第8話 流れる紺碧は何と釣り合うのか。





「これを見て欲しい」


 ウィヌシュカは腰に下げた麻袋から、白銀に輝く手甲を取り出した。卓上に置いて竜人たちの反応を注意深く窺うが、ザンカがわずかに片眉を吊り上げただけだ。長老テルーに至っては、特段目立った反応を示さない。


昨日さくじつにスクルドで発見された魔銀製フルアーマーの一部だ。これに見覚えは?」


 細部を伏せてウィヌシュカは問う。そもそも千年王国スクルドに神の裁きが落ちたこと自体、この閉じた里に知れ渡るのは遠い日のはずだ。


「見覚えありませぬ。ウィヌシュカ様、こちらの武具は最早もはや芸術の域かと」

「値段もバカ高いんだろうな。所持していたのはコレクターか何かか?」


 ザンカは手甲を手に取り、矯めつ眇めつ眺めた。


「いいや、所有者は王国直属の騎士団員だ。そいつが言うには、魔銀製の武具一式をこの竜人の里リズから仕入れたらしい。だからあたしたちは遠路遥々えんろはるばる、真偽を確かめにきたのさ」


 二人の反応がじれったいとばかりに、クロードが口を挟んだ。虚実を織り交ぜつつの話は、クロードがただの無鉄砲ではないことの証左である。テルーは大きな眼球をゆっくりと閉じると、深く長い溜め息を吐き出した。


「これは困りましたのう。デタラメを申されるのは騎士様か女神様か……」


 沈黙の帳が降り、それぞれが顔色がんしょくを窺い合う。その空気に耐え切れず、口火を切ったのはザンカだった。


「あー、やっぱり小賢しい駆け引きは性に合わねーわ。名はウィヌシュカ様、だったっけか。良いぜ、俺が見せてやるよ。なあ婆や、良いだろ?」

「……失われていくべき知恵じゃが、しかし疑いを晴らすためには致し方あるまい」


 ウィヌシュカやクロードが考えていたよりも、竜人たちはずっと聡いようだ。魔銀製の手甲を見せられたその瞬間に、目の前の女神たちが何を言わんとしているかをさとっていたのだろう。


 竜人たちが魔銀を鋳造し、高い戦闘力を持つ武具として市場に流しているのではないか。あるいは人間たちと手を組み、良からぬはかりごとを巡らせているのではないか──、そう勘繰られるのも無理からぬが、あらぬ疑いは今ここで晴らすべき。


 それが、長老テルーの下した判断だった。


「おい、そっちのあんた。忍ばせてるものを出しな」


 クロードに向けてザンカが言う。するとクロードは長いスカートの裾を恥ずかしげもなくたくし上げ、両脚それぞれに巻き付けたホルダーに仕込んでいた短剣の一本をザンカに投げ与えた。


「……やれやれ虹の瞳の女神様よ、あんたとは酷く気が合いそうだぜ」

「何なら愛し合うかい? 獲物はもう一本あるんだ」


 血の気の多いザンカとクロードを、テルーとウィヌシュカが視線で咎める。ザンカは「ちっ」と聞こえよがしな舌打ちをしてから、あろうことか借り受けたその刃で自身の手のひらを切り裂いた。


 紺碧の色をした竜人の血液が、白銀の手甲に勢いよく飛散する。突然の奇行に驚く二人の女神だったが、その動揺を表情に出すことはなかった。


「んだよ、二人揃ってだんまりかよ。痛くないのかとか聞けよコラ」

「痛くはないのか」


 いかにも興味なさげにウィヌシュカが尋ねると、ザンカはわざとらしく声を荒げた。


「痛いに決まってんだろっ! この短剣、なんつー斬れ味してんだ。もうちょっとで指ごと逝っちまうところだった」

「ははっ、言ってくれればあたしが斬り落としてやったのに」

「……婆や、少なくともこっちの白髪はくはつを里に入れたのは絶対に失敗だっただろ」


 助けを求めるようにテルーを見やるザンカだったが、その視線にテルーが応えることはなかった。テルーは顎先だけを動かして、場の皆に手甲を見るように促す。


「これは……霧?」


 見やれば手甲からは、煙にも似た蒸気がもくもくと立ち込めている。「触れてみろ」と端的に言ったザンカに従い、ウィヌシュカは手甲に指先を伸ばした。


 ぶにぶにとした信じがたい感触に、今度こそウィヌシュカは目を見開く。魔銀製の甲冑の並外れた硬度は、自らの身で体験済みなのだ。何しろ死神の大鎌デスサイズの渾身の一太刀を以ってしても、アレクサンドルの胴体を寸断することは叶わなかったのだから。


「お二方、これでご理解頂けたかの」


 テルーの澄んだ瞳が、ウィヌシュカとクロードを同時に見据えた。


「理屈は私どもにも分かりませぬ。大昔から竜人の血液には、魔銀の硬度を奪う作用がありましての。摩訶不思議とはまさにこのことですじゃ。しかしそれゆえに、私どもが魔銀を鋳造するには多大な痛みを伴いまする。ご覧の通りザンカの傷口はパックリと割れたまま、あと三日は塞がらぬでしょう」


 言いながらテルーは給仕を呼びつけ、消毒液と包帯を準備させた。手当てをしようとした給仕を追い返して、ザンカは残った手と口を器用に使って包帯を巻いていく。


「竜人族の長老、そして若き戦士よ。済まなかった。私たちが前もってそのような知識を有していれば、最初から疑いをかけることもなかったはずだ」


 謝罪の言葉を並べるウィヌシュカを横目に、クロードは冥界の主神ギュゲスに怒りを募らせていた。三柱の中で一番の博識であろうあの男が、この事実を故意に伏せていたように思えてならなかったからだ。それが事実だとすれば、とんだ無駄足を踏まされたことになる。聖域ウィグリドで反抗的な態度を見せたクロードへの、いとわしい当て付けに違いない。


「まあ、良いってことよ」


 ザンカはその言葉と裏腹に不服そうに鼻を鳴らしたが、その仕草はどこか芝居がかっていた。折り合いが悪いクロードの手前、寛大に許すことが憚られたのであろう。


「長老テルー、更なる失礼を承知で尋ねる。ここ数年の間に竜人の里リズから離反した者、あるいは行方が知れなくなった者は居ないか」


 淡々と問いかけるウィヌシュカを、クロードは複雑な心中で見やる。その問いかけには、竜人族の中に裏切り者がいるのではないかという意味合いが多分に含まれているからだ。慈悲深いのか、それとも情け容赦ないのか──、ウィヌシュカのこうした二面性に、妙に心惹かれる自分を自覚するクロード。


 尋ね方はどうであれ、ウィヌシュカの質問は的を得ていた。魔銀製の武具が大量に見つかったのならばともかく、アレクサンドルが着用していた一式が発見されたに過ぎない現段階では、流れ者となった竜人が関与している可能性は無視出来ない。


 もっともその際に流される紺碧の血液や肉体の苦痛が、果たして何と引き換えならば釣り合うのかと考えると、答えは深い闇の中であったが。


 ザンカとテルーは長い時間見つめ合い、話すべきか否かとお互いの意思疎通を図っていた。やがて沈黙を破って、ザンカが答える。


「……神隠しだったら、度々あるぜ。っていうか神隠しじゃなくて、竜人隠しか? 実は俺の嫁さんもな、今どこで何をしてるのか、さっぱりと分からねーんだ。生意気盛りの一人息子が寂しがってな、困ってんだよ」


 歯切れの悪い訥々とつとつとした口調は、若き戦士らしからぬ悲愴感をたっぷりと孕んでいた。




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