アフターⅡ 『彼と彼女たちの話』

掃除が先だ。

 黄金航路の件が一段落し、ロランが天才っぷりを発揮してから数日後のことだ。



「大丈夫ですよ、ステータスカードが壊れちゃってもアインは誰よりも素敵ですから」



 真昼間からオリビアの全面的な愛を受け止め、お母様がそう言ってくださるのなら……と頷いたアインだったが、そこに待ったをかける者が居た。



「あの、オリビア様、アイン様もですけど――――」



 その者こそクリスであった。

 彼女は椅子に腰を下ろし、優雅に茶を嗜む二人を前に力が抜けていくのを感じながらも、同時に額に手を当てて嘆くぐらいの余裕は残されていた。



「お願いですから、もう少し重く受け止めてくださいっ!」



 しかし何て気の抜ける会話だっただろう。

 ここがオリビアの部屋で来訪者がアインだからこその結果だったが……。



「私がどう驚いたのかわかりますか? 壊れた、と申されたステータスカードをアイン様が不安そうに披露なさって間もなく、オリビア様が先ほどの言葉と共にアイン様を抱きしめられたのを、私はどう見ていればいいのか迷っちゃったんですからね!?」


「だって本心だったんだもの……」


「だもの、ではありません」


「ちなみにクリスはこの様子に心当たりがあったりしない?」


「すみません……私もはじめて見たので、力になれないんです。というか聞いたこともないくらいですし……そうだ! マジョリカさんやカイゼルさんに尋ねるのはいかがでしょうか?」


「あ、そうしよっかな」



 ギルドに直接尋ねに行くのも選択肢の一つではあるが、先に信頼のおける人物の意見を聞いておきたい。

 当然、ギルド自体を疑っているわけではない。

 だが単に、二人の方が信頼に値すると考えていただけだ。



「じゃあクリス、よかったら今から聞いてきてくれるかしら」


「いいんですか?」


「ええ。お茶はもう十分だし、大丈夫よ。ちゃんとお仕事にしておくから、今日はそのままお休みにしていいわ」


「……お仕事……むむっ……お仕事ですか……」



 アインのことだからか、お仕事と言われたところでどうにも割り切れなかった。

 とは言え貰えた時間は有限である。



「すぐ帰ってきますから! ちょっと休憩がてら行ってきますっ!」



 だから、帰って来てから考えればいい、こう考えてオリビアの部屋をあとにしたのだ。



「アイン」



 するとオリビアが。

 彼女はおもむろに「しーっ」と指を立て、茶目っ気を内包した笑みを浮かべる。睫毛が一本一本数えられそうなほど近く、優美で端麗な顔を惜しげもなく近づけた。



「お願いしたいことがあるんです」



 どんな異性でも虜に出来そうな甘さ、そして艶。

 ただ、彼女のそうした一面はすべてアインにしか向けられることはない。



「任せてください」


「……ふふっ、聞かないうちに頷いちゃっても良かったんですか?」


「聞いても頷いてますよ、分かり切ってることです」


「まぁ、頼もしい。じゃあお言葉に甘えちゃいますね」



 いくらでも甘えてくれと思っていたところへ差し出されたのは一通の便箋であった。なにやら厳重に見え、アインの瞳が自然とまばたきを繰り返す。



「開けてもいいですか?」


「ええ、確認してみてください」



 返事を聞いてから封を開ける。収められていた紙には一つの宝箱が描かれており、横には検証結果、検査結果という欄がつらつらと。

 いずれも最後の行には開封不可と記載があった。



「えっと……」



 どうしたもんかと思っていると、オリビアが席を立ってアインの背後に回る。

 彼の後ろから紙に指を差して口を開く。



「この宝箱はつい最近、エルフの長から献上されたものなんです」


「道理で豪華だったわけですね」


「でも、開けられません」


「え」


「長にも開けられなかったそうなんです。じゃあどうしてそんな品を献上して、って思ったのですが、これはあのヴィルフリート様が遺されたらしくて……」


「あ、ああ……なるほど……」



 ヴィルフリートと言えば初代国王マルクの第二子である。

 正直、今となっては他人事ではない。

 むしろ久しぶりに耳にした名前であはるが、心がチクッと痛みを訴えかけてくる。記憶は残っていなくとも……こうした過去がうまれてしまった理由は……と。



「アイン」



 しかしそれを察してか、それとも彼の心の揺らぎを感じ取ってか。

 オリビアはそっとアインを抱きしめると、彼の手に自身の手を重ねる。



「ごめんなさい――――大丈夫です。それで、この箱をどうすればいいんでしょうか?」


「色々と調べてみたんですが、開けられる気配がしないんです。それでアインに協力してもらえないかなって思っていたんですよ。お父様もそう言ってました」



 協力と言われてもどうしたものか。

 錠の技術なんて全く知らないのだが。



「この箱は魔道具なんですね」



 故に考えられるのは魔道具であるということだ。



「アインの予想通りです」


「怖気づいたわけじゃないんですが、カティマさんとか、マジョリカさんの方が適任かもしれませんよ」


「実はお父様が二人にも頼んでたんです。でも……」


「駄目だったんですね」


「はい、残念なことに、開くまでは至らなかったと聞いてます」



 だったら壊せばいい! とまでは言わないが、いくつか力業は出来そうだ。

 でもその手段がとられていない現状が不思議で、アインがひとまず、自分の目で見てみたいと思ったところでオリビアが言う。



「今から見に行きましょうか」



 相変わらず頃合いがいいと思いながら、アインは素直に頷いた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「良く来たのニャ! ここは修羅の地……甘ちゃんな覚悟では耐えられない場所なのニャ」


「意味分かんないけど、宝箱を空けられなくて不貞腐れてることは分かった」



 ざっくりと言い切った視線の先ではカティマがソファに顔を置いてぐーたれている。いつも通り雑多とした地下研究室はいつも以上にどんよりと、彼女のせいで空気が重い。テーブルの上に鎮座した豪奢な箱の周囲に置かれた数多の魔道具たちが、今までの苦労を物語っているようだった。



 さて、苦笑していたアインの耳へと近づいてオリビアが言う。



「手伝ってくれたらちゃんとお礼をしますね。私の公務があったんですが、それにアインも一緒に来られるように計らいます」


「……公務?」


「はい、公務です。少し遠くに行くので、途中でちょっとくらい寄り道も出来ますよ」



 また唐突な話ではあったが、その言葉の真意はすぐに語られる。



「私たち王家の直轄地にだって行けちゃいます」



 その言葉が指し示す場所はただ一つ、先ほどの会話も思い返せば思い当たる場所はあそこしかない。

 言えばシルヴァードにも難色を示されるであろう、あの場所のことだ。



「……あのお方、、なら、アインの力になれるかもしれません」



 言われてみれば彼女に頼るのが一番に思える。アインの事情の多くを知り、そして受け入れているオリビアだからこその提案であった。



「宝箱を開けられなくても大丈夫ですからね?」



 彼女なりに考え、父のシルヴァードにも違和感を抱かせないがための話運びだったようで、手伝いの結果はどうであれ関係ない。

 これはアインのステータスカードをセラに尋ねる機会を作るための話なのだから。

 とどのつまり、手ごろな理由を作り手伝いを求めているだけである。 



「ありがとうございます、助かりました」


「うふふっ、喜んでくれて何よりです」


「ニャー、二人とも、部屋に来たのにコソコソ話はどうかと思うのニャ」


「ごめんごめん、ちょっと相談事があったからさ。で、その宝箱が開かないんだって?」


「んむ。まったく開かないのニャ」


「カティマさんとマジョリカさんでも苦労してるって聞いたよ」


「もう諦めかけてるのニャ。ぶっ壊して開けたいぐらいニャけど、それで中身が壊れたら私は歴代の王族に祟られそうだしニャ」


「だから力技を避けてたのか」



 分かりやすく単純な理由を耳にしたところで頷いて、テーブルへ向かう。

 そこに置かれた宝箱には二つの錠が付いており、しかしそこに錠穴はない。



「触ってもいい?」


「好きにするといいニャ。どーせ錠は外れないと思うけどニャ!」


「また投げやりな……」


「わーたしがどれだけ苦労したと思ってるのニャ!? お父様に命じられてから早数日! 思いつくことを試すのを馬鹿みたいに繰り返してたんだからニャ!?」



 悲痛な声には眠気と疲れを孕むも、彼女は彼女なりに楽しんでいる様子も伝わってくる。



「もしも外れたら」


「うん?」


「もしもその錠が外れたら、今日中にこの部屋の掃除をしてやるニャ! それも一人でッ!」



 この雑多も雑多、他に言葉が見当たらないゴミ屋敷――――といっては失礼だし、高価な品ばかりだが、そんな地下研究室をたった一日で掃除する何て不可能に近い。

 是が非でも掃除をさせたいところだが。



「残念だけど開かないや」



 せっかくだから掃除させてやりたい気持ちだったのだが、触っていても、魔力を込めても錠が外れる感覚が全くしない。

 はぁ、とアインがため息を吐いたその後で。

 部屋の扉がノックされ、部屋の主カティマの返事を聞いて足を運んだのはクリスである。



「失礼しまーす……アイン様がここにいるって聞いてやってきたんですが……あ、それが噂の宝箱ですか?」



 彼女はトトトッと軽い足取りで近づき、アインの後ろから宝箱を覗き込んだ。



「クリス、マジョリカさんは何て言ってた?」


「知らない、だそうです。……また別の方法で調べないといけませんね」



 気を落としたクリスへと、オリビアはセラの件を思い浮かべて言う。



「気にしないで良いのよ、私にも考えがあるから安心して」


「オリビア様に? オリビア様がそう仰るのでしたら安心できます」



 心の底からオリビアのことを信用しているからの言葉を噤み、若干じゃれつくようにしてアインの後ろから手を伸ばした。



「私も触ってみていいですか?」


「いいよ、でも外れないんだよね」


「あはは……そう簡単には外れませんよね」



 クリスはアインが触っていたのとは別の錠に触れ、「ほんとだ」と呟いて手を放す。つづけてアインが触っていたままの錠に手を伸ばし掛け、途中で躊躇して手を戻すも。



「気にしないで触っていいよ、ほら」



 と言われ、素直に手を伸ばした。

 考えてみればアインが手を放した後で触れてもよかったのだが、二人は互いにそのことに気が付かず、同時に触ることにしか意識が向いていない。

 ――――だが、それが功を成したのだ。



「あ」



 間の抜けた声を発したアインの足元へ。

 カチャン、と。

 外れないはずだった錠が一つだけ外れて落下した。



「は、外れちゃいました!」



 全員が全員、唖然としていたが、中でもアインはクリスの声で正気を取り戻す。



「……よし」



 同時に触ったから錠が外れたというのも不思議な話ではあるが、錠が外れたという結果は大事にしたい。



「カティマさん」


「ニャ、ニャア! まさか外れるなんて思わなかったのニャッ! アインとクリスが同時に触っただけで外れたニャんて……一体どうして……いや、王家の血を引くものが二人同時に触れたから……むむ……」


「カティマさん?」


「あーもう! 何なのニャ! 考えごとしてるから少し静かにしてほしいのニャ!



 気持ちは分かるし同意せざるを得なかったが、アインもアインでこの急な現象に驚いていたし、何となく閑話休題と言うか、落ち着ける時間が欲しかった。

 だから、ついさっきカティマが言っていた言葉は都合がいい。



「掃除」


「……ニャ?」


「だから、掃除が先だよ」



 故に非常にも、言葉の責任を取らせることを優先した。


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