第7話 訪問、竜人の里リズ。





 竜人。それはかつて、ミッドガルドの大空を治めていたとされる古の生物ドラゴンと、神々の食料として輪廻転生りんねてんしょうを繰り返している人間との合いの子を指す呼び名だ。


 天空の覇者として一時代を築いた無数のドラゴンは、ついに神々の怒りに触れてその純血を絶やした。だがドラゴンと人間の混血種である竜人たちは、この辺境の地へと逃れ着いて竜人の里リズを興したとされている。


 今も細々と、しかし脈々と受け継がれているドラゴンの血脈はとても希少なため、竜人たちは時に神格化された。またとある時代にはその存在を忌み嫌われたり、更には見世物にするために乱獲されたこともある。とかく竜人族は、常に時代と好奇の視線に振り回されて生きてきたのだ。


 精霊界の主神ギュゲスの話によれば、くだんの竜人たちは神々の力を借りずとも魔銀を鋳造することが可能だという。三柱の主神が此度こたびのウィヌシュカとクロードに命じた責務は、アレクサンドルが所持していた魔銀製の武具の生成に竜人たちが関与しているのかどうかを探ることである。


「ようこそ女神様。このような最果ての地までおいでになるとは、感激のあまり言葉も出ませぬ」


 しわがれた声でウィヌシュカとクロードを出迎えたのは、青緑色の皮膚を持った竜人族の老婆だった。世代を重ねるごとに退化しつつある短い尾と、飛び出た眼窩がんかに座している瑠璃色の大きな目玉を除けば、その外観や仕草、話す言葉までが人間そのものである。


「一つ尋ねる。老婆よ、どうして私たちが女神だと?」


 不審に思ったウィヌシュカは問うた。スクルドで少女から林檎を買った時のように、二人は簡素な格好の町娘に扮装していたからだ。死の女神の象徴である死神の大鎌デスサイズも、今は入り口近くの険しい岩場に寝かせてある。


「星の河が流れるように繊細な髪に、虹色に光り輝く魅惑的な瞳。そのお姿を一目見れば、老いさらばえた私でもすぐに分かりますて。私の姿を見て竜人だと判断なさったのは、女神様らも同じでしょうに」


 ウィヌシュカとクロードを交互に見やってから、「何をつかさどる女神様かまでは分かりませんがな」と老婆は笑う。再生や転生の女神ならばともかく、死と破壊の女神が並び立っていると知ったら、さぞかし肝を冷やすことだろう。


「ははっ、確かにそうだな。あたしはクロード、こっちはウィヌシュカ。美の女神と沈黙の女神だ。どうかよろしく頼むよ」

「申し遅れておりました。私はこのリズの長老、テルーと申します。こちらのほうこそどうぞよしなに」


 さらりと偽りを述べるクロードによって、ついに沈黙の女神の座に据えられたウィヌシュカ。二人はテルーに導かれて里の奥へと進む。


 しっかりと手入れされた花壇や透き通った水辺。ぽつぽつと構える木造りの民家に家畜を育てる小屋。竜人たちが密やかで慎ましい暮らしを送っていることが、容易に想像出来る風景が続いた。


「うわ、人間だ!」

「違うってよく見ろ、女神様だろ」

「え、女神様? え? そんなバカな!」


 さほど警戒する様子も見せず、竜人族の子供たちが元気に駆けていく。どうやら竜人族は、女神の存在に対して存外寛容のようだ。いつか滅びの使者としてこの里を訪れる日が来ませんようにと、ウィヌシュカは子供たちに向ける静かな笑みの中で祈った。


「さあ、こちらです」


 二人が通されたのは、ここに来るまでで一番の大きさを持つ家の居間だった。聞けばリズの長老が代々受け継いでいる神聖な家屋だという。給仕を担う若い竜人が、石造りのテーブルの上に青虫色をした茶を運んできた。その者が去ってウィヌシュカが本題を切り出そうとすると、後方から威勢の良い声が飛び込んでくる。


「おっと、これはこれは──、ほっぺたが落ちそうなくらいの美人さんだな。それも二人と来たもんだ。婆や、このままじゃ俺の両目が潰れちまうよ」

「ならば席を外せば良かろう。こちらは女神様じゃぞ、失礼のないようになさい」


 テルーに叱りつけられた竜人の男は悪びれもせず、「女神様ってのは見りゃ分かるよ」と太く逞しい腕を組んだ。二メートルを優に超える上背に、あちらこちらが筋肉の瘤だらけの肉体。成人した竜人族の男性特有の硬質なたてがみが、後頭部から背中にかけて朱色の線を走らせている。


「さて美しい女神様よ、俺はザンカってモンだ。そこの婆やがくたばった暁には、リズの次の長は俺になる」


 ザンカと名乗った男は、テルーの方を見やってニカッと微笑んだ。鋭く剥き出された犬歯が、口元で光っている。


「ってなわけでこんな婆さんだが、くたばるその瞬間までは大切な長老だ。悪いが俺も同席させてもらうぜ」


 無言のままにウィヌシュカは首肯した。席を外して欲しいと言ったところで、素直に聞き入れる性格ではないだろう。


 どかんと乱暴に腰掛けたザンカは、先ほどの給仕に自分の茶を頼んだ。慌てて差し出された青虫色の液体を、ごくりと一気に飲み干してから粗暴な口調で言う。


「許可してくれて礼を言うぜ。別にあんたらを信用してねーわけじゃねー。だがな、どういうわけかあんたらの髪には、血の匂いがべっとりと染みついてやがるからな」


 突き出した眼窩の上のザンカの瞳が、凄むようにぎょろりと見開かれた。不敵な笑みを噛み殺しながら、クロードが答える。


「ここに来る道中で獣を斬り払ったんだよ。軽く十匹は殺ったかな」

「へぇ! そいつは妙だなぁ。俺の自慢の鼻が、獣の匂いじゃあないと言ってるんだが──」


 更なる重圧を与えようとするザンカを戒めるために、テルーが口を挟んだ。


「ザンカ、おやめなさい。生きていれば誰だって、浴びたくもない血を浴びることもあるでしょう」


 テルーの言葉に、ウィヌシュカの心のどこかが軋んだ。頭を掻きむしって顔をしかめるザンカと、感心したふうな表情を浮かべるクロードが口を噤む。


 努めて無表情を装ったウィヌシュカは、今度こそ本題を切り出すのだった。




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