第12話 神々は慢心に座す。
「これはあくまで我の推測ではあるが──」
冥界の主神ギュゲスは、ユグドラシルの隙間から射し込む柔らかな木漏れ日を避けるように立ち、リュイリィとライラからの報告を元に語った。彼の持つ霧の身体が、言霊の一つ一つに呼応するように伸縮を繰り返す。
「全身を覆い尽くす魔銀製のフルアーマー。人間どもがこの
「おいおい、そいつはあんまりにも発想が飛躍してねーかあ?」
荒々しい声で茶々を入れたのは、冥界の主神ブリアレオスだ。木漏れ日に照らされて、醜く焼け焦げた肉体が尚のこと目立つ。無数にある水疱の幾つかからは、白濁した体液が漏れ出て悪臭を放っていた。
「推測の話だと言ったであろう。相応の数の人間を生け捕りにし、実際に実験を執り行うべきだと我は考える」
「ギュゲスよ、お主の話は大変興味深い。しかしその実験は無意味だ。何故なら、魔具や方陣の使い手が必ずしも人間とは限らない」
天界の主神コットスは、そこで一旦言葉を区切ってウィヌシュカを見やった。そして一呼吸を置いてから、クロードを。竜人の里リズを探訪した二人に発言を促しているのだ。
「あのさ、魔銀を鋳造するには竜人の生き血が必要なんだってよ。なぁウィヌシュカ、これには驚かされたよな。まさか誰よりも博識なギュゲス様が、知らなかったなんてことはないと思うんだけどなー」
不満を隠そうともしないクロードに、ウィヌシュカは静かに頷くだけだ。ギュゲスもこれには答えず、霧の身体をわずかに震わせる。
「まあいいや、このあたしクロードはあんたらの忠実な下僕だからな。今回の無駄足は水に流してやるよ」
胸を張ってふんぞり返ろうとするクロード。ウィヌシュカは彼女の首の後ろをぐいっと掴んで、半歩後ろに下がらせた。そして冷静を崩さずに、言う。
「リズは小さな集落ながらも、竜人族は良識と秩序ある生活を営んでいるようでした。長老のテルーはとても明哲で、時期長老であるザンカという青年も、多少の勇ましさは目に余りますが健全な思想の持ち主です。神々への反乱を目論んでいる様子は、微塵もありません」
淡々と意見を述べるウィヌシュカ。三柱の主神はそれぞれに「ふむ」と頷く。
「あのザンカって野郎はかなりの手練だったな。魔具? だっけか。その魔具とやらを使って竜人たちがひと暴れしたら、ほんのちょっとは手を焼くと思うぜ?」
楽しそうに
「がははは、いいじゃねえかいいじゃねえか。こんなに退屈な毎日だ。暇潰しの戦争も悪くないぜ」
「いけませんわブリアレオス様。あなた様が戦場に赴かれたら、三界も人間界も全て滅んでしまいますわ」
ここぞとばかりにライラが持ち上げる。上品に微笑む黒髪の女神に、訝しげな眼差しを向けているのはリュイリィだ。
「ボクは難しいことは分かんないけどさ、なーんかしまらない話し合いだよね」
「いいか? ちっちゃいの。こんなものは結局のところ遊びなんだよ。あたし、ウィヌシュカ、三柱の主神を前に、誰がどんな手段で何を企んだって、世界の均衡は揺るがねーのさ」
「あらあら、なぜだか私の名前が抜けていますわね」
リュイリィを諭そうとするクロードに、ライラが不服を述べた。「お前は信用ならねー」と、クロードが悪態を吐く。ちっちゃいのと称されたリュイリィは、ぶぅと膨れて口元を尖らせてみせた。
各々が好き勝手に発言する女神たちを、コットスが大袈裟な咳払いをもって
「私たちの寝首を掻けるものなら掻いてみろ。お主はそう申すのだな、面白い」
「へへ、そういうこと。それにもしも──」
クロードが放った確かな殺気に、主神たちの持つ神具が反応する。相も変わらず血の気の多いクロードに、ウィヌシュカはこっそりと肩を竦めるのだった。
「人間だろうが竜人だろうが、下等な存在に寝首を掻かれるヤツが居たならばさ、そいつが恥晒しって話だろ。あたしは指差して笑うだけさ」
身勝手に振る舞う破壊の女神を咎める者はない。それに言い方はどうであれ、クロードの発言は正鵠を射ている。聖域ウィグリドで繰り返される会合がいつだって不毛なのは、三柱の主神の三竦みの関係に基づくところが大きいのだ。
何かが変わるならば、変わればいい。
願わくば、少しでも自分に有利なカタチで。
それぞれの思惑を胸に秘める神々の姿を、ユグドラシルはやはり厳格な看守のように黙々と見守るのだった。
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「おいウィヌシュカ、一つ聞かせろ」
「……なんだ」
そこは地上へと向けて雲海を
「どうして言わなかった」
「何をだ」
「ったく、惚けた沈黙の女神様だぜ」
クロードは横目でちらと隣を奔る
「ちょっと待て。お前なら何て言うかな。えっと……」
更にもう一度、リュイリィとライラの意識がこちらにないことを確認してから、クロードは続きを口にした。似ても似つかないウィヌシュカの声真似をしながら。
「竜人の里リズでは、ここ数年間に渡って神隠しと呼ばれる現象が続いているとのこと。若干名ではあるものの、行方の知れぬ者が出ております──、こんな感じか」
ああ、そんなことかと言わんばかりに、ウィヌシュカは冷笑を浮かべる。声真似についての感想は特にないらしい。
「お前だって、言わなかっただろう」
そう言ってウィヌシュカは、ようやくクロードの方を振り向いた。色素の一切が抜け落ちたクロードの
「だって、言う必要なんかねーもん」
「はは、そうだろ? 私も同じ考えだ」
拗ねた子供のように答えるクロードに、ウィヌシュカはめずらしく上機嫌な様子だ。死の女神が垣間見せた無邪気な表情に、さすがのクロードも毒気を抜かれるのだった。
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