駄猫は駄猫。

「はー……どうして私がこんなことを……」



 カティマは掃除をしながら、不平を幾度となく口の端から漏らしていた。

 ともあれ、自業自得なことに違いはない。

 すべては彼女の口から生まれたことで、地下室のありさまを知る者たちならば掃除をしろといいたくなるのも無理はなかった。



「誰かに頼めばよかったのに」


「なっ――――なーにを言ってるのニャ!? 大事なものしかニャいってのに、何かあったら誰が責任を取るのニャ!?」


「掃除をサボッてた自分じゃないかな」


「ふむ、一理、いや百理ぐらいあるのニャ」



 どうやら自分でも掃除をするべきという意識は高まっていたらしく、それ以降は文句を言わず、むしろ無くしていたものを見つけたりと、心なしか楽しそうに掃除をしていたようにも見える。



(んー……)



 アインと言えば、ソファに鎮座したままの箱に目を向けていた。

 隣にはいつの間にか腰を下ろしていたクリスが居て、クリスとは逆の隣にはオリビアが腰を下ろし、先ほど外れた錠を手に目を向けている。

 唸るアインに応えるかのように、クリスが身体を前のめりに箱に顔を近づけた。



「アイン様、アイン様」


「はいはい」


「私が錠だけ切っちゃいますか?」


「あ、別にそれでもいいのか」



 その声を聞いてカティマがアインの背後から。

 彼の身体をぐっ! と強く押して姿を見せた。



「ばーか言ってんじゃないのニャッ! 魔道具のカギを強引に外すってことの意味が分からないのニャ!?」


「カ、カティマさん……潰れる……」


「そうニャ! 中から潰れることだって、爆散することだってあるのニャ!」



 違う、そういうことじゃない。

 興奮したカティマにその声は届かなくて、いつしか背中をバン、バン、と肉球で叩かれる。別に痛くはないのだが、心を穿つような、表現に困る苛立ちが募るのが止まらない。



「分かったら変なことはやめるのニャ! 絶対だからニャ!」



 思う存分の注意をし終えたところでカティマは掃除に戻る。

 顔をあげたアインへとオリビアが笑って、クリスが仕方なそうに言う。



「あはは……肉球の跡が付いちゃってますね……カティマ様、お掃除中だったから……」


「注意してくれたわけだし、怒るにも怒れないよ」



 気遣ってくれたクリスがアインの背中に手を伸ばして、肉球の形の埃を払っていく。



「ありがと」


「いえいえ、それでこの箱はどうしましょう。もう一個の方も一緒に触ってみますか?」


「試す価値はありそうだね」



 手を伸ばしたアインがそのまま錠を手にすると、クリスもまた手を伸ばす。彼女の場合は途中でピタッと止まってしまったが、どうせと言うべきか、ようは照れくささのせいである。



「クリス?」


「は、はい! 大丈夫です!」



 すると逆に勢いよく、錠を手にするより前にアインの手を両手でぎゅっと包み込んだ。



「…………お、おう」



 下手に怪訝な反応でもしようものならば傷つけることは必定。

 戸惑ったアインは彼女の一生懸命さに微笑んだ。

 彼は彼自身の手に握られていた錠を一度手から離すと、包み込んできたクリスと手のひらを重ねるように腕をひねり、そこへ錠を押し込む。



「取れないね」


「…………」


「クリス?」


「あっ、は、はいっ! とれません!」



 いつしか彼女は呆然と、完全な無意識のうちに重なった手、その指先をアインの指先と絡ませて、肌を擦らせながら錠の感触を確かめてしまっていた。

 錠が取れないと分かり切っても変わらずにだ。



「んーどうしよう」



 ならもういっそのこと、この事には触れない方がいい。

 冷たいわけではない。

 ただ単に、クリスが自覚した刹那にゆでだこのようにならためにだ。

 ……と考えていた矢先のことである。



「ッ~~~~!?」



 これほどの距離のスキンシップを無意識にできるようになったことは関係の進展を伺い知れる。アインの隣で様子を眺めていたオリビアも微笑ましそうに口元に手を当て、今これより訪れるであろうクリスの驚きを予感する。



「ごごご、ごめんなさいっ! すぐに手を……手……を……あ、あれ……っ?」


「どうしたもんかなーって思うんだけど、クリスは何か考えとかない?」


「考えですか!? それはもう頑張れば思いつくかもしれませんがっ! ところで、どうして私の手が離れないんでしょうか……っ!」


「そんなの、俺が握り返してるからに決まってるじゃん。で、頑張ったところで何か気が付けそうなら是非とも頑張ってほしいんだけど、どう?」



 徐々にクリスの首筋が真っ赤に染まり、まばたきの回数も増していく。

 けれど表面上は落ち着きを取り戻していく。

 実際は違うが、単になけなしの意地があっただけだ。



「一度外に出て深呼吸をしてきてもいいですか?」


「ここですればいいよ」


「実は私、外で深呼吸をしないと落ち着けない性分なんです」



 逃げることは叶わないと悟りつつ、瞳を潤ませてアインを見る。



「ニャァー! 気分が良くなってきたニャ! ついでに魔道具も掃除しちゃうかニャ!?」


「それ大丈夫なの?」


「操作さえ間違えなければ問題ないのニャッ!」


「あの、アイン様ー……」


「無茶はしないようにね。さて、こっちはこっちでまた考えようか」



 決して解放されない手元を見たクリスがなけなしの意地を失ってしまう。

 手汗が浮いてませんように、女性らしくそんな心配もしてしまった。



「ですから手が! 私の手が握られたままで――――ッ!」


「いい案があると良いんだけどね」


「アイン様っ! せめて心の準備が出来る時間を……! 数秒だけでもなんとかしますからぁっ!」



 結局、手が開放されたのはそれから数十分後のことで、アインが場を改めると口にするまでそのまま、二人の手は重なったままだった。

 クリス相手ならばこの強引さが重要なのかもしれないと。

 掃除をするカティマはそう考え、密かにヒゲを揺らしていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 しかし事態はあっさりと急転することとなる。

 夜、湯上りのアインの元を尋ねたのは同じく湯上りのオリビアだ。箱は今日だけアインが預かれることになり、何か気が付いたことはあっただろうかと彼女は尋ねに来たのだ。

 そして、日中の出来事を思い出したオリビアが試そうと言ったことがある。



 ――――それは。



「あら、外れちゃいましたね」



 試しにオリビアと同時に錠を触れてみたところ、クリスとしたときと同じように外れたのだ。

 それはもうあっさりと、カラン、と音を立てて落ちてしまった。



「仕組みが全く分からない……」


「どうしましょう、お姉さまを呼んできた方がいいのかしら」


「大丈夫ですよ、明日、俺から伝えます」



 カティマはまだ掃除に励んでいることだろう。

 さて、オリビアはアインの返事を聞いて「そうですか」と胸の前で腕を組む。

 豊かな胸元が形を変えて押し上げられ、動きに沿い艶めかしい髪が肩を伝った。



「箱を開けるのはやめとこうかと思います」


「魔道具だからですか?」


「ですね。明日、カティマさんと一緒に開けた方が安全だと思うので」


「そうかもしれませんね、じゃあ今日は……ああ、そうだわ」



 思い出したように両手を重ね、首をころんと転がして微笑んだオリビア。

 彼女はアインの部屋に置いておいた櫛を取りに行き、戻ってくるときはそれはもう幸せそうで、楽しそうな面持ちでアインの背後に回る。



「久しぶりに私が梳いてもいいですか?」



 勝手にしないで尋ねるという彼女らしさへと、すぐに首を縦に振って答える。

 断る理由は一つもなかった。



「そろそろ切らないとなーって思ってました」


「ふふっ、少し伸びてますものね。このままでも素敵だけど、剣を使うのにも邪魔になっちゃいます」


「――――あ、考えてみればこういうやりとりも久しぶりですね」



 マルコとの戦いを経て魔王化を遂げたアインが王都に帰り、皆から驚きの目で迎えられたときのこと。その夜、そして翌日もそうだが、見事な長髪を切ることが勿体ないと多くの人から言われたときのことである。

 別に伸ばしても構わないのだが、やっぱり面倒になってしまう自分が居た。



「ほんと、色々なことがありましたもの」



 ここにいる二人は特に、だ。

 互いに明確な言葉にはしていないが、転生の段階から多くの事柄が絡み合っていたこともそうで、他の誰にも語れない秘密は多くある。

 それらを語るのは無粋という側面もあった。



「穏やかな日々が一番ですね」


「あらあら、アインの口からその言葉が聞けるなんて」


「お、俺だって賑やかな日々だけが好きなわけじゃありませんからね!?」


「ええ、分かってますよ。アインのことならなんだって」



 髪が梳かれていくのが心地良くて、眠気が少しずつ瞼を下ろす。

 願わくば、本当にこうした穏やかな日々がずっとずっとつづくことだけを。

 そう、強く願ったアインがセラのことを心に浮かべ、ステータスカードの異常を早く尋ねられるようにと考えいたところに、の存在が脳裏を掠めた。



「……穏やかなまま、そうあってほしいですね」



 と、口にするが一つだけ残された不安な要素。

 ベイオルフが慕い、実質的に黄金航路を導いていた相談役と言う男だ。

 一日でも早く彼の足取りもつかめたら、あるいはあの海上戦で彼も命を落としていたらと願ってしまうのは、決してアインが好戦的だからではなく、偏に、イシュタリカの平和を願ってこそだからだ。



 今一度、ふぅ、と息を吐いて落ち着こうとしたその刹那。

 城の下の方から耳を差す轟音が響く。



(今の音は……)



 聞こえてきたのは明らかに城の最下層付近、それも地下室の方と確信できた。



「嫌な予感がします」


「ええ、私も何ですよ」


「はぁー……ちょっと様子を見てきますね」



 飛び出すように自室を出てというもの、まずは下へつづく階段の方を向いた。

 いつもと変わらず豪奢な廊下が、いつもと違って騒々しい。けたたましく鳴り響いた轟音によるものか、近衛騎士が平時と違い慌てて足を運ぶ最中であった。




 すると少し遅れてマーサが姿を見せた。

 階段を上り終え、この階層にやってきたマーサが疲弊した様子で息を吐く。

 彼女はすぐに近衛騎士らに声をかけると、近衛騎士は先ほどの慌ただしさが一瞬で鳴りを潜め、ある者は笑い、ある者はこれが徒労に終わったことに安堵する。

 やがて彼女はアインの傍に駆け寄ってきた。



「ご安心ください。カティマ様です」


「……やっぱり」


「掃除をしていて何故か気分が高揚したようでして、魔道具の掃除中に操作を誤ったそうです。特に怪我をしている様子はございません。もっとも、地下室が掃除する以前より更に荒れてしまいましたが」


「なるほど」



 あれほど無茶は駄目だと言っておいたのに、なんという駄猫っぷりか。

 箱の謎が解けそうということもあったのだろうが、騒々しいこと甚だしい。



「もっと強く止めておくべきだったぁあ…………」



 これだけは拭えない後悔で頭を抱えてしまう。

 アインは目を伏せ、昼間の自分のことを呪った。最後に地下室の惨状を想像して、明日は自分も手伝おうと心に決めたのだった。


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