勢いのある夫妻

 昼を過ぎて、休憩をと思ったアインが桟橋に置かれた木箱に座り、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。



「よし」



 あの手が一番だ。

 力技は大概のことにおいて何とかなることを証明してくれた。

 妙に晴れやかな顔を浮かべ、あと三分の二ほど残った魔物の数々を眺めながら微笑んで、腹が空腹の音色を奏でたことで手を当てる。



「よし、じゃありませんってば」


「お帰り、クリス。ギルドの方はどうだった?」


「途中から受付嬢さんがあきらめの表情で『お待ちしてます』としか言ってくれなくなりました。売買契約書を持ってきましたけど、見ますか?」


「ん、一応見とこうかな」



 クリスは紙を眺めるアインの隣に座り、海風に足と髪の毛を揺らした。



「今日は俺が泳ぐ日だったね」


「ッ~~で、ですから! 私も昨日は泳ごうと思ったわけじゃないんです! もう!」


「ははっ、冗談だってば」



 それにしても、凄い金額だ。

 魔物の数が多いから当然だし、そもそも海の魔物は陸の魔物に比べて価格が上がりやすいというのは何度も聞いたことのある話である。



 単純に討伐が難しいということからくるが、それなりの収益となるだろう。

 いずれ、巡り巡って国益となるのだから、いいこと尽くしだった。



「ところでお腹空かない?」


「実は空いてました。うーん……一度宿に帰りますか?」


「クローネとお母様には外で食べるって言ってあるよ。どうせならこの町に繰り出してって意味でね」



 護衛を連れてという条件付きだが、外で食べることは許可されている。

 というか、海に潜り魔物を担いでという作業をしている今では、たかが町中で食事をとるぐらい些細な問題でしかないのだ。



「どこかお店に入ってみよっか」


「目立ちませんかね……人だかりになりそうな気が……」


「大丈夫だって。町の人たちは詰んである魔物を見に行ってくれてるからか、結構、大通りもガラッと空いてるみたいだし」


「あ、確かにそんな感じでしたね」


「ってわけで、探しに行こう」



 土地勘なんて全くないものの、大通りにはいくつもの店が並んでいるのを見ているし、問題ないと踏んで立ちあがる。

 クリスに手を貸して彼女を立ち上がらせてから、アインは桟橋を離れて港へ、大通りへ向かう。



「あ、ディルも一緒に行こうよ」


「……はい?」



 書類を片手に皆との人々と話をしていたディルを見かけて提案するも、彼は目を点にした。



「どちらへ行かれるのですか?」


「昼ご飯でも食べようと思って。お店を探すところから何だけどね」


「畏まりました。お供いたします」


「あ、そういえばマルコは何処だろ」


「マルコ殿でしたら、今はリヴァイアサンの方ですよ。後日の討伐に際しまして、確認事項があるとのことでした」



 一緒に食事ができないのは残念だが、それなら仕方ないだろう。

 分かった、こう答えたアインは彼を連れて再度足を進めた。



 ――――大通りは先日、アインが来た時と比べると閑散としていた。

 代わりにギルドとその保管所の方角は賑わっていることが都合が良くて、特に注目されることもない。時折、露天の店主に驚かれたぐらいだ。



「観光地の側面もあるせいか、お店がたくさんありますね」


「おかげで迷っちゃうわけだ」



 そうだ、とアインはディルを見た。



「ディルはこの町に来たことってないの?」


「申し訳ないのですが、この辺りまで足を運ぶ機会はございませんでした。どうしても水列車の乗り換えも多いせいか、父上の休暇も考えて難しかったのです」


「なら仕方ないか……んー、どうしよ」



 ふと、アインは何年も前のことを思い出す。

 あれは確か――――。



(はじめてイストにいったときのことだ)



 探検しようという感じの言葉を口にしたアインはクリスを連れ、偶然にもイストの貧民街へと足を踏み入れたことがある。

 このシュゼイドにはそれがないそうだが、裏道はあった。



「あっちに行ってみよっか」



 そう言って指を差し向けたのは、大通りから一歩外れた小道である。

 漁師らしきものが歩く姿が散見されるそこにも、何件かの店があったのだ。



 二人の同意を得たアインが意気揚々と進み、大通り沿いの店とは違ったこじんまりとした店構えの数々に喜ぶ。

 こういうところに隠れた名店が――――という事実を試した記憶はないけれど。

 店を探して歩くのは悪くない。



「――――ん?」



 おもむろに立ち止ったアイン。



「どうかなさいましたか?」



 ディルに問いかけられ、笑って答える。



「あのお店とかどうだろ。ちょっと個性的で好きなんだけど」



 その店構えは可愛らしかった。

 白壁の建物の入り口には木のドアが設けられ、その上にある青く塗られた魚の看板が目を引いた。

 この小道の中でも、不思議な存在感があったのだ。



「ふふっ、可愛いですね」


「俺もそれがちょっと気にいったんだ。ってわけで、行ってみよう」



 扉の前まで歩いていくと、立てかけられた黒板に書かれたメニューの数々。

 どれもこれも、海産物が大好きなアインの興味を引いてやまない。

 口内によだれが生じだしたところで、よしっ! と勢いよく声を出して扉を開く。



「やってますか?」



 丸テーブルがいくつか並んだ店内を見ながら尋ねると。



「らっしゃい! やってるよ!」



 威勢のいい声がカウンターの奥、厨房の方から聞こえてきた。

 すると、声の主がカウンターまでやってくる。

 ……外壁に劣らぬ真っ白なエプロンをした肌が黒い男が、頭をバンダナで覆った姿で現れた。

 見覚えがあり過ぎる彼は先日と違って、それはもう晴れやかな笑みを浮かべている。



「――――あ」



 つい、アインは気の抜けた声を発してしまう。

 何故ならば……その見慣れた男と言うのが……。



「なっ……ど、どうして俺の店に……ッ!?」



 あのラジードであったからだ。



「い、いや、俺の店に来た理由はまぁいいとして、だ……くっ……とりあえず……」



 ディルとクリスが警戒するなか、彼は言い辛そうにしながらカウンターに肘をつく。

 頭を両手で抱えつつ、指先をテーブルへと伸ばしたのだ。



「――――好きな席に座ってくれ」



 最初の返事と違いぶっきらぼうな声で帰したその刹那。

 ドタッ! ドタッ! ドタッ! 

 物騒な音が店内の横にある扉の奥から聞こえてきた。

 やがて、その扉が開かれると、中にあった階段から降りてきたばかりの女性が息を切らす。



「はぁ……はぁ……ッ!」



 細身でありながら威勢の良さを感じさせる、気の強そうな女性であった。

 彼女はアインを見つけ、そして彼を守る二人の護衛を見た。

 当然、二人は更に警戒を高める。

 彼女は恐らくラジードの妻であろうから、そうなれば、アインに攻撃を仕掛けても――――と警戒していたのだが。



「この……ッ」



 彼女は荒んだ声をラジードに向け、カウンターへ近づくと。



「なにやってんだい馬鹿亭主がッ! 聞こえたよッ!? 謝るより先に、なーにが好きな席に座ってくれ、だッ!」「け、けどよ」「けどよもあるかい!? 普段は海の男はでっかくであーだこーだって言ってるくせに、なんだいそのみみっちぃ姿は!?」



 二人のやり取りをよそに、アインが絶句。

 クリスもそうだったが、ディルだけが妙に納得げだ。



 するとそこで、ツンツン……とアインの服の袖が引っ張られた。

 目を向けるとそこに居たのは、五歳ほどの小さな女の子だ。

 海の色に似たワンピースを着た、本当に小さな女の子である。



「王太子殿下様。好きな席に座ってください」


「えっと……君は?」


「ミウって言います。お水を持ってくるので、ちょっと待っててください」



 恐らくはあの二人の娘だろうが、王太子殿下様という言葉に可愛らしさを覚えた。

 アインはクリスとディルに目配せをして、手ごろな席に腰を下ろす。

 ミウという少女が来なければ静かに立ち去ろうとしてたのだが、何となく、ミウに悪い気がして素直に座ってしまう。



「奥方様が私の母に似ています」


「マーサさんに?」


「はい。最近はありませんが、以前は父にあのように詰めていることがありましたから」


「…………へ、へぇ……」



 こうしている間にも、二人の賑やかな声が届く。



「俺の気持ちも分かってくれよ!」


「はー、分かれだって? こりゃ驚いたねッ! 殿下のご温情で首が残っただけの男が何を分かってくれって言うんだい!? 首の残し方かいッ!?」


「あ、あれは俺だってな……!」


「うるっさい男だねぇッ! あんたの言葉こそ、冒険者になったあの子を侮辱してるって分からないのかいッ!?」



 しかしそれを気に掛けることなくミウが水差しを運び、三人分のカップに水を注いでいく。

 丸テーブルまで腕を伸ばして水を注ぐ姿がそれはもう可愛らしい。



「あのね、王太子殿下様。今日はこのお魚が美味しいんだって、お父さんが言ってました」



 そして、彼女はあくまでも気にすることなく、メニューを持ってきておすすめをしたのだ。

 これにはアインも呆気にとられながら、考えることなく頷いた。



「三人分頼めるかな?」


「はい。少々お待ちください」



 座ってからも密かに帰ることを考えていたのに、これではもう叶わない。

 しかし料理は本当に届くのだろうか。

 二人の言い争う声を聞きながらそう考えていたアインだが。



「日替わり三つだよ、お父さん」



 ミウは中々に肝が据わった少女なのだと、アインは彼女の母を見ながら痛感したのである。


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