大監獄へ。

 アインがバルトに来ること。王都であったこと。大陸西部であったこと。鉄の国を名乗る者たちのこと。

 他にもわかっている事柄は、すべてシルビアに連絡された。

 それはアインがバルトに行くことが決まってから、数日後のことだ。



「お姉ちゃん」



 魔王城を歩くシルビアの後ろから、城主アーシェが声を掛けた。



「どこに行くの?」



 ころん、と首を寝かせて尋ねたアーシェがシルビアの傍に近づいた。

 アーシェは眠そうな目を擦り、そっとあくびを漏らす。

 その姿に微笑んだシルビアはこれまで歩いていた廊下から、窓の外に広がる城の一角を指さした。

 外はもう真っ暗で見づらいけど、その先に何があるか二人が間違えるはずもない。



「ちょっと書庫にね」


「……なんで?」


「調べないといけないことがあるからよ。そうだ、アーシェも来る?」


「や。小さい文字を読んでると、自分がちっぽけに思えてくるから」


「そ……それはよくわからないけど……」



 そうは言うものの、アーシェは勉強が苦手なことはシルビアも知っている。

 恐らくさっきの言葉は、一冊の本ですら満足に読めない自分を揶揄してのことだろう。



 ただ、アーシェは頭が悪いわけではない。

 ちゃんと教えれば覚えるし、頭の回転だって悪くない。

 勉強が苦手で――――ついでに嫌いというだけだ。



「でも何を調べるの?」


「昔のことよ」


「昔?」


「ええ。まだカインが生まれてないか、生まれて間もなかったころの時代のことね」



 当時の記録や情報が残っているのか? これは是だった。

 シルビアは途方もない旅をつづけていた際、彼女は必ずと言っていいほど、気になることを書に残していた。

 他にも、交友のあった他種族から得た本なども残っている。

 魔王城の書庫にある本一冊一冊が、国宝級の代物なのだ。



「ふわぁ……」


「ほらほら、アーシェはもう寝なさい」


「ん……そうする」



 ふら、ふら――――と頼りない足取りで去っていくアーシェの後姿を、シルビアは穏やかな笑みを浮かべて見送った。

 彼女はそれから、目的の書庫へ向けて足を進め直す。

 長い長い回廊を進んだ先に見えた、遥か高い天井を望んだ巨大なホール。

 最奥に鎮座した巨大な扉を視界収め、その手前に広がるホールに足音を響かせた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 その翌朝、アインは城を出て、ムートンの工房に足を運んでいた。

 昨今の状況が状況のため、念のために剣のメンテナンスを頼もうと思いやってきたのだ。



「そういやよぉ、殿下」



 剣身に光を当て、目を凝らすムートンが言った。

 一方のアインは同行していたクリスと並んで座っており、その様子を眺めている。



「はい?」


「さっき言ってたバルトへって話、本当か?」



 尋ねられたアインが頷いた。



「日程もほぼ決まったから、近いうちに王都を発つと思います」


「ほーん……んじゃ、俺も連れてってくれよ」


「え? ムートンさんを?」


「おうとも。あっちの工房にも荷物があってな。いい加減運びたいって思ってたんだ」



 そのくらいなら別に構わない。

 アインは飛行船でバルトに向かう予定だけど、ムートンが一人増えたところで大きな違いはなかった。

 重要機密を取り扱う可能性もあるが、それを言えばムートンはもういくつの機密を扱ってるんだ? という話になってくる。



「ついでにあれよ、あれ、ドワーフに尋問するってんだろ? まぁねーと思うが、俺の顔見知りの可能性もあるだろうし、ついでにそっちを手伝うのもやぶさかじゃねぇぜ!」


「……そっちはさすがに……」



 固辞しようとしたアインだったが、以外にも悪くない提案に思えた。



「ほらよ。殿下の剣は元気そのものだ。ってか、その剣を元気じゃなくす方法があるってんなら、こっちが聞きたいもんだ。意図的に壊そうとしない限り無理ってもんだぞ」


「ありがとうございます。助かりました」


「いいってことよ。ほんじゃま、さっきの話は考えておいてくれよな」



 所定の用事を終えたアインは剣を受け取り、席を立った。



「エメメぇ! 殿下がお帰りだぞ!」


「はいはーい! りょーかいです!」



 工房の奥から現れたエメメが甲斐甲斐しくドアを開ける。

 一足先に外へ出た彼女は、アインとクリスの二人を門の外まで見送ってから、「またどうぞ!」と言って工房の中へ戻った。



「クリスはどう思う?」



 と、アインは足を進めながら尋ねた。

 隣を歩くクリスは手の甲が擦れ合うほど近くを歩きながら、果たして手を繋いで良いものか、それとも自重すべきかと迷いながら口を開く。



「うーん……正直、ナシではないと思います。ムートン殿が仰っていたように、ドワーフ同士の関係で事情が変わるかもしれませんし……」


「だよね。今回の騒動の件で、新たな情報を得られるかもしれないし」



 たとえば監獄に居るドワーフの故郷であったり、どこかでの目撃情報を探ることに繋がるかも。

 これらの情報を得られれば、鉄の国とやらの本体に近づける可能性があった。



(この前の騒動以来、ずっと静かなもんだしなー……)



 鉄の国を名乗る者たちはぱたっと姿を見せなくなった。

 また、その者たちが何処から来たかという痕跡を探ろうにも、見つからない。

 最新の魔道具を駆使して魔力の痕跡を追ったが、途中から痕跡を偽装されたのが見つかった。

 間違いなく、調査の手を巧妙に遮っているのだ。



 だからと言って国家側として油断しているなどではなく、むしろ調査の手は遠くまで伸び、人の数は増す一方だ。

 昨日から冒険者ギルドにも依頼が届き、彼らもまた精力的に活動を開始しはじめたとのことである。



「やっぱお爺様たちにも相談しないとって感じかな」



 と言ったアインがおもむろにクリスの手を取った。

 先ほどから擦れ合ってたこともあり、ほぼ無意識の間に指と指を絡ませる。

 一瞬、クリスの身体が僅かに揺れた。

 それでも最近は以前と比べて慣れてきたからか、それ以上の驚きや羞恥心はない。

 彼女はこうして自然体で居られることに喜び、晴れやかな笑みを浮かべた。



「せっかくだし、ラジードさんのとこでお昼でも食べて行こっか」


「いいんですか? アイン様、今日もすっごく忙しいって聞いてますよ?」


「や、忙しいけど仕事詰めだと割とキツいし。ムートンさんのとこに行くのだって、実は少し長めに時間をとってあるから、昼ご飯くらい余裕かな」


「……あ! もしかして、そのために――――」


「ほ、ほら! 行かないの!?」



 図星を突かれたアインが照れ隠しに早歩きになった。

 手が引っ張られたクリスは小走りで追い、逃げられぬよう、彼の腕に自分の腕を絡ませて、更に上機嫌な声色で尋ねる。



「ご迷惑でなければ、喜んで!」




 どうせあと少しもすれば、甘えられる時間なんてなくなる。

 次に遠慮なく甘えられる日を待つくらいなら、せっかくだし、アインの厚意に甘えた方がいい。

 きっと、そうした方がお互いのためだ。



 こうして遠慮なく言ったクリスは、そっとアインの頬に口づけをした。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 二人が城に戻ったのは、昼を過ぎてすぐのことだ。



 クリスはアインと別れて別の仕事に向かい、アインは何の気なしに城の中庭に向かった。

 何故かと言うと、少し話をしたい相手がいたからだ。



「こんにちは」



 声を掛ければ、中庭の一角を占領した木々が並ぶ場所から、頭を下げる代わりに、木の葉を擦れ合わせる音が奏でられる。



『ご機嫌よう。世界樹さま』


『そのお声を聞けただけで、我らの葉が青々と煌めいております』



 フオルンたちはエルフ以上にアインを讃える。

 これは、種族として仕方のないことらしい。

 逆に長の態度が不敬すぎるのだ、とフオルンたちは口々に言う。



「皆、ここでの暮らしはもう慣れた?」


『はい。世界樹さまのご威光により、大地も水も、空気もすべてが心地良く存じます』


『我らを受け入れてくださったことへの、相応しい感謝の言葉が見当たりません』


「そ……それはよかった」



 ここでアインは咳払いをして居住まいを正した。



「ちょっと聞きたいんだけどさ――――」



 フオルンに尋ねるのは、鉄の国を名乗る者たちについて。

 とはいえ、今日までフオルンたちにも城の者が話を聞いている。だから新しい話は期待できないと思っていたのだけど、



『申し訳ないのですが、我々が知ることはすべて……』



 やはり、想像通りの言葉が届いた。

 でも、



『古きドワーフは結束が強いと聞きます。今を生きる彼らとは違い、よそ者を嫌悪するのだとか』


「今を生きるっていうのは、初代陛下に合流したドワーフたちのことかな」


『はい。その他のドワーフは自分たち以外を信じず、頑なに外との交流を拒んできた者たちです。仮に鉄の国を名乗る者たちが、古きドワーフだとすれば、私はなるほど、と頷くことでしょう』



 それはアインも考えなかったわけじゃない。

 ただ気になるのは、その古いドワーフたちがどうして急に、あんな凶行に出たかということだ。

 逆に言えば、これが分かりさえすれば話も大きく進むことになろう。



(地下にあるドワーフの王国って、明確な場所はわからないんだっけか)



 場所が分かれば話は早い。

 なにせ、その地に行って地面を掘り、地下がどうなってるか確認すればいい。

 攻撃をしかけたドワーフが居ればそれでよし。彼らとの話し合い、、、、で結果はどうなるかわからないが、真意を探らねば。



「俺、今度捕まったドワーフに話を聞きに行くんだ。その時、知り合いのドワーフについてきてもらおうって思ってるんだけど、どうかな?」


『良き案でしょう』


『是非、そうするべきかと』


『別れたドワーフたち同士ですが、共に居た方が情報を得られるかもしれません。御身が思うように、同行するのがよろしいでしょう』



 フオルンたちの後押しを受け、アインはシルヴァードに相談することを決めた。

 そうと決まれば、動かなければ。



(もう二時か)



 腕時計を見たアインはシルヴァードの予定を思い出す。

 確か今日は、夕方まで城を出ての公務中。

 今は中々の非常事態ながら、国王は平時の公務も同時にこなしており、次期国王のアインから見れば尊敬の対象に他ならない。



(夕方だな)



 帰って早々の祖父に時間を貰うことに決め、アインはフオルンたちに礼を言ってこの場を後にした。



 そしてこの日、ムートンが同行することが許可された。

 依然として国家機密をよく知るムートンだからこそ、思いのほか仰々しい手続きをするとなくそれが許されたのである。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 あれから一週間が過ぎ、アインは王都を発った。

 彼と同行したのはクリス、そしてマルコとムートンの三名で、他の者たちは王都に残った。

 ディルは当然として、クローネが王都に残った理由はいくつかある。



 此度の仕事のほとんどはアインが担当し、文官仕事をする時間もあまりない。

 また、戦えないクローネを無理に連れて行くことは避けるべき、と結論付けたからだ。



 ――――大監獄。



 イシュタリカにおける、一級の犯罪者たちを投獄する重要施設だ。

 場所はバルトから馬で三日進んだ場所にあり、地理的にはバルト伯爵の領内に位置している。

 周囲を深い湖で囲んでいて、水中には冒険者の聖地らしく、特筆すべき魔物が跋扈する厳しい環境だ。

 脱獄したところで生きて、人里にたどり着くことは至難。

 更に言えば、周辺の地形には魔導兵器が設置されていることもあって、脱獄は不可能に等しかった。



 その、大監獄へと――――。



 高くそびえ立つ摩天楼がその屋上へ、一隻の飛行船が近づいた。

 飛行船が発明されて以来、正式に設けられたその停泊所へと、王太子・アインを乗せた飛行船が悠々とたどり着く。



「皆、整列せよ」



 この大監獄の責任者が騎士を一世に並ばせて、飛行船の扉が開くのを待った。

 飛行船は宙に浮いたまま、扉を開けてタラップに繋がれる。

 扉からは、整然と歩き出した近衛騎士が屋上に下りた。彼らが左右に並び、モーゼが如く道を作り出す。



 そこへ、次にマルコが姿を見せてタラップを抜ける。

 つづけてムートンが現れると、最後に姿を見せたアインはクリスを伴って歩きだした。



 …………すごいな。

 …………ああ、久方ぶりに拝見したが、とんでもない覇気だ。



 大監獄の騎士たちが息を呑み、アインが歩く姿を見守っている。

 今日のアインだが、いつにも増して覇気があった。

 そのアインが特別何かしているわけではなく、今回ばかりは服装の影響であろう。



 この辺りは夏でも寒く、そしてじめっとした強い風が吹き荒れる気候だ。

 その風と、飛行船から届く風にアインの外套が大きく靡き、どこか迫力のある姿だっただけ。

 無論、アインに迫力や覇気がないというわけではない。

 単に今回は、彼が自分で思う以上に仰々しく見えていたというだけだ。



 やがて、そのアインが。



「出迎え、感謝する」



 降り立ったアインが大監獄の責任者へ言い、先へ進む。

 その右隣をマルコが。左隣を騎士服姿のクリスが同行して、ムートンが遠慮がちに後ろを歩いた。

 彼ら一行は、奥へ用意された魔道具の昇降機へと近づいていく。

 左右にわかれた騎士たちは、一斉に剣を抜いて構えて一行を見送った。



「王都でもある程度回復したと聞いてきたが、例のドワーフの様子は?」



 と、アインが責任者に尋ねた。



「はっ。幸いにも治療魔法の使い手も呼べたため、ここ数日は安定しております。ただ、我らが何を尋ねても口を開こうとしません」


「随分と口が堅そうだな」


「そのようです。何か言ったと思えば『殺せ』とばかりで、意思疎通は取れたと言えません」



 予想していた通りで、こうなるとアインも思うところがある。



(フオルンたちが言ってたように、古いドワーフの可能性が高まったかな)



 であれば、絶対に話を聞かなければ。

 アインの足元はその思いに急かされ、心なしか早足になりつつあった。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 先日はたくさんの励ましのコメント、ありがとうございました。

 おかげさまで、痛みなどは少し落ち着いてまいりました!

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