異変と。
城に戻ったシルヴァードはアインの計らいにより場を設け、そこでカティマとディルから報告を受けた。
何や深刻そうな様子で、しかもあのカティマが話し合いの場を設けたことにシルヴァードはひどく困惑していた――――が、彼は話し合いの場に選んだ謁見の間で、喜びに満ちた歓声を上げたのだ。
その歓声は、謁見の間の外にまで響き渡った。
一足先に話を聞いていたアインは、報告が一段落したであろうことを謁見の間の外で悟る。
何かあったのだろうか? と外で様子を見ていた多くの者たちは依然として合点がいかない様子だった。
しかし、謁見の間の中からシルヴァードが呼んだことで、皆が一斉に足を運ぶ。
盛大に祝いの言葉が発せられている中、アインは少ししてからその場を離れた。
彼は一人、謁見の間の外に広がる窓から城下町を眺めて思い出に浸る。
――――気が付けば、色々なことをしてきた。
遠く離れたハイムに生まれ、生家で廃嫡され普通じゃないことをいくつも経験してきた。
このイシュタリカに渡ってからもそうで、学園に通うようになってからは多くの友だってできた。……そして、大切な騎士も。
その騎士には、命懸けで供をしてもらってきた。
彼に子ができたと聞いて以来、アインは考えていたことがある。
(しばらく連れ回さないようにしないと)
仮に遠出する公務があったとしても、この状況下でディルを連れ回そうとは思えない。
きっと彼は付いていくと言ってくれるだろうけど、アインとしては、ディルには可能な限り王都に居て、それこそカティマの傍に居てほしいと思っている。
少し心細いけど、そうしたほうがいい。
決心したアインは今夜にでもクローネたちに相談することに決めた。
「おや、アイン様」
不意に声を掛けたのはマルコだった。
「こちらでどうなさったのですか? 中で皆様とお喜びかと思っていたのですが……」
「ディルの予定を考えておかないとなー、って思って」
「それでしたらお任せください。我々、騎士の間でも確認して参ります」
相変わらず頼れるマルコがあっさりと言い、アインの考えに頷いてくれた。
……それなら、ディルもなるべくカティマの傍に居られる。
安堵したアインが眼下に広がる王都を見ながら、頬を緩めた――――その時だった。
(なんだ……あれ)
視界の端に見えた影に対し、アインは違和感を覚えた。
それは、飛行船だ。
しかし普段は帝都のはずれに泊まるはずのそれが、どうしてか今日は海上、それも、かなり沖合に泊まったのが気になった。
どうやらマルコも気になったらしく、目を細めて食い入るように眺めていた。
「普通じゃないな」
「はっ。何やら問題が発生したようです」
できれば様子を見に行きたい。
けどアインは飛行船の知識はおろか、魔道具の知識にすら疎い。
「……マルコって、魔道具を弄れたりなんかしないよね?」
「昔、シルビア様の下で少々学んだことがございます。もっとも、近代のそれとは技術が違うかと思いますが……異変があるかくらいでしたら確認できるかと」
「分かった。それじゃ行こう」
アインはすぐさまそう言って、謁見の間から離れて行く。
半歩後ろに控えたマルコは意図を悟った。
きっとこのお方は、城に報告が届く前に自分で確認しようとしている。
御身に仕える騎士の慶事を前に、水を差さぬように。
マルコはそう思ったから異を唱えなかった。
常に優しく、勇気のある主君の足取りに遅れぬよう着いていく。
彼は途中、すれ違った近衛騎士に少し外出するとだけ告げた。
◇ ◇ ◇ ◇
そのままの足で港にやって来たアインはマルコと並び、海を眺めて考える。
でも、すぐに考える必要ないという結論に至った。
「走った方が早いか」
一応、船に乗って沖に出ることも考えた。
しかし、緊急事態の可能性を危惧するのであれば、海に根を生やしながら走った方が早い。
「そうですね」
こう言ったマルコと顔をあわせて笑ってすぐ、駆け出そうとしたその瞬間。
「お、殿下じゃねえかッ! 泳ぐにはまだ早えぞ?」
この近くに工房を構えるムートンがやってきて声を掛けたのだ。
「ごめん、ムートンさん。ちょっと急いでて」
「おん……するってーと殿下、それはあの飛行船の件でか?」
ムートンも飛行船が海上に浮かんでいるの見て不思議に思ったらしい。
すぐにでもその飛行船に近づきたかったアインが、若干忙しない声色で「そう」とだけ答えた。
すると、ムートンが高笑いしてアインの肩に手を置いた。
「なら手伝ってやるぜ」
「て、手伝う?」
「おうとも。飛行船も言ってしまえばでかい魔道具だろ? こう見えて俺、魔道具も弄れるからな」
「でも、万が一炉に異変が生じて危ないことになったら――――」
「そいつを殿下が言うのか? ――――おう旦那、何をするにしても殿下の傍に居た方が安全だろ?」
ムートンは傍に居たマルコに尋ね、マルコは間髪おかずに「勿論です」と返事をする。
「だったらいいだろ。ほら、殿下もわからない事態だったら……ってより、実際に飛行船に不具合が生じてたらどうするつもりだったんだ? 殿下、魔道具なんか弄れねえだろうしな」
そのためにマルコを連れて来たのだが。
「アイン様。私よりムートン殿の方が技術に富んでおります」
マルコの後押しを受けて、アインは決めた。
「……ムートンさんを背中に担いでも?」
「おう。頼んだぜ」
結局アインはムートンから助力してもらうことに決め、ムートンに手を伸ばした。
しかし、ムートンのことはマルコが背に担ぎ、アインには前を走ってくださいと告げた。
それを機に、アインは木の根を生み出しながら海を掛けていく。
彼が見せた光景は王都の民も目の当たりにして、英雄と謳われるアインの凄まじさを再確認する。
僅かに届く歓声を聞きながら、アインは瞬く間に沖へ沖へと掛けていく。
近づいてきた飛行船は、海上から数十メートルほど高いところで停泊中だ。
外から見る限り、飛行船に異変が生じている様子はない。
でも、内部がどうなっているかなんてアインには分からないし、それこそムートンが口にしたように、アインが分からない状況になっているかもしれない。
波打つ海面を駆けて行きながら、その問題が一つもないことを祈った。
やがてアインは足を止める。
潮の香りがより一層深まった王都の沖で、飛行船の真下から上を見上げた。
「二人とも、平気?」
「私は問題ありませんが……」
「お、おう……心配要らねぇぞ……ッ!」
ムートンが若干酔っていた。
高速で海原を駆けたから仕方のないことだけど、ムートンからの申し出であっても若干申し訳ない。
あとでしっかり礼をしておかないと。
苦笑したアインが今度は木の根を上に伸ばし、飛行船の出入り口に横付けた。
今度は上に飛び跳ねて、飛行船の出入り口まで足を運ぶ。
最後の一撃がムートンには大きなダメージとなってしまったが、彼は嘔吐しないよう必死に耐えていた。
――――今更ながら、飛行船の大きさは『近衛騎士級』とロランが言っていた、若干大きめの機体である。
思えばこの機体、フオルンの長老の下へ向かっていたはずの機体だ。
その中に足を踏み入れたアインを、幾人かの騎士と研究者たちが出迎える。
が、その全員が意識を失い床に倒れていた。
「お、おお……こりゃ……何かあったんだな……」
驚くムートンを傍目に、アインとマルコは倒れた者たちの身体に触れた。
大丈夫。暖かい。
それに呼吸もしているから、意識を失っているだけのようだ。
「アイン様、如何なさいますか?」
「……ムートンさんを避難させてから、慎重に中を探ろう」
「俺のことなら気にしないでくれや! どうせこうなっても殿下の傍の方が安全そうだしな!」
どうしたものかと迷ったアインだったが、その後もムートンに気にするなと繰り返されたことで、彼のことはマルコに任せることにして船内を進んだ。
中では、他にも船員を含めた者が倒れた姿が散見された。
猶も奥へ進むごとに、アインは妙な違和感を覚えて止まなかった。
その違和感をたとえるなら、真っ白な紙に一滴の鮮血を滴らせたような……。
言い表せない何かの気配のようだった。
気配がする方に歩いたアインがたどり着いたのは、飛行船の端に位置する一室である。
金属製の扉を開けると、中には苦しそうに呼吸する騎士がベッドに寝かされていた。
「アイン様、あれを」
マルコが言ったその視線の先、ベッドに横たわる騎士の傍に彼の装備と思しきものが並んでいた。
そこには、おおよそ騎士が付けることのない腕輪が置いてある。
腕輪には見慣れない紋様が刻まれ、青白く瞬く宝石が埋め込まれていた。
その腕輪からは、同じ光りの波紋が宙に浮かんでいる。
波紋に触れたアインは、指先にピリッ! とした痺れを感じた。
けどこの船に入ってからのことを思い返してみると、微かではあったけど、今の痺れと似た感覚を時折感じた気がする。
「俺の後ろに」
アインはその波紋からマルコとムートンを遮る。
すると、波紋が生じる腕輪を見たムートンが口を開いた。
「――――ありゃ、
その驚き交じりの声にアインは目を見開く。
マルコも同じようで、彼はムートンに言葉の真意を尋ねた。
「ムートン殿。それはドワーフの血界錠のことでしょうか」
「おう。昔のドワーフが造ったっていう、くそみてぇな仕掛けの施された魔道具だな」
そう言ったムートンはマルコの背を離れ自分で立つ。
説明してほしそうなアインの顔を見て、ムートンは「分かってる」と言ってつづける。
「特殊な波紋により、身体に流れる魔力の流れを不安定にさせて、人体に影響を与えるって代物だ。長い間そうなってると勿論死ぬことだってある。さっき倒れてた奴らは、僅かに届いた波紋を浴びすぎたんだろうな」
説明を聞いたアインは飛行船が海の上に泊まった理由を察する。
(異変を感じた乗組員たちが、王都に被害をもたらさないようにここまで進ませたのか)
他の理由は考えられない。
アインは彼らの勇気に敬意を表し、すぐにでも救わなければと決心する。
「なら、早く壊して止めないと」
「ま、俺に任せてくれや。あんな古代の代物だろうと、俺にかかればちょちょいのちょいだぜ。なんらかの証拠って思えば、無事の方がいいだろ?」
どうやって止めるかだが、まずムートンはアインに守られながらベッドに近づいた。彼は腕輪から発せられる波紋を多少浴びながら、懐から取り出した工具で手早く作業を開始する。
その横で、アインは作業を見つめながら考えていた。
(誰がこんなことを)
また、新たな違和感を覚えた。
いくら研究者たちが多かったにしろ、同行した騎士たちは普段、王都で励む優秀な騎士たちだ。
彼らが居るのに、こんな状況に陥ったことが信じがたい。
などと考えていたアインの耳に、間もなくカラン、という音が聞こえた。
ムートンがあっさり作業を終えたようで、腕輪から宝石に似た石が取り除かれた。
すると、それを確認したマルコが倒れた者たちの様子を見に行った。
「……なんだこりゃ」
停止した血界錠を眺めるムートンがつづけて言う。
「『簒奪は許さない』? 良く分からねぇことが刻まれてあんな」
気になったアインも見てみると、そこにはあまり見慣れない文字が刻まれていた。
でも、よくよく思い返すと巨神ヴェルグクと戦った世界につづく扉、そこに刻まれていた文字とどこか似ている。
つまり、古い時代の文字であるということだ。
(簒奪と言われても……というか、ムートンさんその文字読めるんだ……)
その文字で書かれた内容に小首をかしげていた二人の下に、数分経ってからマルコが戻る。
どうやら、意識を取り戻した者が居たらしく、その者から事の顛末を聞いて来たのだとか。
「そちらのベッドに寝かされていた者は、フオルンの長老が住まう場所の奥地の調査に向かっていたようです。しかし定時になっても戻らず、他の者らが探索に行ったところ、森に倒れている姿を発見したとのことでございました」
「ありがと。……だとしても、こんな腕輪をして不思議に思わなかったのかな」
「殿下、そりゃ無理だと思うぜ。こいつは手甲と一体になるように仕掛けられてたみたいだしな。効果が発動することで分離したってとこだろ」
ムートンは騎士の瑕疵や油断ではないと断言した。
無論、アインも騎士を疑っていたわけでなければ、実力を信じていないわけじゃない。だからこそ、彼らがこうした状況に陥った理由が知りたかったのだ。
(いずれにせよ)
倒れた者たちを解放しなければ。
アインはもう不審な気配がしないことを確認し、この部屋を後にする。倒れた者たちの下へ向かい、死者が居なかったことに安堵した。
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