらひらしたのはあまり好きじゃないんだ」

「ライラてめー今のどういう意味だよ」


 微妙に噛み合わない会話を交わす容姿端麗な女神四人を、店の者たちは複雑な表情で窺っている。もちろん彼女たちが女神だなどとは、夢にも思うはずもなく──。


 彼らはただ単に、こう思うのだ。

 その容姿だけならば、女神のように美しいのにと──。





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「にゃふ、もう飲めねえ」

「あは、クロードってばだらしないなあ。ボクはまだまだ平気」


 店を出るなり倒れそうになった千鳥足のクロードを、リュイリィが肩で支える。二人の身長差が絶妙に作用して、クロードは杖をつく老婆のように映った。


「前言撤回っ! あたしも平気だ。今から宿取って飲み直すぞ!」

「あらあら、リュイリィちゃんが余計なことを言うものですから」


 茶々を入れるライラも、相当量の葡萄酒を摂取しているはずであったが、平時と何ら変わりはなかった。実は痩せ我慢をしているだけのリュイリィは、困ったことになったとウィヌシュカに目線を送ってみる。


「好きにすれば良いだろう」


 素っ気なく返された答えに、リュイリィはがくりと肩を落としたが、その耳元でライラがぼそりと囁いた。


「同じ宿ということは、ねぇ? 楽しみですね」


 よこしまな想像で鼻息を荒くするリュイリィに、ウィヌシュカが訝しい視線を浴びせる。しかし意外にもウィヌシュカは、「やれやれだ」と溜め息こそ吐き出したものの、顎先で賛同を示したのだ。実は誰よりも飲み足りないのは、周囲に気を配ってばかりいたウィヌシュカなのかもしれない。


「ちょっと待て! やっぱり前言撤回の撤回だ」


 クロードが突然声を荒げて、往来へとしゃがみ込んだ。続けざまに「おええええっ」と、胃の内容物を吐き出す派手な音。慌ててその背中を摩るリュイリィ。


「ちょっ、クロード、飛んでる飛んでる。ボクにかかってるって吐瀉物が!」


 クロードの介抱を早々に投げ出し、バルーンドレスの裾を捲り上げてリュイリィが退散する。消化不良の食べ物や飲み物を洗いざらい吐き出したクロードは、すっきりとした面持ちで高らかに宣言するのだった。


「あたし、今からギュゲスをってくるわ! 色々考えたけどよ、やっぱりアイツが一番いけ好かねー。何だか今日は殺れそうな気がする!」


 泥酔したクロードの発言にリュイリィが辟易としていると、「お供しようか?」と薄い笑みを漏らすウィヌシュカ。思いがけない発言に虹色の瞳オッドアイを輝かせるクロードを横目に、「ウィヌが行くならボクも行く!」と慌てて飛び付くリュイリィ。


「リュイリィ。言っておくが、私はクロードの屍を拾いに行くだけだぞ」


 肩を竦める白いタキシードの背中を、ライラはどこか遠くに眺めていた。高貴な振る舞いは決して崩すことなく、その裏側で思慮に囚われていたのだ。


 女神とは一体、何であるのか。

 私たちは一体、何であるのか、と。


 しかしライラは識っていた。際限なく湧き上がる無数の思慮を、夜の運命神ノートが"杞憂"と呼んでいることも。


 だからライラは、いつも孤独だった。

 だからライラは、この孤独をおくびにも出せなかった。


 常に優雅であること。

 それは再生の女神ライラが持つ、唯一の処世術である。




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