何かの予兆。

 飛行船に向かったアインが城に戻ると、当たり前のように皆から離席した理由を尋ねられた。



 また、ディルは「やはりご迷惑を……」と、今にも首を切って詫びをと言いだしそうな悲壮感を感じた。彼は彼で、アインのことだから何かあって席を外したのだと悟っていたのだ。

 ただ、アインは急な仕事とだけ皆に告げ、幾度となく謝罪の言葉を述べた。



 ……しかし、皆が言葉通りに受け止めていなかった。



 そもそも隠しきれるような事態ではなく、飛行船の緊急時となれば多くの人が動く。

 また、騎士たちが何人も倒れていたのだから、すべて隠すのは無理があった。



 それでもどうにかして、自分の下で片付けられるようにと務めたアイン。

 彼はロランをはじめとした、多くの技術者たちへ内々に連絡を取った。



 ――――事が大きく動いたのは、あの騒動から三日後のことだ。



「なんだろ」



 その日の未明、アインはベッドの上で上半身を起こした。

 隣で規則正しく寝息を立てるクローネが、その動きに気が付いて重い瞼をゆっくり持ち上げる。



「アイン……? どうかしたの……?」


「ごめん、誰か来たみたいだからさ」



 アインは穏やかな声でそう告げて、彼の身体に手を回していたクローネの額に口づけをする。

 おまけにポン、ポン、と頭を撫でてベッドを後にした。



 寝室を出てリビングから外につづく扉に行く。

 それを開けると、外にはマーサが立っていた。



「このような時間に申し訳ありません。……至急、ご確認いただきたい連絡が届きましたので」



 アインはそのマーサから、分厚い紙の束を受け取った。

 訝しむようにそれを見るアインはマーサに「ありがとう」と言い、部屋の中へ戻っていく。



 リビングの片隅に置かれた机に向かい、まずはその書類を広げて見た。

 そうしていたら、眠っていたはずのクローネが背後から近づき、彼の首元から顔を覗かせる。



「もう……置いてくなんてひどいじゃない……」


「ごめんごめん。俺が確認しておくから、クローネはまだ寝てて大丈夫だよ」


「……ううん、平気だもん」



 人懐っこくアインに顔を擦りつけていた彼女も、不意に紙に書かれた文字に気が付きすぐに目を覚ました。

 すると、彼女はすぐにアインから離れていく。

 下着に薄い外套だけを羽織った彼女は、寝室へと身体を向けた。



「すぐにアインの着替えも持ってくるわ」


「ごめん、ありがと。――――それと」


「わかってる。すぐに仕事に行けるような準備もしてくるから、アインは先にそれを確認しておいて」




 多くを語らずとも理解してくれる。

 アインはそんなクローネの献身に心から感謝して、彼女の背を少しだけ見送った。




◇ ◇ ◇ ◇



 この日の未明を境に、イシュタリカ王都はいたるところで騒々しさに包まれた。



『怪我人の情報はどうしたッ!?』


『見慣れぬ巨大な魔導兵器だと……? 情報が足りない! もっと詳しく報告せよッ!』


『相手方の国籍や種族は――――』



 王城で、貴族街に面した官庁で、飛行船の停泊所で。

 騎士や文官、大貴族も交えての騒ぎが王都中に広まりつつあった。



 そんな中、アインは城内にある一際大きな会議室に居た。



 この会議室はアインにとって思い出深い場所だ。

 というのも、ここはアインがシルヴァードとはじめてあったあの場所で、足を運べば自然と当時のことを思い出す場所だったから。



 それに、ハイム戦争の際もこの会議室を利用している。

 こうした事実を鑑みれば、ここが使われるときは仰々しい事態であるともわかる。



(ヴィゼルの騒動からまだ間もないのに……何が起こってるんだ……)



 密かにそう考えていたアインの耳に、この会議室に集った者たちが語らう声がいくつも届く。

 だがそれが不意に止む。

 彼らが黙らなくてはならない相手が口を開こうとしていたからだ。



「静粛にお願いいたします」



 この場に集まった皆を前に、ウォーレンが椅子から立ち上がって言った。

 彼は円状の席に集った大貴族や王都の重鎮たちを前にして、普段より険しい面持ちを浮かべて皆の顔を見渡す。



 ウォーレンが次に口を開いたのは、たっぷり十数秒後のことだった。



「昨夜、西方に派遣していた騎士らが、『鉄の国』を名乗る者らと交戦いたしました」



 このはじまりは、未明にアインがマーサから受け取った書類にも同じことが書かれている。



「こちらの被害は魔導兵器がいくつかと、騎士が十数人ほど重傷。敵対した者らは巨大な魔導兵器らしきモノを駆使しており、特筆すべき破壊力であったと報告が届きました」


「ウォーレン。鉄の国と名乗った者らはどうした」



 シルヴァードが険しい面持ちで尋ねた。



「交戦前に現地の指揮官が三度、、の警告を行いましたが、相手が止まらなかったため魔導兵器による応戦を行いました。その結果、一人のドワーフを残し殲滅しております」


「……相手はドワーフであったか」


「はい。また、生き残ったドワーフはバルトの大監獄に収監しております」


「む、バルトだと?」


「念のためにございます。皆様ご存じの通り、バルトの大監獄はわが国でも、凶悪犯罪者に限って収監される場所にございますので」



 尋問はまだできていない、ウォーレンはこうつづけた。

 生き残ったドワーフの傷はひどく、生命の維持で精一杯な側面もあるらしい。

 そんな状況下で監獄に入れては聞ける情報も聞けなくなる。

 アインはこう思ったけど、そうした懸念はウォーレンも同じように考えており、抜かりないよう事を進めているそうだから杞憂は不要だ。



「奪取した相手方の魔導兵器は王都出の保管は勿論、イストへと送り調査の最中でございます」



 すると、言い終えたウォーレンがアインに顔を向けた。

 シルヴァードの隣に腰を下ろしていたアインはその視線に気が付き、何も言わずに立ち上がる。



「アイン様はつい先日、不測の事態に陥った飛行船に出向かれましたな」


「ああ。――――血界錠と呼ばれる魔道具を見つけたのもその日だ。その後はマルコとムートンの意見を聞いて、マジョリカ魔石店の店主をはじめ、ロランやイストの研究者に連絡を取ってある」


「おや……もう、それほどのことをお一人で行っておいでだったとは」


「最初は慶事の前だから隠そうとしてからね。ただ、隠すために成すべきことを成さないなんてことにはしてない。倒れていた騎士たちの様態も問題ないし、飛行船の状態もロランに見てもらったから大丈夫だ」


「さすがアイン様でございます。もう、私が教えることはないのかもしれませんな」



 ウォーレンの声にこの場の空気が若干緩んだ。



 緊迫した状況下にそれはどうかと思う者もいるだろうが、集まった者たちの様子があまりにも硬く、ウォーレンは一度落ち着かせるべきと考えていたのだ。

 その考えが上手く働き、皆の顔に冷静さが戻りつつあった。



「さて、皆様」



 皆が手元の茶や水に手を付けたところで、頃合いを見計らったウォーレンが改める。



「武力行使に及んだ団体について情報が欠けております。しかしながら国を名乗るのであれば、此度の一件は明確な侵略行為に外なりません」



 すると、集った者たちの多くが手元の資料に目を向けた。

 そこに書かれてあるのは大陸イシュタルの地図にして、初代国王が統一を果たした大地が書かれてある。



 これらは今日までイシュタリカとして管理してきた土地に外ならず、魔王大戦以降、一度たりとも他国の手に渡ったことのない明確な自国領だ。



「――――鉄の国。まずはその存在の情報を探らねばなりません」



 滔々と響くウォーレンの声の後、レオナードの父こと、フォルス公爵が手を上げて発言する。



「閣下はその者らが、革命や独立を企てる一団とお思いですか? つまり、イシュタリカの民が反乱を起こそうとしてるか、否かです」


「その可能性は否定いたしません。ですが、魔導兵器を保有した我らの騎士に対抗する戦力……それを持てるのが、大貴族や一部の富裕層に限ってもおかしな点が残ります」


「ええ。私も同じことを考えておりました」


「それは何よりでした。――――ですので、判断すべきは情報を得てからです。今はまず、厳戒態勢を敷くと致しましょう」



 会議はそれからもしばらくの間つづけられた。

 だがその席で、アインは一人熟考にふけっていた。



(……『簒奪は許さない』、か)




 海上に泊まった飛行船で見つけた、血界錠に刻まれていた文字のこと。

 ムートンが読んでくれたその文字が意味することと、鉄の国。

 これら二つには、何らかの関係性がある気がしてならなかった。



「ウォーレンさん」



 考えていた事を無視できなかったアインが、呟くように声を掛ける。



「バルトの監獄に居るドワーフだけど、話を聞けるようになったら俺が行くよ」



 相変わらずだ。

 そんな視線をウォーレンとシルヴァードがアインに向けた。

 度々こうした行動を起こすアインだが、自分でも王太子がするようなことではないと分かっている。

 それでも止められないのは、自分が動いた方が絶対に良いと確信しているから。



 特に、今回のように収監されたドワーフの生死が危うい場合。

 アインがシャノンの力を借り、情報を少しでも引き出せたなら上々だ。



 とはいえ、いつになってもこのような振る舞いは心に来る。

 それが統治者として、甘さを捨てなければならないということに繋がるわけだが……。



「陛下、私は賛成でございます。バルトに行けばシルビア様たちからも話を聞けるでしょうから、アイン様が向かわれるのはよいことかと」


「余もそう思うが……やれやれ。余はアイン以外に知らんぞ、これほど勇敢な王太子をな」


「申し訳ありません。……あ、そうだ。今回はディルと別行動にしようと思います」



 当然であるが、カティマの腹に子がいるから。

 まだその子は育っておらず、夫が傍に居なくても問題はないだろう。

 だから、これはアインの気持ちの問題だ。

 どうせなら、なるべくカティマの傍に居てあげてほしい。

 この一心から、ディルには王都で別の仕事を任せたかった。



(誰と行くか決めとかないと)



 それと、バルトに行く日程も。

 収監されたドワーフの様態次第ではあるが、急な事態に陥っても動けるよう、今から少しずつ調整しておかなければ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 だいぶ私事なのですが、片手の小指にヒビが入りまして……。

 そのため、ちょっと文字数が少なめです。

(毎日投稿中の新作は書き貯めなので問題ないのですが)

 そのため、本日は何卒ご容赦いただけますと幸いです……。

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