ひとまず初日はこんな感じに。

 シルヴァードはアインがイシュタリカに来る以前にも緘口令を強いたことはあるが、その回数はアインが来てからの方が遥かに多い。

 たとえば、名代から帰り昏睡状態に陥っていたときや、ハイム戦争後のあれこれ。

 他にもいくらだって思い付いたが、大きな話はこのぐらい。



 ――――されども。



 城内に足を運ぶ者に対して緘口令を敷けたところで、情報が外に漏れないだけに過ぎない。

 彼に近い人物たちの接し方が抑えられるのかと言うと話は別だ。



「ふふっ。ねぇねぇ、アイン。何して遊びましょうか」


「遊ばない」


「もう。どうして不貞腐れちゃってるの?」


「…………何というか、妙な恥ずかしさと戦ってるだけ。ってか、クローネはどうしてそんなに楽しそうなのさ」



 アインの部屋で、ソファの上で。

 隣に座った彼女は楽しそうにアインを見下ろして、彼の太ももに手を置き、それはもう悪戯っ子のように声を弾ませていたのだ。



 ついでに、その反対側からは。



「凛々しくて可愛らしいなんて。どうしたらいいんでしょうね」



 オリビアが幸せの境地に至っており、挟まれたアインはたじろいでいた。

 冷静に、いつも通りに振舞っていたのは苦笑しているクリスだけ。彼女だけが一歩引いて、対面のソファに腰を下ろして様子を伺っていたのだ。



「あの……え、ええっと……アイン様……? 久しぶりのお姿ですね……っ!」


「寸法もぴったりでしょ」


「は、はい……大変お似合いですよ……」


「良かった。これで似合ってすらいなかったらヘコんでたかも」



 学園に通っていた当時、魔王化以前の体格の制服に袖を通すことになろうとは考えもしていなかった。でもしっくりきているのは、やはり、服の寸法がちょうどなためだ。

 違うことと言えば、当時に比べて若干髪が長いことだけ。

 普段は腰に携えている黒剣イシュタルなんかも、今の背丈には少し大きいようだった。



「お身体に差し障りはありませんか?」



 クリスが問いかけるや否や、アインを挟み込む二人の美玉が身体を一瞬だけ強張らせた。



「何ともないよ。いわゆる膂力とかも昨日までと一緒みたいだし、スキルだっていつも通りかな。カティマさん曰く、見た目だけ若返ってるって話みたい」


「――――良かった。それを聞けて私も安心しました」



 すると――――。

 アインの太ももに手を置いていたクローネが。



「隠してたりしない?」



 つづけて、オリビアがアインの手を取って。



「お姉さまが診てくださったのなら大丈夫だと思いますけど、ほんの少しでも異変があったら教えてくださいね?」



 二人は先ほどまでの楽しさを消して、純粋に心配した声色で尋ねてきた。

 アインはそれに、すぐさま「本当に大丈夫」と返す。

 ほっと胸を撫で下ろした二人は先ほどのように楽しむことは出来ず、アインに悟られぬように目配せを交わすと、ほぼ同時にソファを発った。



「クリス。私はクローネさんと用事があるから席を外しますね」


「了解です。何かあったら呼んでくださいね」


「……急に席を外してしまいすみません。クリスさん、夕方には帰ってきますから……っ!」



 足早に立ち去る二人の頬には、僅かながら焦燥感が漂っていた。

 無論、それはアインの目にも映ってしまう。

 態度が打って変わって緊張した様子だったことに、彼はその理由を徐々に悟りだす。



「もしかして――――」


「あっ、お分かりになりましたか?」


「多分だけどね」



 きっとあの二人は、わざといつも通りに振舞っていたのだと。



「オリビア様は得に責任を感じていらっしゃいました。クローネさんも宝物庫の件は最初に聞いていたらしくて、止めるべきだったって後悔していたんです」


「ああ、二人とも優しいからね」


「――――実は、あのお二人が一番慌てていらっしゃったんですよ。カティマ様に色々とお尋ねになられたり、書庫の本を読み漁っておいででした」


「俺の前でいつも通りだったのは、やっぱり気を使ってくれてたわけか」



 クリスが首を縦に振る。

 見る者によっては、アイン本人の前でも責任を感じるべきと思うかもしれない。

 けど、ここにいる者たちらしさもある。

 気の遣い方も人の数だけ存在するとして、アインはその優しさに温かさを覚えていた。



「別に気にしないでいいのに。宝物庫に行くって決めたのは俺だし、勝手に魔石に近づいたのも俺なんだけどね」


「たはは……お二人のことですし、素直にお認めにはならない気がします」



 では、どうするべきかという話だったが、その答えはいつも通りに接するべきということに尽きた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夜の帳が降りた頃、いつも通りの執務に励んでいたアインはそのやりにくさを感じていた。

 体格の違いにより手を伸ばしてもいつもの感覚で届かないし、歩幅も狭い。効率はいつもの半分程度にまで低下していたが、こうしていると、マルコと戦ったあとのことを思い出す。



(当時もこんな感じだったなー……)



 こう考えていたところへ。

 執務室の扉がノックされ、返事を返すと足を運んだのはマルコだった。



「いち早くお戻りしたかったのですが、以前より決まっていた仕事もあり遅れてしまいました」


「いいよ。仕事を頼んでたのは俺だしね」



 マルコには数日前から仕事を頼んでいた。その内容は王都を離れてしなければならず、アインの身体に異変があったのを知ったマルコが城に帰れたのは、この頃になってようやくである。



「おや……お懐かしいお姿ですね」


「服装が?」


「いいえ、そのお身体でございます。御身に私の魔石を捧げたあの日に比べれると少し小柄なようですが、あの日を思い出してしまいますな」


「実は俺も思い出してたんだ」


「光栄です。――――それで、ご体調はいかがですか?」


「皆にも話したけど、特にないよ。手足の長さが違うのに苦労してるけど、まぁ、昔の感じを思い出せたら問題ないかな」



 ここでアインはうんと背筋を伸ばして、これまでの疲れを孕ませて欠伸を漏らす。



「魔王城に言ったら色々聞こうと思ってる」


「それがよろしいでしょう。お母君はこの大陸の誰よりも叡智に富んだお方ですから」



 お母君、と言うとシルビアのことだろう。

 多くの感情や事情に加え、整理のついた想いなども関わるため、素直にそう呼ぶことは出来ないのだが、けど、ライルと掛けをした世界での経験もあり忌避感はなかった。



「――――ふむ」



 不意にマルコが扉の方を見た。



「私はそろそろ。一度、陛下にも報告をして参ります」


「ん、りょーかい」



 マルコはそう言ってアインの傍を離れ、執務室を出る直前に頭を下げてから立ち去った。

 すると、外から声が。



『マルコ、この書類をアインに』


『畏れながら、ご自身でお渡しすればよいのでは?』


『…………お願い。今日だけでいいから』



 さっき、マルコが扉の外に顔を向けた理由だ。

 彼よりも気配に敏いアインが気付いていないはずもなく、交わされる言葉も聞こえてきてしまう。聞くべきではないと迷ってしまうも、罪悪感に駆られているクローネのことを想い、耳を閉じることができなかった。



 ――――チリン、と。



 おもむろにベルを鳴らしたアイン。

 そして、外でそれを聞いたクローネ。彼女はとうとう観念して、自分の手でアインに書類を渡すことに決めた。

 これまで廊下の壁に預けていた背を放し、執務室の扉の前に立つ。

 その姿を見ていたマルコは優しい笑みを浮かべてから、彼女のそばを立ち去った。



『アイン。入ってもいい?』



 すぐに「どうぞ」と言うと、扉がゆっくり、いつも以上に静かに開かれた。



「…………あの、」「お腹空かない?」「ゆ、夕食はまだ食べてないの?」



 何か言おうとしたのを見て言葉を遮ったアインへと、クローネは重い足取りで近づく。



「今から一緒に食べに行こうよ」


「でも――――」


「さっきも言ったけど、俺は何ともないよ。強いて言うなら手足が短くて感覚が違うことぐらい」



 それはクローネのせいではない。

 当然、オリビアのせいでもない。



「よっと」



 椅子を下りたアインはクローネの前に立った。

 いつもは見下ろしていたはずの彼が、今日はクローネを少しばかり見上げて。

 平均より背が高めのクローネだからこその身長差であろう。



「うん。姉っぽくはないな」



 唐突に、予想だにしていなかった言葉を聞いたクローネが面食らう。

 そして彼女は思わず笑ってしまった。



「ふふっ……なーに、それ?」


「いくら若返って身長差があったところで、婚約者が姉っぽく見えることはなかったなって感じ」



 とはいえ、締まらない。



「問題はエスコートしようにもできないって話だよ。ほら、こうやって手を伸ばしてもなんか違うし」


「…………」


「クローネ?」


「あっ…………そ、そんなことないわ。素敵だと思う」



 いつもより低い場所から延ばされた彼の腕は、身体を預けようにも高さが足りない。

 けど、クローネは決して気を使って素敵と言ったわけではなかった。背が高いから愛しているわけではないし、見下ろす形になろうと何も変わらない。

 アインがそれを気に入らないのは、男心がどうしても納得していなかったからだ。



 だから。

 クローネが頬を綻ばせているところへ、不意打ちで。



「やっぱり、ちょっと気に入らない」


「気に入らないって何が――――んぅ……っ!?」



 彼女の腕を強く引っ張って、上半身を自分の顔に近づけた。

 唇はあっという間に近づいて、抵抗なしに重なる。

 面食らい、まばたきを繰り返していたクローネだったが、力の入った口づけをされて全身から力が抜け、ついに瞼を下ろして――――。



 熱を交わし合い、強引に腕を引かれてから数十秒。

 唇が開放されたとき、ぷいっとそっぽを向かれてしまう。



「最近のアインって、強引なことが多いと思うわ」



 勝ち負けの問題ではない、と前置きをするべきである。

 そうはいっても、アインは満足した様子だった。口づけを交わしたこともそうだが、それよりも、クローネがいつもの調子を取り戻しているように見えたからだ。



「ほらっ! 持ってきた書類も落としちゃったじゃないっ!」


「ごめんって。俺も披露から許してよ」


「…………別にいいもん。私が自分で拾います!」


「俺も拾うってば。ほとんど俺が悪い……し……」



 しゃがみこみ、頭の高さが同じくなったところで気が付いた。



「…………私の顔がどうかした?」



 力なく唇を尖らせたクローネの首筋と、頬。

 これらがアインの熱に当たられて、見事に上気していたのだ。

 しかし、もう隠しきれない。

 そっぽを向いたところで手遅れであると知り、彼女は潤んだ瞳をアインに向け、つい十数秒前のことを思い出して猶も顔を赤らめたのである。



 じとっとした瞳には、照れくささだけが宿っている。

 それが愛おしくて堪らなかったこともあって、口にせずにはいられない。



「いや、真っ赤だなって思っただけ」


「ッ~~言わなくてもいいの! もうっ!」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 あの後だが、夕食の後はディルを誘って剣の訓練をしてみたりと、幼き日の身体と感覚に合わせるための確認に勤しんだ。

 ついでに大浴場を使ったのが、いつも以上に広く感じた。

 呑気ではあるが、それが面白くてつい長湯してしまったことは秘密にしようと心に決めている。



(ねむー…………)



 もうすぐ、日付も変わる。

 また魔王城に行くまでの時間が近づいたと思いつつ、自室に向かうためにも階段を上っていたところで。

 ふと、最上層まであと一段上ればというところで、床を踏む感覚が消えた。



(あっ)



 まだ身体の感覚が本調子でないせいか、足を踏み外してしまったらしい。

 しかしながら、別に身体能力が消えたわけではない。だから、別に倒れても何ともないし、そもそも倒れないですむ。

 手を伸ばして体勢を整えようと試みたのだが、そこでアインの身体が暖かく柔らかいものに包まれた。



「だ、大丈夫ですか……っ!?」



 心から安心できる甘い花の香りが鼻孔を満たしていく。

 鈴を転がしたような声が耳元で聞こえた。



「お母様?」



 顔を上げると、息を切らした彼女の顔が目の前に。

 寝る前の服とあって露出の多いそれは、慌ててきたせいで肩口がさらけ出され、より煽情的な姿を見せつける。

 でも、そんなことよりアインが気になったのはオリビアの膝だった。



 恐らく、慌てて駆けたついでにひざをついたせいで怪我をした。

 柔肌にうっすらと擦り傷が生じ、玉の肌がやや痛々しい。



「膝に怪我を……ッ」


「私は心配要りません。アインが大丈夫ならどうってことありませんから」


「いやいやいや、そう言うわけにいかないですって!」



 確かに僅かな擦り傷程度だが……。



「はぁ……俺も同じことをしたと思いますが、だからって良いわけじゃないですからね」



 アインはそう言ってオリビアの胸元を離れると、自分の不注意を呪った。

 未だ心配そうに見下ろしてくるオリビアへと笑みを向け、どういう言葉を投げかけるべきかとつづきに悩んでしまう。



(なんか懐かしいなー)



 直接的な関係はないのに、昔の思い出が脳裏を掠める。

 それこそ、アインがまだ小さかった頃。

 オリビアに手を引かれていた少年時代のことを。



「お母様」


「……はい。何ですか?」


「魔王城にいったり、あの魔物について調べた暁には、またこうして昔の姿になれるか確かめてみようかなって思います」



 何を馬鹿なことをと叱責する前に、いや、そもそもオリビアは叱責しないが。

 アインは笑って、大浴場でのことを口にする。



「いつもより広い大浴場が面白かったんですよね。今日は一緒にイシュタリカに来た日を思い出しましたし、それはもう楽しい一日でしたよ」


「…………アイン」


「さすがにお爺様には怒られそうなんで、秘密裏にやっておこうかなーって」



 罪悪感に駆られたオリビアはアインの気遣いを前にして、少し、そしてまた少しずつ心を落ち着かせていった。

 まるっきり気にしないなんて無理だ。

 それでも、アインの気遣いを無下にすることは考えられなかった。



「俺がこの姿ってのも結構新鮮ですし、今から少しお茶でもどうです? お母様がまだ眠くないことが前提ですが」



 勿論、答えは決まり切っていた。



「ふふっ、アインのお誘いならいつだって歓迎ですよ」


「良かった。断られたらどうしようって、内心ドキドキしてました」



 先を歩くアインはそう言い、すぐに思い出す。

 オリビアの膝の傷の手当てをしないといけなかったのだ。

 あれぐらいなら自分でもできるが、構わないだろうか?

 それを考えていると、背後から腕が回されてふわっと茶色の髪が舞う。



「アイン。ありがとうございます」



 オリビアが後ろから抱擁して、柔和な声で口にした。

 傍にある窓にはその様子が映し出されていて、月明かりに照らされたオリビアのその姿は、彼女の呼び名に相応しくまさに聖女。

 そのらしさはアインにしか向けられないが、表情はアインへの感謝に染まっていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 翌朝、城内を歩くマジョリカがアインとすれ違った。



「あら殿下、ごきげんよう」


「マジョリカさん? 今日は魔石の搬入じゃ無かった気がするけど、どうかした?」


「陛下に呼ばれてきたのよねぇ……なんだか切羽詰まった感じだったし、他の仕事を放り投げてきたってわけ」



 マジョリカは身体をくねらせつつ口にして、ハッとした。



「私が呼ばれたのって――――」



 どうやら気が付いたらしい。

 目の前のアインを見て、その異変を理解したのだ。

 ……と、アインはそう思っていたのだが。



「まーた変な魔石でも見つけちゃったのかしら?」


「え?」


「え、じゃないわよ! エルダーリッチの魔石みたいにいわくつきの魔石を見つけちゃったとか、そういう感じなのよね!?」



 分からない。目の前の俺だとは思わないのか?

 いつもは飄々としているアインも呆気にとられた。



「それならそうと先に言ってくれればいいじゃないのよー……どうせだったら、色々道具だって運んできたわよ。いずれにせよ、早く陛下のところに行かなくちゃね」



 それじゃ、またあとで会いましょう。

 マジョリカが腕を組みながらアインの元を去り、謁見の間へつづく道を歩き出す。

 一方、残されたアインは今も尚呆気にとられたままだ。



「え……えぇー……」



 まさかこうなるとは。

 近くにいた警備の騎士も同じ感想を抱いたらしく、マジョリカの背を見てまばたきを繰り返していた。

 ――――しかし、間もなく。

 去ってしまったマジョリカの声が、廊下の奥の方から。



『あららららららぁぁぁぁああああああ――――ッ!?』




 その声はあっという間にアインのそばに近づいて、彼の前でひざを折る。

 アインと顔の高さを同じくして、彼の肩に両手を置いた。

 最後に妙に鬼気迫る表情を浮かべると。



「小っちゃくなってるじゃないのよぉぉぉぉおおおおおッ!?」



 今更ながら、心底驚いた様子の声を城中に響き渡らせたのである。

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