あの日のアイン。

 準備が着々と進む中、ふと思い付きを口にした者が居る。



「宝物庫に行ってみてもいいかもしれませんね」



 サロンで食後の茶を楽しんでいたアインの元を訪ねて言ったのは、アインと同じく、朝食を終えたオリビアだった。

 彼女は相も変わらず優雅にやってきて、微笑みかけながら隣に腰を下ろした。



「うーん、さすがに宝物庫にあるものでは小さすぎる気がします」


「ふふっ、探してみるだけですよ。何か手掛かりになるようなものとか、他にも書物が残されているかもしれませんから」


「――――なるほど。言われてみれば確かに」


「この後一緒に行ってみましょうか」


「いいんですか? お爺様に許可をいただいたりとかは……」


「安心してください。宝物庫って言ったのはお父様ですもの」



 道理で、とアインは頷いた。

 丁度良くカップに入っていた茶もなくなって、オリビアも茶を飲もうとする仕草を見せない。きっと彼女は、アインに今の言葉を告げるために足を運んだのだ。



 ――――では。



 立ち上がったアインはオリビアに手を差し伸べ、立ちあがった彼女と共にサロンを出た。

 向かう先は城の中でも奥まった場所。

 何度か足を運んだことはあるが、中でも印象深かった日と言えば、デュラハンの――――カインの魔石を吸収しにいった日のこと。



 あの日のことは今になっても鮮明に思い出すことが出来る。

 アインにとって、大きな転換点だったから。



「……? どうかしましたか?」


「いえ、大したことじゃありません」



 オリビアの横顔を眺めていたことに気が付かれ、ばつの悪い顔を浮かべて視線をそらした。

 優美に雅やかに微笑むオリビアは楽しそうにしていて、言わずとも、アインが過去を思い返して自分を見ていたことに気が付いていそうだ。



(何かあるかなー……)



 面前に迫る宝物庫の扉を見て、その中に収められている数々の逸品を思う。

 建国当時から脈々と受け継がれてきたそれらは皆、イシュタリカの歴史といっても過言ではないものばかりである――――と。

 幼き日、アインはシルヴァードにそう教えられたことを思い出す。



 扉の前に立ち手をかざすと、王族の魔力に反応して錠が外れていく。

 石臼を回した際のそれに似た重い音が響き、半地下となった宝物庫の扉がゆっくり開かれる。

 中に広がっているのは以前と変わらず、整然と並べられた宝の数々だ。



「私は書物を見てきますか。魔石とかはアインが見た方が分かりそうですものね」


「りょーかいです。勝手に吸わないように気を付けますね」


「あらあら……吸っちゃったらお父様に謝らないといけませんね」



 そうするとは微塵も思っていなそうだが、艶美に笑って別れたオリビア。

 すると、アインは一人。

 魔石が並べられた箇所に足を運んで周囲を見渡す。

 ……考えてみれば、魔石を見たところで何の魔物の物なのか分かるかというわけではない。そもそも、ここに足を運んだのは資料漁ったりすることが主な目的だったし、アインがこうして魔石を見ているのも不思議な話だった。



 けれどアインは――――。



「なんだろこれ……見たことないや」



 オリビアがアインが興味を抱くことを分かっていたからこそ、こうして時間を作ってくれたのだとすぐに悟って、少しだけその厚意に甘えることにした。

 手は触れず、でも、色とりどり、様々な形をした魔石を見て回る。



 香りもそうだが、漂う魔力がアインの興味を引いてやまなかった。



「――――んん!?」



 不意に足が止まって、ある一つの魔石の前で目を見開いた。

 他の魔石と同じく台座に乗せられていたのは、クラゲに似て揺らめく傘を持った魔石である。

 ふぅ……っと息を吐いてみれば、ふわりと揺らいだ。

 こんな魔石もあるのかと驚きながら眺めていると、離れたところからオリビアの声が届く。



『こっちに来ていただけますかー!』



 その声を聞いたアインは魔石への興味を失っていなくとも、すぐに踵を返してオリビアの下へ向かった。

 待っていたオリビアは手元に一冊の本を開いており、やって来たアインが傍に行くと、肩が擦れ合うほど近くに立って本を見せる。



 目を向けると、小さな文字が羅列する横に挿絵が添えられている。



「どうでしょう? バハムートの素材として相性がいいと思うのですが」



 ロランが来た次の日、アインはどういった素材が求められているのか聞いている。

 確か……。



「必要な素材は膨大な魔力を半永久的に吸収できて、尚且つ、半永久的に組成を繰り返す素材……とかなんとか言ってましたっけ」


「私もそのように聞いています」



 二人はあまり冴えない笑みを浮かべている。

 理由は単純で、ロランが欲している素材の答えが難解であったからだ。

 ただ、オリビアはその中でも気になることがあってアインを呼んだこともあり、彼女の瞳には微かな自信が垣間見えた気がする。



「古い魔物ですか」



 書物に掛かれていた情報を見るに、数百年前に絶滅したと考えられている魔物のようだ。

 素材は討伐せずとも、脱皮に似た現象で落としたものでも同じ性質を保っているそうだが、問題はその魔物が絶滅したと考えられていることに尽きる。

 後は、素材そのものが小さいことだろうか。

 何故なら、描かれていた魔物事態の大きさが問題なのだ。



「古代には若返りの象徴とされていたそうです。寿命はなく、外傷や病気以外では死ぬことがないそうで、身体が劣化したら殻に籠って身体を再構築するそうですよ」


「へぇー……聞いたことがない性質ですね……」


「空気中に漂う魔力を食べて生きているそうですし、ちょうどいいかもしれませんね」



 その全貌はまるでクラゲのよう。

 大きさはアインが以前作り出した巨大なリプル程度だ。群れで生息するのか、描かれている挿絵には、何十体もの個体が森と滝が見える背景に溶け込んでいる。



「……仮に絶滅していなかったとして、素材を集めるのも一苦労で――――ん?」



 言い終えるより先に、ページをめくったところで目の当たりにした。

 先ほどのクラゲらしき魔物が――――。

 妙に大きく、例えるならば一般的な民家ほども大きな体躯をしているのを――――。



「見つけましたか?」



 隣でくすっと笑ったオリビア。



「特別な状況下で巨大化するそうですよ。落ちた素材も大きさは変わらなくなるそうです」


「ま、また妙な性質の魔物ですね……」



 でも、手掛かりになるような気がしていた。

 他にも情報があれば調べたいのだが。



「他にこの魔物の資料はないんでしょうか」


「私も調べてみたのだけれど、宝物庫には無いみたいなんです。あると言えば、この魔物の魔石ぐらいでしょうか」



 すると、彼女は書物の裏表紙を見るように促した。

 そこには片隅に小さな印が押されている。



「それは魔石が一緒に収められているという印なんです」



 だったら、もしかして……!

 アインはオリビアを連れて、先ほどの魔石があった場所に足を運んだ。

 中でも、揺らめく傘を持った魔石の前へ。

 台座を見たオリビアは「正解ですよ」と答えて頬を綻ばせた。



 すると……不意に……。



「あ、あれ……?」



 台座に置かれた魔石が光りだす。

 更にアインとの間に光る粒子が漂いはじめ、吸収しだしたように見えた。

 確かこの魔物は空気中の魔力を食べていたというが……。



「よ、よろしくない感じがするので離れますね!」



 慌てて離れるが、魔石はとめどなく光の粒子を漂わせる。

 ついでに揺らぎも増していき、膨張する。

 最終的に何を放ちそうになったのを見たアインは踵を返した。慌てて手を伸ばしながら、半ば動転した様子で「吸収します!」と口にして、スキルを行使したのである。



 そして。

 光が収まってから、アインは――――。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 昼下がりの謁見の間にて、玉座に座るシルヴァードはついさっき足を運んだアインの言葉を聞いて頷いていた。

 周囲にいるウォーレンやロイドが驚きに顔を染めている中。

 彼だけは落ち着いて、むしろ聞きたくないと言わんばかりの様子で平然としていたのだ。



「というわけなので、宝物庫で見つけた書物に描かれていた魔物を調べようと思います」


「ふむ、さすがアインだ。もう手掛かりを見つけたるとは恐れ入る」


「お褒めに預かり光栄です。では、これからカティマさんと打ち合わせがあるので俺はこの辺で!」



 魔王城に行く前に手掛かりが得られたのは行幸。これは間違いない。

 シルヴァードも同じだし、ウォーレンやロイドもそう思っていた。

 勿論、アインだってそうだった。

 だから、報告を終え、カティマの下に行くと言った彼の瞳には確たる強みが宿っているように見えたし、頼もしさは言うまでもない。



「頼もしいではないか、アイン。今のお主はまるで、クリスを助けに海龍を討伐しに行った日のアインのようだぞ」


「…………ど、どうも」


「そう急ぐでない。まずはその足を止めて余の声に耳を傾けてみよ」


「い、急いだほうがよろしいかなーと!」


「はっはっは! 気にするな! 急いては事を仕損じるとも言うように、落ち着きを失っては元も子もないのだ。――――ところで」



 ピタッと足を止めたアインの背へと、シルヴァードは引き攣る笑みを浮かべたままに。



「アインお主、どうして王立キングスランド学園の制服を着ておるのだ」


「…………思い出に浸りたくなっただけです」



 立ち止ったアインの身体を包むのは、間違いなく当時の制服だ。というか、当時のもので間違いない。アインは今、マーサが保管していた当時の制服に身を包んでいるのだから、間違っているはずがない。



「お爺様にもそういう日ってありませんか?」


「分からないでもない」


「ですよね! では、俺はカティマさんの部屋に――――」「では、もう一つ尋ねよう」「……はい」



 そして、確信へと。

 誰もが指摘しなかったが、誰もが指摘したかったこと。

 アインが謁見の間に来てからずっと聞かなかったこと。




「制服の寸法がぴったりな理由を余に説明して見せよ」




 そりゃそうだ。誤魔化せるはずがない。

 むしろ、誤魔化せたらそれはそれで怖いぐらいだ。

 ここまで尋ねられなかったし、流してくれるのかと淡い期待を抱いていたが、それも所詮は願望に過ぎなかったのだから。




「カ、カティマさん曰くですね……」




 玉座に振り向いたアインを見て、ウォーレンとロイドの二人は再び驚いた。

 何故ならば、アインの身体が学園三年次の頃と同じなのはおろか――――。




「俺は一時的に若返ってしまったみたいです……」




 顔立ちに至るそのすべてが、当時の少年らしさを湛えていたからである。


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