第4話 虫けらには神の知恵が授けられたのか。





「……ちきしょう。ボクのお楽しみを邪魔するのは一体どこのクソ野郎だよ」


 ぶつぶつと恨み言を呟くリュイリィの怒りが沸点に達するまでに、時間はまるで掛からなかった。一芝居を打とうとしたウィヌシュカの機転を根こそぎ無視して、リュイリィは腹の底から怒声を上げる。


「今なあ、すっごくいいところだったんだよ! 全力でぶっ殺してやるから出てこいっ! このボクが未来永劫、お前を転生の鎖から外してやろうか? ああんっ?」


 激昂したリュイリィの意志を汲み取り、トロイアに刻まれた双魚の彫刻が変容する。二匹の魚は、鋭い牙を持った双子の蛇へと。器の中を満たしていた魂の核アニムスは赤黒く発光し、リュイリィはがっしりと抱きかかえた水瓶トロイアの口を深い茂みへと向けた。


 次の瞬間、赤黒いそれは巨大な魔弾と成って、暗闇の中に撃ち込まれる。


 爆音。爆音。爆音──。地響きさえも伴って大地が削られた。しかし眼前の地形が変わってもなお、リュイリィはありったけの魔弾を放ち続ける。


 爆音。爆音。爆音に紛れて、奇声にも近い罵声を上げる彼女だったが、とどろきに混ざったその暴言は最早もはや聞き取ることが出来ない。


 濃縮された魂の核アニムスの塊は、リュイリィの怒りを叶えながらミッドガルドの大気へと散っていく。奪われた千年王国スクルドの十万の民の命が、次の生を結ぶことは二度とないだろう。


 ウィヌシュカはリュイリィの暴走にひときわ険しい表情を浮かべつつも、噴煙の舞い上がる中で素早く戦装束を纏った。あれだけの砲撃を受ければ、相手が何者であれ跡形もないはずだ。たとえ自分であっても、致命的な深手を負うに違いない。


 それでもなぜか、ウィヌシュカの胸中に一抹の不安がぎったのだ。歴戦を潜り抜けてきた彼女の経験が、まだ終わりではないと告げていた。


 ウィヌシュカの予感は的中し、やがて立ち込める噴煙の中からそれは現れた。ぜいぜいと肩で息をするリュイリィが、信じられないものを見たとばかりに青褪める。


「う、うそだろ……? ねえウィヌ、どういうことっ?」

「さあな。リュイリィ、さっさと構えろ」


 二人の目の前には、関節にわずかな隙間もないフルアーマーの甲冑に包まれた騎士の姿があった。その鎧兜も、右手に握られた長身の尖刀サーベルも、何もかもが見覚えのある白銀の色で覆われている。


 死の女神が構える死神の大鎌デスサイズの迫力に怯むことなく、白銀の騎士は剣撃と共に突撃した。ウィヌシュカは左手の手甲を使って、騎士の渾身の一撃を華麗にいなす。


 勢いを挫かれた未知なる敵の足取りは、ふらりふらりと覚束なかった。トロイアが生成した魔弾によるダメージが、決してゼロというわけではないとウィヌシュカは判断する。


 反撃の死神の大鎌デスサイズをウィヌシュカが振るえば、がいいいんっ! と寸胴の鐘を叩くように芯の抜けた音。ウィヌシュカの横薙よこなぎを、白銀の騎士は思いきり脇腹に食らったのだった。


 しかし、斬れない。


 衝撃に飛ばされた騎士が低い声で呻いた。どうやら甲冑の中身は人間の男のようだ。真っ二つにならずとも、肋骨や内蔵が損傷したに違いない。


「リュイリィ、魔銀だ」

「へ? 魔銀製のフルアーマーってこと?」


 剣戟の際の独特な衝撃音と、死神の大鎌デスサイズをもってしても断ち斬れないずば抜けた硬度。リュイリィの魔弾を凌ぐ魔力への絶縁性と、この目に見慣れたあの白銀の輝き。


 それらから導き出されたウィヌシュカの見解に、リュイリィはただただ目を丸くするばかりだった。


 魔銀の最大の特性は、その硬さと絶縁性にこそある。つまり魔銀は、鉱物として加工に適していないのだ。ましてや鎧や兜などといった複雑な形状をしたものに叩き上げるなど、人間たちの持つ技術では到底不可能な領域のはずだった。


「お前は何者だ」


 ウィヌシュカの冷徹な声に、リュイリィは我に返る。見やれば甲冑の騎士は、すでに仰向けに寝転がされて空を仰いでいた。彼の近くに転がった魔銀製と思しき尖刀サーベルを、ウィヌシュカがリュイリィの方向へと蹴り飛ばす。どれだけ防御力に優れたアーマーに身を包んでいても、ウィヌシュカの並外れた戦闘能力を前に一介の人間には為す術がないのだ。


「貴様に名乗る名などない」


 吐き捨てるような男の声。ウィヌシュカは死神の大鎌デスサイズを使い、甲冑の目庇ベンテールを押し上げた。剥き出しになった彼の右目を、躊躇いなく柄の先で押し潰すウィヌシュカ。くちゃりと眼球を潰された激痛に、男は堪らずくぐもった声を上げた。ひとひらの慈悲もないウィヌシュカの姿に、リュイリィは恍惚の眼差しで見惚れている。


聖騎士団キルヒェンリッター団長、アレクサンドル・ティセリウス。お前はどうやってこの魔銀製の武具を手に入れた。答えろ、永遠に日の光を失いたくはないだろう」


 男の正体は剣捌きからの当て推量であったが、彼には明らかな動揺が見て取れた。魔銀の騎士をアレクサンドルだと断定したウィヌシュカは、彼の躰に馬乗りになって左の目蓋を指先で押し広げる。恐怖と苦痛に恐れ慄きながら、それでもアレクサンドルは反抗的な態度を崩さずに言う。


「私の命など好きに弄ぶがいいさ。素直に答えたところで、どうせ殺すのだろう? 我が聖騎士団キルヒェンリッターが守ろうとした、かけがえのない国民たちのように」

「そうだ。答えれば楽に死ねる」

「女神の姿をした悪魔め……。一人も居るものか! 楽に死んだ者などっ!」


 アレクサンドルの悲痛な訴えは、死の女神には届かない。


 ただウィヌシュカは目の前のアレクサンドルの姿に、誇り高き最後を遂げたスクルドの王クレイの姿を重ねるのだった。





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 アレクサンドルが絶命しても、二人には何の情報も得られなかった。ただ一つだけり得たことは、亡骸から甲冑フルアーマーを剥がすのは、王国を一つ滅ぼすよりもずっと手間だということだ。


 すっかり空っぽになったトロイアに、リュイリィは魔銀製のフルアーマーを収納した。その材質上、重さはほとんど感じない。トロイアに収まりきらなかった尖刀サーベルは、ウィヌシュカが腰元にいている。


「あーあ、一気に戻りづらくなっちゃった」


 意気消沈といったふうにリュイリィが呟くと、ウィヌシュカは無表情のままに小首を傾げた。リュイリィの言わんとしていることが、どうやら本当に分からないようだ。


「だってほら、見事に無くなっちゃったし。ボクがせっかく集めた魂の核アニムスがさ、空に散っちゃった」

「それはお前の責任だろう。私が咎められることではない」

「でもさ、ウィヌだって一人殺し損ねてたじゃん」

「確かにそうだが、それも今しがた完遂しただろう」


 死の女神であるウィヌシュカが三柱の主神から課せられているのは、あくまでも"多くの命を刈り取ること"のみだ。対して転生の女神であるリュイリィには、"命を枯らさない"という使命が課せられている。命を枯らさないためには、魂の核アニムスをユグドラシルの元へ還すことが不可欠だった。


 つい先ほどまでの激昂が嘘のように、リュイリィはどんよりと沈み込んでいた。これでは主神の寵愛を受けるどころか、凄惨な罰を与えられてしまうに違いない。何なら今すぐにでも、ウィヌシュカと駆け落ちして行方を眩ませたいとさえ思った。


「ねえウィヌ、ボクと一緒に行かない?」

「もちろん行くさ。非常に面倒だが、これは報告すべき案件だろう」

「もうっ、そういうことじゃなくてさあ……」


 どこか遠くへ消えてしまいたいと、リュイリィはふいに考えることがある。それはまさに、今こういった瞬間だ。寡黙な死の女神にも、同じような瞬間はあるのだろうか。尋ねてみたいという気持ちが確かにあったが、それと同時に、尋ねてはならないと理解もしている。


「しっかしウィヌは、本当に強いね。はじめはどうなることかと思ったけど、結局圧勝だった」


 自身に芽生えたささやかな探究心を掻き消すために、リュイリィは話題を変えた。腕に絡みつこうとしたリュイリィを、ウィヌシュカはあっさりと振り払う。その紅い瞳には、どんな感情も浮かんではいなかった。


 ただ、彼女は──。


「あれが十万だったら……、どうだ。おそらく、地べたに這いつくばっていたのは私とお前だろう」


 めずらしく言葉を選ぶように、そう呟いた。

 もしかすれば、そう尋ねたのかもしれない。


「まさか、ウィヌにも怖いものがあるの?」


 無邪気な声を装って、意地の悪い質問を投げかけるリュイリィ。怖いものなら、あるに決まっている。この世に生きる全ての生命には、愚弄する者と愚弄される者が存在するのだ。


「いや、もしも人間どもに、私たち神々と渡り合う力が授けられたのだとしたら──」


 永遠を思わせるほどの、長い静寂の後で。

 ウィヌシュカは言った。「それはとても喜ばしいことだ」と。




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