第4話 虫けらには神の知恵が授けられたのか。
「……ちきしょう。ボクのお楽しみを邪魔するのは一体どこのクソ野郎だよ」
ぶつぶつと恨み言を呟くリュイリィの怒りが沸点に達するまでに、時間はまるで掛からなかった。一芝居を打とうとしたウィヌシュカの機転を根こそぎ無視して、リュイリィは腹の底から怒声を上げる。
「今なあ、すっごくいいところだったんだよ! 全力でぶっ殺してやるから出てこいっ! このボクが未来永劫、お前を転生の鎖から外してやろうか? ああんっ?」
激昂したリュイリィの意志を汲み取り、トロイアに刻まれた双魚の彫刻が変容する。二匹の魚は、鋭い牙を持った双子の蛇へと。器の中を満たしていた
次の瞬間、赤黒いそれは巨大な魔弾と成って、暗闇の中に撃ち込まれる。
爆音。爆音。爆音──。地響きさえも伴って大地が削られた。しかし眼前の地形が変わってもなお、リュイリィはありったけの魔弾を放ち続ける。
爆音。爆音。爆音に紛れて、奇声にも近い罵声を上げる彼女だったが、
濃縮された
ウィヌシュカはリュイリィの暴走にひときわ険しい表情を浮かべつつも、噴煙の舞い上がる中で素早く戦装束を纏った。あれだけの砲撃を受ければ、相手が何者であれ跡形もないはずだ。たとえ自分であっても、致命的な深手を負うに違いない。
それでもなぜか、ウィヌシュカの胸中に一抹の不安が
ウィヌシュカの予感は的中し、やがて立ち込める噴煙の中からそれは現れた。ぜいぜいと肩で息をするリュイリィが、信じられないものを見たとばかりに青褪める。
「う、うそだろ……? ねえウィヌ、どういうことっ?」
「さあな。リュイリィ、さっさと構えろ」
二人の目の前には、関節にわずかな隙間もないフルアーマーの甲冑に包まれた騎士の姿があった。その鎧兜も、右手に握られた長身の
死の女神が構える
勢いを挫かれた未知なる敵の足取りは、ふらりふらりと覚束なかった。トロイアが生成した魔弾によるダメージが、決してゼロというわけではないとウィヌシュカは判断する。
反撃の
しかし、斬れない。
衝撃に飛ばされた騎士が低い声で呻いた。どうやら甲冑の中身は人間の男のようだ。真っ二つにならずとも、肋骨や内蔵が損傷したに違いない。
「リュイリィ、魔銀だ」
「へ? 魔銀製のフルアーマーってこと?」
剣戟の際の独特な衝撃音と、
それらから導き出されたウィヌシュカの見解に、リュイリィはただただ目を丸くするばかりだった。
魔銀の最大の特性は、その硬さと絶縁性にこそある。つまり魔銀は、鉱物として加工に適していないのだ。ましてや鎧や兜などといった複雑な形状をしたものに叩き上げるなど、人間たちの持つ技術では到底不可能な領域のはずだった。
「お前は何者だ」
ウィヌシュカの冷徹な声に、リュイリィは我に返る。見やれば甲冑の騎士は、すでに仰向けに寝転がされて空を仰いでいた。彼の近くに転がった魔銀製と思しき
「貴様に名乗る名などない」
吐き捨てるような男の声。ウィヌシュカは
「
男の正体は剣捌きからの当て推量であったが、彼には明らかな動揺が見て取れた。魔銀の騎士をアレクサンドルだと断定したウィヌシュカは、彼の躰に馬乗りになって左の目蓋を指先で押し広げる。恐怖と苦痛に恐れ慄きながら、それでもアレクサンドルは反抗的な態度を崩さずに言う。
「私の命など好きに弄ぶがいいさ。素直に答えたところで、どうせ殺すのだろう? 我が
「そうだ。答えれば楽に死ねる」
「女神の姿をした悪魔め……。一人も居るものか! 楽に死んだ者などっ!」
アレクサンドルの悲痛な訴えは、死の女神には届かない。
ただウィヌシュカは目の前のアレクサンドルの姿に、誇り高き最後を遂げたスクルドの王クレイの姿を重ねるのだった。
〓〓 〓〓 〓〓 〓 〓〓 〓〓 〓〓
アレクサンドルが絶命しても、二人には何の情報も得られなかった。ただ一つだけ
すっかり空っぽになったトロイアに、リュイリィは魔銀製のフルアーマーを収納した。その材質上、重さはほとんど感じない。トロイアに収まりきらなかった
「あーあ、一気に戻りづらくなっちゃった」
意気消沈といったふうにリュイリィが呟くと、ウィヌシュカは無表情のままに小首を傾げた。リュイリィの言わんとしていることが、どうやら本当に分からないようだ。
「だってほら、見事に無くなっちゃったし。ボクがせっかく集めた
「それはお前の責任だろう。私が咎められることではない」
「でもさ、ウィヌだって一人殺し損ねてたじゃん」
「確かにそうだが、それも今しがた完遂しただろう」
死の女神であるウィヌシュカが三柱の主神から課せられているのは、あくまでも"多くの命を刈り取ること"のみだ。対して転生の女神であるリュイリィには、"命を枯らさない"という使命が課せられている。命を枯らさないためには、
つい先ほどまでの激昂が嘘のように、リュイリィはどんよりと沈み込んでいた。これでは主神の寵愛を受けるどころか、凄惨な罰を与えられてしまうに違いない。何なら今すぐにでも、ウィヌシュカと駆け落ちして行方を眩ませたいとさえ思った。
「ねえウィヌ、ボクと一緒に行かない?」
「もちろん行くさ。非常に面倒だが、これは報告すべき案件だろう」
「もうっ、そういうことじゃなくてさあ……」
どこか遠くへ消えてしまいたいと、リュイリィはふいに考えることがある。それはまさに、今こういった瞬間だ。寡黙な死の女神にも、同じような瞬間はあるのだろうか。尋ねてみたいという気持ちが確かにあったが、それと同時に、尋ねてはならないと理解もしている。
「しっかしウィヌは、本当に強いね。はじめはどうなることかと思ったけど、結局圧勝だった」
自身に芽生えたささやかな探究心を掻き消すために、リュイリィは話題を変えた。腕に絡みつこうとしたリュイリィを、ウィヌシュカはあっさりと振り払う。その紅い瞳には、どんな感情も浮かんではいなかった。
ただ、彼女は──。
「あれが十万だったら……、どうだ。おそらく、地べたに這いつくばっていたのは私とお前だろう」
めずらしく言葉を選ぶように、そう呟いた。
もしかすれば、そう尋ねたのかもしれない。
「まさか、ウィヌにも怖いものがあるの?」
無邪気な声を装って、意地の悪い質問を投げかけるリュイリィ。怖いものなら、あるに決まっている。この世に生きる全ての生命には、愚弄する者と愚弄される者が存在するのだ。
「いや、もしも人間どもに、私たち神々と渡り合う力が授けられたのだとしたら──」
永遠を思わせるほどの、長い静寂の後で。
ウィヌシュカは言った。「それはとても喜ばしいことだ」と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。