ドレス姿の少女



 運ばれた食事は絶品だったし、細かなことを忘れてしまうぐらい味に集中してしまった。

 ラジードの娘だというミウがずっと後ろに控えていたのは気になったが、途中から、他の客も足を運んできたことで彼女はウェイトレスとしての仕事に勤めていた。



 ――――お、おいどうなってんだこりゃ。とりあえず日替わり一つで。

 ――――知らねえよ、あ、ミウちゃん! 日替わり四つで!

 ――――王太子殿下が船長の店に来てるってこたぁ、船長は許されたのか? 俺の方は日替わり二つで頼むぜっ!

 ――――日替わりと酒でお願いするよ、ミウちゃん。



 やってきた客は皆、店内の様子を気にしていたようだったが、締めの言葉には必ず日替わりを注文していたのが笑えてしまった。

 この味なら仕方ないと思えるし、健気に働くミウを見ていると思わず微笑みを浮かべてしまう。



(また来たらさすがに迷惑かな)



 美味しかったからまた来たい、と素直にこう思えたのだが……。

 なんせ、ラジードはアインを忌み嫌っている。



「王太子殿下様。お水のお代わりはいりますか?」


「あ、ああ……ありがと、貰うよ」



 柑橘系の果実が少し混じった水を飲み、アインは軽く息をついた。

 それにしても美味かった。色々と忘れ、何度もそれを思い出してしまうほど美味しかった。

 午後からの仕事への活力になったと実感する。

 …………さて。



「アイン様、すっごい見られてますね」



 こう口にしたクリスの席はラジードに背を向けてるとあって、彼女は苦笑を浮かべ、仕方なそうにアインに告げた。

 ディルも同じで、そもそもアインが怒っていないとあって彼も苦笑い。

 話は戻るが、アインを見ているのはラジードだ。

 彼はミウが甲斐甲斐しく仕事をする姿に対し、妙にハラハラした様子でアインを見ていたのだ。



(何もしないって……)



 連れ去るとでも思われているのだろうか? さすがにこれは冗談だったが、あの鋭い視線にはミウへの父性を感じて止まない。



 ――――すると。



「母ちゃん、ちょっくら席を外すぜ」


「やかましいよ、働きな」


「…………おう」



 何やら雄々しく腕まくりをしてアインの下に足を運ぼうと試みるも、妻にあっさりと止められて諦めた。

 それはもう、潔く諦めてみせたのだ。



「屋敷に居るときの父上も似たようなものですよ」


「マーサさんも強いなぁ……」



 とは言え、だ。

 こちらに来ようとしたのに、食事だけしてさっさと帰るのもどうかと思ってしまう。

 結局、アインはディルとクリスを連れて席を立ち、カウンターへ向かった。

 気軽に話しかけてよいものかと迷ったが、食事を作ってもらった身だ。ごちそうさまと言うぐらいはばちも当たらないと思い、豪快に鉄鍋を振るうラジードへ声を掛ける。



「ラジードさん、少しだけ良いですか?」



 その声を聞き、店内に緊張が漂った。

 同じくラジードも何かを思い、手を止めてアインを見た。



「ああ、何だ」



 この時ばかりは彼の妻もその口調を咎めず、アインの邪魔をすることなく様子を見守る。



「ごちそうさまでした。料理、すごく美味しかったです」



 最初に謝るべきなのかと考えたりもした。

 でも、駄目なのだ。

 海龍騒動の一件を次期国王のアインが謝ることの意味は、決して軽くない。

 これが今できることと言っては、それを失礼だと、相手の気持ちを鑑みるべきであると断ずる者もいるかもしれないが、当のラジードは毒気を抜かれた。



 アインが見せた、心の底から食事を愉しんだであろう笑みと言葉に、身体から力が抜けてしまった。



「…………」


「あんた……?」


「悪ぃ、母ちゃん。やっぱりちょっとだけ席を外すぜ」



 ラジードはそう言ってエプロンを脱ぎ捨て、カウンターを出てアインの傍にやってきた。

 以前と違い、僅かな敵意すらない瞳を向けて。

 猶も緊張感漂う店内を気にすることなく。



「王太子殿下、ちょっとだけ時間が欲しい」



 その言葉に警戒したクリスとディルだったが。



「分かった」



 アインは即答して、彼の案内に従い店を出ることにしたのである。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 足を運んだのはシュゼイドの片隅、小高い丘。海風漂う穏やかな芝の上に建てられた一枚の岩の前だった。

 護衛の二人は距離を取り、アインが目に見える範囲で控えている。



「仕事中だってのに悪いことをしたな」


「いいよ、こうして話した方が良かったと思うから」



 互いに口調は気にせず、自然体で海を眺める。

 何十秒、あるいは数分だろうか。

 じっと海風を浴びながら、ふと岩を見ると刻まれていた文字に気が付いたアインがはっとした。

 ……これは恐らく、墓石だ。



「謝るならここだって思ったんだ」



 そう、ラジードの息子の墓石の前で。

 すると彼は膝をつき、地に頭を付けて口にする。



「王太子殿下、申し訳なかった」



 打って変わって真摯な態度の謝罪を前に、アインは少し言葉に迷った。

 ううん、気にしてないよ。

 こんな簡単に答えていいのだろうか……と。



 だからアインは彼に返事を返すより先に足を進め、墓前の前に立つ。



「彼のために祈ってもいいかな」


「ッ――――殿下?」


「謝罪を受け入れるつもりは無い。俺はそもそも怒っていないからだ。けど、俺から謝ることも出来ないんだ。ごめん、こればかりは許してほしい」



 そう言って、墓石の前で手を合わせた。



「でも、ラジードさんの子のために祈ることは出来る」



 特定の個人を特別扱いすることは出来ないし、するべきではないという名目があるからこそ、こうすることしかできなかった。

 謝れないのなら、せめて祈りを。

 アインの意図を察したラジードは身体の向きを変え、息子に祈りをささげるアインに頭を下げつづけた。



「って!? い、いつまで頭を下げてるのさ!?」


「…………息子のために祈ってもらってるんだ。俺が頭を上げて言いはずがねえってことだ」


「いい! いいってば! ほら立って!」


「お、おうおう!? 思ってたより強引じゃねえか、王太子殿下!?」



 アインはラジードの手を引いて強引に立たせた。

 驚いていたラジードは呆気にとられるも、すぐにもう一度謝罪してから言う。



「倅は自分の意思で海龍討伐に参加したんだ。俺が怒るのは間違いだってのも分かってるし、母ちゃんが言ったように、俺が怒ることはあいつへの侮辱になるってのも理解してる」



 彼は墓石に手を当て、自嘲する。



「王太子殿下にはじめて会うまで、俺もそう思ってた。けどよ、分からねえんだが、会ってしまったら頭がカッと沸騰した。……分かるだろ、全部言い訳なんだよ。何ら悪くもねぇ殿下に行き場のない怒りを向けちまった、馬鹿な漁師の言い訳だ」



 同情はする。

 けれど、百人いれば百人が逆恨みと言うかもしれない。アインはその言い訳を邪魔せず聞いて、目を伏せ彼の感情に寄り添った。



 こうしていると、ラジードは懐から葉巻を取り出して火をつけた。

 アインの前で吸うのかと思いきや、彼はそれを墓前に置く。



「こいつはシュゼイドで巻かれたもんでよ、俺も、あいつも好きだったんだ」


「だったらラジードさんも吸っていいよ。俺は気にしないから」


「ははっ、懐の深い王太子殿下だぜ。だけど気にしないでくれ。俺はあいつが死んで以来、葉巻を止めてんだ。俺だけが楽しむってのも悪いからな」



 だから墓前にだけ置いて、今は亡き息子にだけ吸わせる。

 風に乗り、漂う香ばしさにアインの鼻孔がくすぐられた。



「もう一度謝らせてくれ。全部俺の器の小ささから来たもんだ」


「だから気にしてないってば」


「いいや、何事にもけじめってもんが要る。王太子殿下が寛大ってことは分かったが、これじゃ王太子殿下のメンツも立たねぇ。……だからよ」



 彼はアインに身体を向け、俯いて言う。



「母ちゃんとミウだけは勘弁してやってほしい。罰せられるべきは俺だけだ」



 何て分かりやすくて、何て気持ちのいい男だろうか。

 確かに発端は彼の行動によるものだ。

 されど、それをきっかけに露になった人となりは惚れ惚れしてしまいそう。



「罰って言われても……あっ!」



 本当にその気がなかったアインは迷ったのだが……。



「よし、決めた」



 緊張した面持ちのラジードへと。

 その緊張を馬鹿にするような言葉を届ける。



「良ければ、俺たちの食事をラジードさんに頼みたいんだ。滞在中だけでいいんだけど、どうかな?」


「…………は?」


「いやだから、ご飯だよ。今日の夜から頼みたい。ちゃんと出張料金とかも払うから、宿に来て皆にも食事を振舞ってほしい。お店もあるし、無理は言いたくないからできる範囲でお願いしたいんだ」


「…………料理、だけなのか?」



 それがアインにとってどれほど重要であるかはさることながら。

 きょとんした顔を浮かべたラジードに頷いて返した。



「くくっ……はっはっはっはっはっ!」



 ラジードは高笑いと共に膝をつき、アインを見上げた。



「何なりと。王太子殿下の寛大な言葉に感謝致します」


「もういいんだってば、そういうのは!」



 心に残されていた壁は崩れ、陽光がふと、墓石に反射したような気がした。

 二人はどちらともなく握手を交わし、笑い合う。

 するとそこで、アインは店であったことを思い出した。



「そういや、何で俺の傍にミウちゃんが来たらあんな顔を?」


「あ、ああ……その、母ちゃんがミウを王太子殿下の下へ奉公に出さないと、って昨日の夜に言いだしたんだ」



 文脈と口調から察するにそれは、単に奉公をするような意味ではない。

 どれほどの責任感と罪の意識に駆られていたのかを察するに容易な言葉だったが、アインからしてみればそういうのは勘弁願いたく、どこか古い考えには何も言えず苦笑いを浮かべるばかり。



 ここへ、いつの間にかアインの背後まで駆け寄っていたクリス。

 彼女はぐいっとアインの腕を抱きしめて、鬼気迫る様子で。

 警戒した様子でラジードを見て口を開くと、驚く二人の男を傍目に言い放つ。



「ダメですからねッ! 絶対に絶対にダメですからねッ!」



 ラジードも分かる。彼女はアインに心を寄せていることを。

 ついでに、アインの顔を見ても分かったことがある。彼もクリスを女性としてみているが、まだ男女の中にはなっていない段階であろう、と。



「…………王太子殿下、その、よ」



 するとラジードはそっぽを向いて頬を掻き、言い辛そうにして。

 彼はおもむろに歩き出し、アインの横をすれ違う直前に。



「エルフの恋愛は気が長いっていうが、そんぐらい仲がいいんなら――――」



 最後の言葉はアインにだけ聞こえ、後は風に溶けて消えた。ラジードはこうしてぶっきらぼうに告げ、最後に申し訳なさそうな顔を浮かべてこの場を後にしたのである。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夕刻になり、予定していた数の魔物を運び終えたアインはギルドに居た。

 カウンターに両肘を乗せ、書類に残されていた最後の署名欄に名を記して、それを受付嬢が確認している最中であった。



「た、確かに拝受致しました……」



 彼女はカウンターの奥に行ってしまい、残されたアインとディルがギルド内を見渡す。

 夜が近づくにつれ、仕事終わりの冒険者の数は増していた。

 シュゼイドの街自体は近隣に魔物が多いわけではないが、それでも、馬に乗り数時間も進めば魔物が出現する地域だ。



 王都近くにある森もそうだったが、あそこはあくまでもスライムや小さな虫系の魔物ばかり。

 一方で、この辺りの魔物は巨大な魔物が多く存在していると聞く。故に冒険者の仕事は多いらしい。



「ふわぁ……さすがに疲れたかも」


「お疲れさまでした。明日も狩りに出る予定でしたが、あまりご無理はなさらず。いざとなったらリヴァイアサンで轢き回して参りますので」


「平気だよ。一晩よく寝ちゃえば十分だし」



 アインは軽やかに笑ってそう言うと、ふっと無意識にとある場所に目を向けた。

 臨海都市シュトロムにあるギルドに足を運んだ際にも気になったもので、アレこそが依頼を張り付ける大きな板だ。



 こんな時間でも明日の仕事のためなのか、それとも下見なのか。

 何にせよ、幾多の冒険者が依頼表を手に取って確認し、仲間内でどれを受けるか相談している。

 ――――すると。

 不意に、冒険者たちの視線が入口へ向けられた。



 どうしたんだろう。

 気になったアインも同じく目を向けると……。



「見ない顔だな、誰かの娘さんか?」


「知らねえよ。どっかの店から荷物でも届けに来たんだろ」


「貴族みてえだけどな」



 入り口に立っていたのは、息を切らしていた一人の少女。

 紫色の髪はここイシュタリカでも良く目立ち、しかも、一目見て分かる良い生地で仕立て上げられたゴシック調のドレスには気品を漂わせる。

 更に言うと、顔立ちも儚げでありながら可憐である。



(アーシェさんに似てるな)



 だからだろうか、アインは親近感を抱いたのだ。



「ッ――――!?」



 少女は慌てた様子で早歩きに。

 その足は掲示板の方へ向かって、全体を確認したところできょろきょろと周囲を見た。

 丁度、アインの下へ受付嬢が帰って来たのを見て、少女がこちらに近づいてくる。



「お待たせ致し――――」「お願い、話を聞いて」「――――ど、どうなさいましたか?」



 割って入られたことにディルは不満げだったが、例によってアインは気にしていなかったし、むしろ、ただならぬ様子の少女を優先したかった。

 取りあえず、受付嬢へ目配せをしてみせた。



「ギルドにどのような御用ですか?」


「ま……魔石に……魔石に生じた暦年性の濁りが普通じゃないの……ッ! 何かに浸食されたように不規則な鼓動を繰り返してて、私、どうしていいか分からなくて――――ッ!」


「れ、暦年性の濁り……? 不規則な鼓動……?」



 受付嬢は何が何だかさっぱりだった。当然、アインとディルもだ。



「もういい! 誰か詳しい人に依頼を出させて! お金なら沢山持ってるから!」


「お客様! 何か火急のようであることは分かりましたが、何分当方は田舎のギルドです……ッ! 私は寡聞にして存じ上げませんが、恐らくお客様の要望を満たすには、相応の研究者の知恵が必要になるかと……ッ!」


「ッ――――もう! だったら何処に行けばいいのか教えて!」


「で、では王都やイストに向かわれると――――」


「分からないの! そんなの言われてもどこなのか分からないわ!」



 会話を聞いていたアインは不思議に思った。

 イストを知らず、更に王都も知らないなんてことがあり得るのだろうか?

 イシュタリカは広いし、ここシュゼイドより田舎な地域もある。であるからこそ、ここにいる少女のような口ぶりで話す者もいるかも……と思わないわけでもなかったが、無理がある気がしてならない。



 ただ、色々と気になることはあったが、これも何かの縁だ。



「ちょっといいですか」


「何……!?」


「俺の叔母が助けになれるかも。良かったら話を聞かせて欲しいんですが」



 すると少女はまばたきを繰り返し、力ない足取りでアインの前に立つ。

 少女の背丈は低い。はじめて会った頃のクローネより若干大きいぐらいで、相応に小柄だった。



 そんな少女がアインを見上げ、縋るような瞳を向けて言う。



「お願い。お金ならたくさんあるから、あの子を助けるための知恵をちょうだい」



 また妙なことに首を突っ込んで。

 ディルはこんなことを思いアインの横顔を見つめた。

 でも、これもアインらしいと言えるのかもしれない。



「俺が泊ってる宿に行きましょう。俺が聞くより、叔母が聞いた方がいいと思うので」



 ――――この出会いは、アインにとって大きな意味を成すことになる。アインはそれを知らないし、知ることになるのは時間が経ってからのことだ。

 だが、それでも。

 この出会いが彼の英雄譚に小さくない影響を与えたのは、確かなことであった。



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