第11話 暗渠を伝う糸の果てに。





 神々たちの間で、外典とつふみとも呼ばれているアポクリファがある。それらは、人間たちの妄想の産物を書き記した書物の総称だ。その一節に登場する、聡明な糸使いの娘をアリアドネといったか。


 宝物庫を探すと一口に言っても、およそ十万の民が暮らしていた王国の地下である。華奢な女神の足で虱潰しに探すには、途方もない時間と労力を強いられることは必至であろう。ましてや今は、その片割れであるライラの魔力が枯渇しているのだ。だからこそリュイリィの取った手段は、これ以上ないほどに適切だった。


 地下水路に生息する無数のドブネズミたちやコウモリたちの眼光、更には水中に生息するグロテスクな外観をした魚たちの目玉までもが、魔力特有の碧色に染められている。神具トロイアを媒体にして練られた魔力の鎖が、個々の神経細胞の隅々へと潜り込み小さな軀を支配しているのだ。


 その視覚も、その聴力も、その機動力も──、全ては今、転生の女神リュイリィの意識と密接に繋がっている。宝物庫がどのように隠されていたとて、地下水路に張り巡らされた捜査網がその入り口を見つけ出すのは時間の問題であろう。


 リュイリィは両目を固く閉じたままで、自らの五感を小さな生き物たちに預けていた。その姿はまるで、糸を操って迷宮を導いたとされるアリアドネのようだ。


「……これはこれは、素直に驚きましたわね」


 リュイリィの集中を妨げぬよう、ライラは小声で呟いた。彼女の感嘆には、少なからずの動揺が含まれていたが、リュイリィの意識は今ここにない。だから──。


 ただ宝物庫を探し当てることに全神経を研ぎ澄ましていたリュイリィには、感じ取ることが出来なかったのだ。リュイリィの想定外の異能を前にして、ライラが殺し損ねた確かな苛立ちを。


「──見つけたっ」


 宝物庫の位置を補足したリュイリィは、小動物たちに結び付けた魔力の鎖を即座に断ち切った。その額には脂汗が浮かび、顔色も優れない。極めて不衛生な環境に生息する生き物たちの五感と、自らの五感とを無作為にリンクさせているのだ。その行為は、彼女の魔力面だけではなく、精神面にも多大な負担を強いる。


「ふふ、見直しました。私はあなたのことを今の今まで、内臓の感触が上等なだけの小娘だと侮っていましたわ」

「もっと褒めるといいよ。使い物にならなくなった色情狂を、エスコートするもしないもボク次第なんだからね」

「あらまぁ色情狂だなんて……、最高の褒め言葉ですわね」


 薄気味の悪いパートナーと距離を置きたくて、リュイリィはよろよろと歩き始めた。その内心は、これ以上付き合っていられないという思いでいっぱいだ。再生の女神ライラは、リュイリィがこれまでに出会ったどんな人物よりもイカれている。一刻も早く任務を達成して、一秒でも早くこのデュオを解散したい。


「地上に出るための人孔じんこうの中に、地上に繋がっていないヤツが一つだけあった。コウモリの超音波に映ったんだ」

「それは匂いますわね。暗渠あんきょからの出口に見せかけた、黄金郷への入り口でしょうか」


 うっとりとした声色でライラが言った。その様子は恋する乙女のようにも、金銀財宝に目が眩んだ罪人のようにも映る。


「正直なんだっていいよ。量産された魔具がわんさか出てくるとか、そういう展開じゃない限り何にも問題ない。ボクは早く帰ってウィヌに会いたいんだ」

「露骨な好意というものはかえって安く見えるものですけれど、あなたのそれは愚直を飛び越えて清々しいほどですね」


 死の女神に好意を寄せる転生の女神の姿は、ライラ以外の目から見ても随分と滑稽であったが、咎める理由など誰にもない。


 そもそも神々とは、悠久の時間を生きる暇人のようなものだ。三柱の主神が三界の領地を奪い合っている永年の勢力争いにさえ、果たしてどれ程の意義があるものなのか分からない。ましてやその魂を人間界に括り付けられている女神たちの色事など、アポクリファに記されたアリアドネの逸話以上に価値の無いものだろう。


「ん、お前はないのかよ。ほら、クロードに憧れたりとか」


 先ほど聞きそびれた質問を、まさに今思い付いたといったふうにリュイリィは投げかけた。聖域で散々にいたぶられ、挙句の果てに十三回も自分をぐちゃぐちゃにした相手に、なんて腑抜けた質問をするのだという情けなさもあったが。


「そうですねえ……、確かにクロードさんは魅力的ですけれど」

「けれど?」

「私、自分より強い相手には欲情しませんの。どうしても防衛本能が働いてしまって、心が休まらないと言いますか……」


 少しも参考にならない意見に、リュイリィはうんざりする。年頃の町娘たちが好むような色恋話に花が咲くかと思いきや、どうやら相手を間違えたようだ。ライラの発言は、リュイリィの戦闘力が自分より格下だと断言しているに等しかったが、最早もはや怒る気も起きない。


「ふぅん、とりあえずライラに聞いたボクがバカだというのは分かったよ」

「ふふふ、女神たちの生々しい情事について、いつの日にかお茶でもしながらゆっくりと語り合いたいものですわね」

「なんて言い方だよ。それにお前とティータイムなんて御免だ」


 二人はそんな軽口を叩き合いながらも、目的とする人孔をすでに真上に望んでいた。その人孔は、注意深く観察すれば確かに他の出口とは異なる高さにある。もっとも、あらかじめ意識していなければ気が付かない程度の差異ではあるが。


「さあて、一体何が出るのでしょうね」


 ほぼ垂直に架かった梯子を登りながらライラが言う。おっとりとした口調に、緊張感はまるで皆無だ。先を行くリュイリィが、人孔を塞ぐ蓋を躊躇なく押し上げた。その仕草は投げやりでさえある。


 外れた蓋がガランという金属音を立てる。リュイリィの腕力で難なく押し上げられたということは、この蓋が頻繁に開閉されていることを意味している。リュイリィが両腕をついて体ごと孔の上に出ると、彼女の願いとは裏腹な光景が広がっていた。


 神経質なほど真四角に開けられた空間に、尖刀サーベルをはじめとする様々な魔具が散乱している。ずさんともいえる魔具の取り扱いから、これらの武具が量産されていることが容易に推測出来た。宝物庫と呼ぶには少々大袈裟だが、宝物庫と呼んで然るべき部屋の有り様に言葉を失いかけるリュイリィ。


 しかし驚くのはそれだけではなかった。見やれば部屋の中央に、あろうことか空間転移の方陣が座していたのだ。


「……なんだよ、これ」


 空間転移の方陣とは、文字通り離れた場所へと肉体を転移する術式の土台である。夜鳴き蝶の鱗粉と珊瑚をまぶした魔導物質を用いて、床面に描かれた複雑な円形模様。この術式を使えば、無力な人間たちであっても空間を転移することが可能だ。ただし転移する距離に応じて、それ相応の魔力は求められるが。


 しかしこの場合において肝要なのは、一体誰がどのような目的を持って、この方陣をこしらえたのかという点であろう。少なくとも魔術に精通している誰かが、アリアドネのように糸を引かなければ術式は成立しない。


 リュイリィが憶測を巡らせるその傍ら、ライラは優雅な歩調で周囲を散策していた。床に描かれた転移方陣が、彼女の靴底で擦り切れることもいとわずに。


「おいライラ、それはマズいだろ」

「あら、何故ですの? 四六時中この場所を観測することが出来ない以上、用途不明の方陣を潰しておくのは当然のセオリーだと思いますけれど」


 しかしそれでは、転移先が分からなくなってしまう。リュイリィがそう思ったところで、方陣の一部は既に壊されてしまっていた。この転移方陣が果たしてどこに通じていたのか、自らの身をもって解析する手段が失われてしまったのだ。


「リュイリィちゃん、帰りましょう? これは私たちの手に負える案件ではありません。主神様たちの元に一度報告に戻り、その後の判断を仰ぐべきですよ」


 そう言いながらライラは、薬指につけたニーベルングの指輪をちらつかせる。この指輪こそまさに、空間転移の方陣を極小化したアイテムである。女神たちを転送するための魔力は、三柱の主神たちによってその都度補填されている。


「うふふ、私たちの任務は大成功ですわね」


 リュイリィの同意を待たずして、ライラは転移の光彩に包まれていく。隔靴掻痒かっかそうようとした想いがリュイリィの胸を満たしていたが、宝物庫の探索によって魔力を消耗しきっていた彼女もまた、ニーベルングの指輪を用いて聖域へと帰っていくのだった。




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